『灼け焦げた夜』
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慣れた手つきで髪を結い上げ、いつものシニョンを作り上げてから、静がカラーグラスを外す。不適な笑みを浮かべつつ、それを抄帷へと手渡す。
「俺の形見だと思って後生大事に持っといてくれ」
「嫌だよ縁起でもない……神棚に祀っておこうか?」
「俗臭ぇ御神体もあったもんで」
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母・月波の許しは想像以上にあっさりと得られた。
「お母さん、抄帷ちゃんの事すごく気に入ったみたいだったから……許してもらえて良かった」とは星翠の言。
これに対して残る二人は、
「見る目のあるお母ちゃんで喜ばしいこったぜ」
「……搦手の悪口?」
「つまんねー本音だよ」
全く、いつも通りであった。
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「んじゃま、よしなに頼むぜ」
仙波宅から少し離れた路地の上。髪を整えながら、静が立ち止まる。その姿に、星翠が申し訳なさそうな表情を向けた。
「女子部屋お泊まりに俺みたいなのが特攻掛けたら、まるまんま通報案件だからな」などと、これもまた常と変わらない軽口を叩いて、静はおどけて見せる。
幻想襲撃の脅威が去った訳ではない。
無力な学生でしかない彼らにとって、花蕗静の持つ〝逆説の異能〟……『パラドクス』は、顕現せし不条理に対抗し得る現状唯一のジョーカー。故に、彼が仙波宅から離れる事は絶対に出来ない。
そんな非日常への対抗策と、日常の倫理観。結局彼は、その両方を尊重する道を選んだ。
「んな顔すんなよ。通報されねー様には気ぃつけるし、ニ徹位でどーこーなりゃしねーよ。なんなら、遠野達とやった三徹麻雀のが余程しんどかったぜ」
「爛れた遊び方してるね、男子高校生……ちなみに結果は?」
「……」
「……」
「……遠野の一人勝ち。身包み剥がされ尽くしたぜ」
他愛無い世間話。これを受けて、今日一日がそうであった様に、星翠の心が晴れやかになる事はなかった。
夜の帳が下りる。
現実の彩度が下がる。
解像度の落ちた日常を、幻想が侵略する。
その矢面に、花蕗静は立とうとしている。
和やかに、にこやかに。彼の行く先を見送る事など、出来るわけがなかった。
「お、まーた悪い癖が出てんな、心配性」
「ホントだ」
二人から指摘され、咄嗟に星翠は口元を手で覆った。
慌てふためくその様子を笑いながら、静は一際大きく肩をすくめてみせる。
「朝も言ったろ?件の騎士様がもう一噛みしてくりゃ、俺らガキの喧嘩じゃ話にもなんねー。やってやれねー話に躍起になるほど青かねーよ……精々有事の際の逃げ時間稼ぐ程度のちょろい仕事だ。いちいちこの世の終わりみてーな面ぁしてくれるなよな」
「そ、そんなに酷い顔してたかな……」
誤魔化す様な問い掛けに、抄帷が大きく頷く。
「お腹痛いのかと思った」
「——いくら俺でも、そこまでライトな受け取り方しねーって」
三人が笑う。
追い詰められた窮状を鑑みれば、余りにも場違いで気の抜けた——けれど、とても穏やかに。
「んじゃま、仙波を頼むぜ、抄帷」
「——わかった。そっちも、無理して」
「おぉ、任しとけ」
短く言葉を交わしてから、静が星翠へと向き直り、自身の親指で自らの胸を指差す。
「生憎こちとら泥舟だけどよ、どうせ漕ぎ出しちまってんだ。努努沈まねーようにお祈りしといてくれよ」
思い悩みが消えた訳でも無い。だが、花蕗静の言葉は至極尤もだった。
賽は投げられた。ならば行く末など、行き着く先でしかあり得ない。
星翠はたった一度、大きく頷いてみせた。
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二人が家の中に入るのを遠巻きに確認して、静は一つ大きく息を吐いた。
見知らぬ家の塀に背中を預け、ぼんやりと空を眺め見やる。
煙草でも嗜んでいたならば、こんなぽっかりと空いた伽藍堂の時間も多少なり潰せたのだろうかと。本気で思っている訳でも無い、まとまりの無い話を考える。それからふと、過ぎ去った今日という一日を思い返す。
幻想の脅威とはまるで無縁かの様に微笑んでいた星翠。
年相応の学生よろしく、買い物を楽しんでいた抄帷。
そんな二人をぐいぐいと引っ張っる灯。
——大変結構な交友関係じゃねーか。
内心でのみ、小さく笑みを溢しながら、静は思う。
幻想だの、逆説だの。
そんな荒唐無稽、どこかのヒーローにでも任せてしまえばいい。日常を生きる、ただの学生が背負わされる必然性などどこにも無い。ただ穏やかに、楽しんで、日々を生きていればそれだけでいいはずなのだ。
ふと、目線を下げる。
自らの意思とは無関係に、小刻みに震える手。気付かぬまま握り込まれていた拳を解いた掌には、びっしょりと汗が滲んでいた。
——策は、ある。
到底完璧というには程遠い……しかし現状、それしかないだろうと思われる、余りにも心許ないか細い秘策。
遂行の為には、もう一度身を投げ出さなければならない。
人外魔境、本物の怪物。その身によって振るわれる、度し難い暴力の渦中へと。
「——はっ」
笑う膝を乱暴に殴り付けて、花蕗静は口角を上げる。
——幻想だの、逆説だの。そんな荒唐無稽、どこかのヒーローにでも任せてしまえばいい。日常を生きる、ただの学生が背負わされる必然性などどこにも無い。
だが、現実にヒーローなど存在しない。
求められた救いに伸ばされる手はないし、取り返しの付かない窮地が覆る事はない。誰にだってそんな力などありはしないし、望んだ希望は叶わない。
『故に』。
ヒーローがいないなら、やれる奴がやればいい。
可能性の芽があるならば、立ち向かえばいい。
適材適所。
出来る事を、出来る人間がやる。叶えられる人間が、叶える為に立ち上がる。それは矜持でも信念でもない……花蕗静にとって、余りにも取るに足らない、ただの〝生き方〟。
逆理は此処に。
定められた不条理を覆す、可能性の火種はこの掌に。
ヒーローでも、超人でもない。
それでも。花蕗静は、顔を挙げる。
空が焼け落ちる。
灼け焦げた夜が、来る。




