『開かれた書庫』
「弱点……」
抄帷が難色を示す。その脳裏に、昨晩姿を現した黒鉄の騎士……その脅威が思い起こされている事は明白であった。
現実離れした武装。
人外めいた膂力。
参照元である『テサウル国物語』における設定がフィードバックされているとすれば、その経験値は膨大。まさに百戦錬磨の本物の怪物。
言葉にすれば余りにも絶望的な、圧倒的な戦力。
彼我の差を埋めるための何かなど、果たして存在するのか。到底思い浮かばず、抄帷は押し黙ってしまう。
そんな内心は言葉にせずとも伝わる。その上で尚、静は不適な笑みを崩さない、
「ま、真っ当に考えりゃ無理だろーな。なんせ野郎はマジもんの騎士様だからな。ただの小僧っ子がどーこー出来る道理はねー……けどな、アドバンテージはこっちにあるぜ」
抄帷が眉を顰める。
「正直余り思い浮かばないのだけど、具体的には?」
「そら決まってら。我らが文学兎よ」
二人の視線が一斉に星翠へと集まる。
この流れで、よもや自分に話の矛先が向くとは露とも思っていなかった少女の目線が、動揺からふらふらと左右に泳いだ。
「わ、わたし?」
「応よ。連中がファンタジー出身ってんなら、こっちのエースはアンタ以外ねーだろ」
もう一口、追加でコーヒーを飲んでから。静がずずいと身を乗り出して声を顰める。
「仙波、改めて確認なんだけどよ。あの騎士様の、話の中での立ち位置ってどんなんなんだ?」
「え?えぇと、デケム女王の腹心で、誉れの騎士団団長、剛腕無双の軍神……」
「聞けば聞くほど凄まじい肩書きだね。弱点なんてないように思えてしまうけど……」
抄帷の言葉に頷きながら、星翠は僅かに顔を伏せる。
「作中、『名無し』達女王討伐軍が総力を以てしても、結局打倒しきれなかった最強の騎士だから……弱点と言われても、ちょっと……」
フィクションにおけるヴィラン。
で、あるにも関わらず——もしくはそれ故にか、比肩する者のない絶対者。『テサウル国物語』における軍神は、まさしく孤高の兵。だが——
「ぁあ、流石だエース。聞きたかったのはそういう話だぜ」
これを聞いて、静がにやりと不遜な笑みを深めた。
「『テサウル国物語』は、『名無し』が国を救い、名前を取り戻す物語だろ?総力戦でも及ばねーってんなら、じゃあどうやって、『名無し』は野郎を攻略したんだ?」
抄帷が僅かに目を見開く。
友人の些細な変化には気付かないまま、星翠は軽く自らの記憶を辿る。
「ええと……『名無し』と一緒にマールスに挑んだパーティの中に、邪なる物を一時的に封じる魔術を使えるエルフが居て……『名無し』達との攻防で生まれた隙を突く形で封印、その間にデケム女王との直接対決に挑む、って流れなんだけど……」
「——つまり作中、マールスは明確に敗北はしていない?」
「うん。『名無し』達が総がかりで挑んでも、マールスには及ばなかった。女王打倒を果たす為、苦肉の策に頼らざるを得なかったの」
夜の浅瀬に立ち塞がった黒鉄。
風貌に違わぬ異質なまでの力を有している事は、出会い頭の一撃で十分理解していたつもりだった。ただそれは、現実を侵食した幻想故の膂力であると、一日明けたたった今まで抄帷は推察していた。
幻想の只中においてすら突出した存在。そんなものを打倒する事など、出来るはずがない。
フィクションを参照元にし、現実に現れた脅威。
参照元である『テサウル国物語』のファンである事が、状況打破の鍵になるとでも思われたのだろうか。だとすれば、飛んだ見込み違いだ、と。責められるより前に萎縮する星翠へと向けて——しかし言葉の調子はまるで変わらず、静の問い掛けは続く。
「なるほどね。んじゃ、もう一個質問だ。仙波——野郎はどんな人間なんだ?」
この問い掛けには、星翠だけではなく、抄帷も首を捻った。
幻想から這い出た人外の人格など、それこそ一体何の役に立つというのか。
だが、問い掛けた当の本人は至って真剣。余裕を示す笑みの名残こそ口の端にはあれど、面白おかしくふざけている様子は微塵もない。故に、戸惑いながらも、星翠は自身が知る限りの黒鉄の騎士——その〝人間性〟を口にした。
「それは——民草の為に身を砕き、規律を愛する……とても規範的な騎士、だね」
言葉に眉を顰めたのは抄帷だった。
「それは……なんと言うか、正直余り印象と合わないね。夜道で突然槍を突き付けてくる姿と合致しないような……」
「マールスは民草の為の騎士である前に、デケム女王の剣なの。彼女の命令こそが絶対で……だからこそ国民——周辺諸国や、それこそ『名無し』達からも恐れられていたの」
人格者でありながら破綻する。
祖国——ひいては仕える王の為に、自らすすんで歪みを受け入れた、堕ちた高潔。
現代日本で生きる抄帷達には共感が難しい、ハリネズミのジレンマ。そんな幻想の、歪に捩れた人格を改めて確認して、静が更に続ける。
「なるほどな。そんじゃ、これが最後だ——」
——————
——一つの違和感があった。
幻想から這い出た非実存の超然。
にも関わらず、その言葉には卓越した知が宿り、いっそ荘厳な風格までをも伴っていた。それは、単に使い回される傀儡には到底あり得ない明確な意思。
圧倒的な戦力。
絶大な忠誠心。
昨晩の言動。
「——そんな騎士様が見ず知らずの……例えば俺らと同じ、現実側の人間の命令を聞くと思うか?」
——質問の意図は二つ。
一つは、彼我の戦力差の確認。
あらゆる迎撃不可能な暴力をおしなべて無力化する、花蕗静のパラドクス。その逆説の異能を以てさえ遠く及ばぬその力。それが確かに『打倒不能』という事実の確認。
「容疑者Aのパラドクスが『現実にねーものを持ち出す』能力だったとして、それだけの力しか持ってねー奴があの騎士様を御し切れるとは到底思えねー。って事は、あの騎士はテメーの意思で動いてるって事だ。少なくとも、ぽっと出の超能力者の意向じゃねーだろ」
「それは——断定するのは早計じゃない?出現した幻想を支配下に置くところまでが能力の全容である可能性は?」
「だったら、のっけに俺たちをぶっ殺さなかった説明が付かねーだろ。完璧に思い通り騎士様を操れるってんなら、あの場で即死を狙う以上に合理的なやり口なんかねーんだしよ……多分騎士様が賜ってた命令は仙波の捕獲だけ。俺らを初手で仕留めなかったの理由は、命令内容に含まれてなかったからってのと……後はま、野郎の矜持の問題だろうな」
騎士は女王に。
行動原理が仕える事に集約されるというならば、その背後に居るのはパラドクス能力者本体だけではない。
「誰かが居んだよ。あの騎士様を使って、仙波を喰い散らかそうって腹積もりの誰かが。パラドクス能力者じゃなく——武力で及ばなくても問題なく、騎士に命令を下せる誰がしかがな」
顕現せし幻想は二つ。黒鉄の騎士と、醜悪な小鬼。
だが、姿を現さなかった事は顕現していない証明にはならない。
仮に。参照元である『テサウル国物語』の作中人物……非実在を実存へと反転させる逆理こそが、彼のパラドクスの本質だとして、その現界に制限が存在しないとすれば。
そして。能力による現出と幻想の統治が、パラドクス能力者の手元にないとすれば。無双の怪物・黒鉄の騎士に命を下せる存在は、最早一つしかあり得ない。
——王国最大の戦力『誉れの騎士団』。
その仕える先は国ではなく、たった一人の個人。
「——————デケム女王」
幻想を統べるは、やはり幻想。
非実存の古き大国を支配する、君臨者。
戦慄と共に、星翠はその名を口にした。




