『いつか見た幻想』
「アイスコーヒーのー……普通のおっきさのヤツで。ガムシロもミルクも大丈夫っす」
引き攣った顔でオーダーをとりに来た女性従業員に対して、常と変わらぬ軽口を。注文を終えるや、静は抄帷の隣の席に腰を下ろした。
「いやー、時間貰えて助かったぜ。寝不足腹減りは気張りゃ耐えられっけど、汗くせーのだけは勘弁願いてーからな」
カラッと笑う静の隣で、抄帷が不審気に眉を顰めた。
「……なんかすごい良い匂いする」
「ぁあ?あー、ヘアオイルだな。貰い物だからドコのやつとか知らねーけどな」
抄帷がますます表情を曇らせる。
「ぁんだよ」
「…………なんだか、嫌」
「どーいうこったよ、ったく」
わざとらしい溜息をひとつ吐いてから、その視線は星翠へと向けられた。
「よー、文学兎。顔色は悪くなさそうじゃねーか」
「ぶ、文学兎……⁉︎」
悪口かどうかも判断の付かない、人生で初めて耳にした呼び名に星翠が目を丸くする。その表情を愉快気に眺めながら、静は肩をすくめた。
「ご機嫌麗しゅうって事よ、気にすんな」
おっかなびっくり。
店員が運んできたアイスコーヒーを一口飲み下して。変わらない軽口で、静は視線を抄帷へと移した。
「そんで?どこら辺まで話進んでんだ?」
「『パラドクス』の概要まで。騎士については、未だ」
「そいつぁ結構……うっそくせー話だったろ」
愉快そうに大きく笑う姿に、星翠が口をぱくぱくと開けたり閉じたりを繰り返した。
「あ、えっと、そんなことは——」
だがやがて観念した様に、
「——あるけど」
消え入る寸前の声で、そう言った。
「はっ。素直で大変よろしくてってな——そんじゃま、ゆるっとやってくか」
申し訳なさそうに顔を伏せる星翠へ、一際深い笑みを浮かべてから、静が助け舟を出した。——尤も、追い詰めるキッカケもその当人であった辺り、抄帷などからすれば酷いマッチポンプの様に思えてしまう訳だが。
——————
「のっけからだけどよ、仙波。あの騎士と……アンタらがエンカウントしたっつー『小鬼』な。見覚え……はまぁねーだろうが、心当たりとかあったりするか?」
「それは——ないけど……」
即答しつつも先が続けられず、星翠が言い淀む。
常世ならざる異形を前に、思い当たる何かなどある訳もない。にも関わらず、星翠の中には奇妙な既視感が滞留していた。けれどそれは余りにも荒唐無稽な思い付きでしかなく、この場において、思い浮かんだその考えを言葉にすることが憚られたが故の沈黙であった。
だが、彼らは逆理の住人。
彼女の内に居座る違和感こそを、答えとして欲していた。
「——『テサウル国物語』」
抄帷の口にした、余りにも耳馴染みのあるその単語に、星翠の肩が小さく揺れる。
「仙波さんが教えてくれたあの物語の中に、昨晩の騎士——それに小鬼に類する存在というのは登場する?」
「それは——」
伏していた目線だけを上げて、星翠は眼前の二人の表情を盗み見る。
問い掛けた抄帷の表情は至って真剣。
真っ直ぐに星翠を見つめながらしかし、回答を急かすことのないように、ただ静かに次の言葉を待っている。
隣の静は相変わらず飄々と、ひとつ大きな欠伸を。但しその目線だけは星翠を横目に捉えたまま、抄帷と同じく、彼女の次の言葉を聞き漏らすまいとしているのがわかった。
逡巡。
空想の話がこの場においてどれだけの価値を有しているのか、星翠には判断がまるで付かない。それでも、余りにも真摯に彼女の言葉を待つ二人の姿に背中を押され、遂に彼女はその口を開いた。
「——いる。王国の騎士と、配下の小鬼……確かに、『テサウル国物語』の中には、それらは登場する」
——————
女王デケムの統べるテサウル王国。
彼の国を代表する最大兵力。
人魔混合で構成される直属の騎士団。
その名を『誉れの騎士団』。
彼らこそは女王デケムに仕える彼女の腹心。王国を守護する盾であり、抗う者どもを圧する槍であった。
「誉れの騎士団には全部で十人の団長がいるんだけど……その中で槍を使う騎士は、一人だけ」
その名を、マールス・ブロワ。
黒鉄の鎧を身に纏い、戦場を駆ける巨躯の騎士。誉れの騎士団最強の名を欲しいままにする、正しく軍神。その象徴は、身の丈をも超える長大な赤き槍と——
「黒と白、二匹の蛇が絡み合う——テサウル王国の国章が刻まれた、巨大な盾。軍神マールスの代名詞……或いは比喩として作中で語られるのはその二つかな」
「言うに事欠いて軍神とは、なんともまぁ仰々しい話だこって」
不遜に笑いながら、静が吐き捨てる。その様子には視線を向けず、抄帷は更に質問を重ねた。
「小鬼については?」
「『誉れの騎士団』の各部隊……それぞれの末端には、デケム女王が支配する下位の魔族が配置されているんだけど……マールスが率いる隊には確かに、小鬼の斥候部隊がいる」
「っつー事は、そちらさんを襲った連中も、あの騎士様の差金って事かよ。とんだ騎士道もあったもんだぜ」
「騎士道精神についてはわからないけれど——今の仙波さんの話で、仮定は一つ定まったね」
不機嫌そうに眉を顰める静を余所に、抄帷が小さく頷いた。
「——敵の能力は『空想の現実化』。『テサウル国物語』という架空の物語、その登場人物を現実に持ち出す『パラドクス』」
——逆理。
非実存を実存へと変える、逆説の異能。それらによって顕現された、架空の超然達。『パラドクス』能力の実存が真実であるならば確かに、本来成立し得ないその仮説は、故にこそ現実味を帯びる。
「——まーた逆様トラブルかよ。面倒極まりねーこった」
「逆に、アレらの原因が『パラドクス』と全く無縁だったらそれこそお手上げだけどね」
「そらそーだ……で、方針は?」
問われた抄帷がもう一度頷き、指を二本立ててみせた。
「調べるべきは二つ。一つは、パラドクス能力者の捜索。もう一つは、彼らが何故仙波さんを狙ってきたのか、その理由」
「一個目は、今すぐどーこーもなんねーだろ。なんせノーヒント過ぎるからな」
「うん。だから先ず、仙波さんが狙われた理由を考えて、そこから逆算出来ればとは考えてる」
「逆算?」
小首を傾げる星翠に対して、応えたのは静。
「アンタが入れ込んでるフィクションの姿を使って、アンタを襲ってきてんだ。見ず知らずの愉快犯って事はねーだろ。少なくともアンタの趣味嗜好をある程度把握してて——」
「——最悪の場合、面識がある人間……っと、勿論決まった訳じゃないけれど」
顔見知りに自らの命を狙う何者かが存在する。そんな、薄ら寒さを覚えずにはいられない不穏当を突き付けられ、その表情に陰が指すのを見て、抄帷が咄嗟にフォローを入れる。
これに難色を示したのは、静だった。
「今更生半に気ぃ遣ってもしょーがねーだろ。最悪を頭に入れとくってのは大事だからな」
星翠の表情が、明確に一段憂いを帯びる。その様と静とを交互に見比べ、抄帷が何か言おうと口を開く。
「とは言え、だ」
ただ。間その口が、言葉を紡ぐ事はなかった。
「肩の力入れて気張ってばかりってのも柄じゃねー。思い悩むよか先に、もうちょい建設的な検討の一つもしようじゃねーか」
間髪入れず。
取り分け明るい声色で言い放つ静に、少女二人の視線が集まる。
「……建設的、というと?」
代表して、抄帷が尋ねる。これに静は口角を上げて応える。
「そりゃ勿論、軍神様の弱点探しよ」




