『逆説の異能』
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「『逆説の異能』。私達……少なくとも私は、『パラドクス』能力を、そう認識してる」
「——逆説の、異能」
駅からほど近い喫茶店のテラス席。
休日に賑わう街の雑踏を横目に。合掌抄帷の口から飛び出したのは、殆浮世離れした言葉だった。
見慣れた現実と語られる超然。
そのコントラストの落差に軽い目眩を覚えながらしかし、無用な言葉を挟む事はなく。仙波星翠は、静かに耳を傾ける。
「普通の……という表現が適切かはわからないけれど、所謂フィクション的な超能力と違って、パラドクスは万能じゃない。ゼロからイチを生み出す事もできない。出来るのは、既に現実に存在している或る事柄を、その逆方向に捻じ曲げる事」
宣言通り。星翠が身支度を整え家を出ると、そこには抄帷達の姿があった。
違ったのは、抄帷の服装。
見慣れた制服姿では無く、白い薄手の襟付きシャツに、黒のロングスカートの私服姿。
シャワーを浴びて来たらしい……埃と汗で汚れていた全身にも、その名残は全く見受けられなかった。
「人は空を飛べない。『だから』空を飛べる。手を使わず物を浮かせる事は出来ない。『だから』浮かせる事が出来る。パラドクス能力というのは、『不可能』の裏返しなの」
三人揃って喫茶店に到着してから、ようやく。静は自身の身支度を整える為に、場を離れた。異形の襲来に対して、結局最後まで強い警戒を解かなかったのは彼だった。
「こんだけ人の目がある中で、いきなり突っ込んで来やしねーだろ……わかんねーけどな」などと軽口を吐きながらも、その誠実さは確かに、星翠にも伝わっていた。
「だから、『逆説』。現実では絶対にありえない『からこそ』、不可能を可能にする。それが、静が持ってる超能力……パラドクスの正体」
そして、今。
「静の到着を待つ間に、前提条件を確認しておこう」と、抄帷は逆説の異能……パラドクスについての説明と共有を行なっていた。
「ここまで説明しておいてあれなんだけど、パラドクスについてはわからないことの方が多い。私も——実際にその能力を持っている静でさえ、ね。それでも明確に判明している事も幾つかはある。それを、仙波さんと共有しておきたい」
曰く。
能力者は複数名存在する。
実現可能な『逆理』は個々で異なる。
能力は一人につき一つ。
発現条件は一切不明。
能力開花と同時に能力者自身はその力の全容を理解する。
「全容を理解する、っていうのは……?」
「『手を動かして物を掴む』って、すごく色んな動作が同時に行われるよね。だけど一々その動作を分解して、意識して、私達が行う事はない。それでも、物を掴むことは出来る——感覚としてはそう言う感じらしい……これは静の言葉だけどね」
俄かに信じ難い話の数々をしかし、星翠は否定出来ずにいた。
何故なら。彼女は既に目撃してしまっていた。
人外めいた赤い槍を撃ち落とす、徒手空拳を。
「——抄帷ちゃんは、その……パラドクスを持っているわけじゃない、んだよね。ならどうしてそんなに——」
詳しいのか、と。質問が完成するよりも先に、抄帷はその答えを口にした。
「私は以前、パラドクス能力者から命を狙われた事がある」
——血の気が引く、という比喩表現をこんなにも生々しく感じたことはこれまでになかった。
合掌抄帷が口にした、不穏当と言い表す事さえ憚られる、まるで真実味の無い体験。その言葉の示す危うさに身を震わせながら、星翠は次の言葉を待つしか出来なかった。
「一年ほど前にね。その折……これはもう本当に運が良かったとしか言えないのだけれど、パラドクスに詳しい人と知り合う事ができて。一連の出来事が収束した後も繋がりが残って……それがあって、私はパラドクスについての知識を得ることが出来たんだ」
だから結局、今伝えた知識は全部その人達の受け売りなんだけどね、と。肩をすくめながら口にする抄帷を見つめながら、星翠の胸中には……質問の回答に対する物ではない、一つの納得が去来した。
一年前。
命の危機。
そして、超能『パラドクス』。
「——もしかして、それが……」
星翠の疑念を察して、抄帷が小さく頷いた。
「うん。一年前のその時、私を助けるのに力を貸してくれたのが、静」
懐かしむ様に口にするその表情が示す感情を、具体的な言葉にする事は難しかった。
痛々しくも苦々しい——だと言うのにどこか満ち足りたような、納得感を伴う……それは全く、一つ言葉で言い表すなど到底不可能な複雑な表情であり。故にこそ、それは星翠にとって、とても印象的なものであった。
命を狙われる、などと言う大それた窮地。
追い込まれたその末、それでも生還した彼女達の辿った道のりが生半なものでなかったであろう事は想像に難くない。そんな異常を乗り越えたと言う経験こそが、彼女達二人の間に流れる……ある種異様なまでに強固な信頼関係の裏付けだったのだ。
「——すぐに信じて貰うのは難しいと思う。ただ、あの『騎士』と『小鬼』……あれらと『パラドクス』を切り離して考えるというのが私にはどうしても出来なくて……何か質問ある?」
「質問、というか……」
星翠が一瞬言葉に詰まる。
恐らく。合掌抄帷の言葉は偽らざる真実なのだろう。
無論星翠とて、世間知らずで夢見がちな幼子ではない。如何に友人の——それも真摯に尽きる言葉であろうとも、存在しない事が当たり前の超常が実存するなどという話を、抵抗無く受け入れることなど本来出来ない。
そんな、ごく当たり前の心理的反応を、通り過ぎた昨日の夜が許さない。
姿を現した異形の数々。
目の前で繰り広げられた、常理の外に立つ者同士の闘い。
フィクションめいたそれらが残した恐怖の実感の、あまりにも生々しい手触りを、ただの幻想と片付ける事はどう足掻いても不可能であった。
「——昨日の騎士や小鬼も、やっぱりその……『パラドクス』っていうのが原因、なのかな」
「根拠がある訳じゃないから、断定は出来ない。でも、私はそうだと思ってる」
「——また、来るのかな」
声は僅かに震えていた。
常を生きる上で付き纏う、他愛の無い怯えとは一線を画す——理解の出来ない不条理にその身を狙われるという、余りに埒外な恐怖。抗いようも無いその感情に呑まれようとする、その汀。
「——その為に今、私達はここにいる」
再襲撃はないだろう、などという無根拠な慰めも。
仮に襲撃があっても案ずる事はないなどという誤魔化しもなく。
それでも。仙波星翠にのし掛かる恐怖と閉塞感を、少しでも取り払う為、合掌抄帷は断言する。
無責任と言えばそうだろう。
安全を担保する根拠など皆無。
それでもただひたむきに。
我が身を案じて言い放つ少女の姿に。星翠はようやく、彼女の言葉の全てを信じる覚悟を決めたのだった。
と。
「——?」
ふと。周囲の席に座る客、道行く人々の視線が、自分達に向けられていることに気付いた二人が顔を見合わせる。
荒唐無稽。
交わしていた会話は正気を疑われても仕方の無いような内容だと、少女達は互いに理解していた。故に会話は極めて小さな声で、細心の注意を払って行なっていた。
会話の内容以外に衆人環視に晒される心当たりのなかった二人は、やにわに困惑の気配を強める。
とはいえ。その原因はすぐに判明した。
人々の視線を集めていたのは、少女達では無かった。
「おー、おつかれ。待たせちまって悪ぃーな」
聞き馴染みのある、間延びした軽口。
二人が揃って声の方へと振り返り……目を見開いた。
ラウンドタイプの大ぶりなカラーグラス。
オレンジ色に真っ赤な太陽と、左半面を縦断する巨大な和竜のプリント。
片足が本人の胴回り程もある、極太のデニムのカーゴパンツ。
そして足元には無骨なコンバットブーツ。
いつものシニョンは解かれ。
緩くウェーブの掛かった、腰近くまでの赤髪を揺らしながら。軽く手を挙げてみせる少年・花蕗静の姿を数秒凝視して、一言。
「——————チンピラ」
抄帷は、短く言い切った。




