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『夜の終わり』

 落雷の如き轟音が鳴り響く。

 音の震源は、ぶつかり合った槍と盾。

 それぞれが突き立てられていた塀は土塊の様に崩れ去り、場は硬質な落石音で満たされた。


 黒鉄の騎士。その巨躯が持ち得る渾身の腕力によって繰り出された左右同時挟撃。振り翳されたのは、共に等しく超重質量の鉄塊。その狭間に在って圧殺されぬ者などありはしない。


 ——無論。当たれば、だが。


 肉片どころか、血の一滴も流れない。

 一瞬前まで矛盾の狭間に押し込められていた細身は、滑り落ちる様に下方へ。地面スレスレまで身を屈めたまま、騎士の左脇を後方へと跳ぶ。

 動作は当然、騎士も視認している。

 取り逃がした少年を今度こそ確実に惨殺するべく、両手の武装を構え直す。

 その一瞬。

 瞬き一回分、騎士の視線が静の姿を見失う。

 その一瞬を、一市井に過ぎない花蕗静は見逃さなかった。


 騎士の視界が、暗幕によって夜天と寸断された。


 目眩しを目的として放られた外套。

 目的を達し、地に取り残されたそれは、奇しくも初めと同じ目的で中空を舞った。但し今度は、花蕗静の手によって。


 勿論、騎士にとってこの程度の目眩しに意味など無い。

 長大かつ巨大な武装。

 如何に不可解な異能を有していると言えど、相手は徒手空拳。極端な話、振り回すだけで当たる。故に、この程度の小細工に対して気を回す必要性などまるでない。

 逡巡とも呼べぬ短い思考を経た後、騎士は槍を振るった。


 姿の視認出来ぬ少年を確実に仕留める為、刺突ではなく、再びの横薙ぎ。胴を上下に引き裂く一撃。

 外套が槍によって薙ぎ払われる。遮断された闇は晴れ、青い夜と家々の灯りが微かに煌めいていた。

 ——そこに、花蕗静の姿はなかった。


 身を隠した——あるいは逃走か。

 咄嗟によぎったいくつかの思考、その全てが裏切られる。

 他でも無い、花蕗静自身に手によって。


 上背で劣る静が、ここまで一度も見せることのなかった攻撃のパターン。はためく外套に身を隠しながらの跳躍を経由し放たれる、最上段……騎士の側頭上部から振り下される胴回し蹴り。


 格上……それも武装において大きく遅れをとっている相手に対して、中空での無防備を晒す。あまつさえ、外せば次手への接続は絶望的な、体全てを駆動させた大技。

 合理性の欠片も無い、火中に飛び込むが如き狂気的な選択。常理を外れたその狂気が、騎士の卓越した技術と戦力を今一手上回る。


 鈍い金属音を伴って、兜によって覆われた騎士の頭部が揺れる。体躯のバランスは損なわれ、騎士が片膝を地に突いた。

 転倒寸前の体勢を器用に立て直し、大きく三歩——目測における赤槍の射程の外側まで静は飛び退いた。


 ふわりと、外套が落ちる。

 隔てる物の無くなった、明けた視界。

 互いの姿を視認して、先に口火を切ったのは黒鉄の騎士。

「——よもや膝を突かせられるとは思わなかった。本当に、大したものだ」

 声色に動揺はなく。変わらず、悠然と紡がれるその言葉にも、何らかの負傷を感じさせる気配は一片もなかった。

「お褒めに預かり、ってやつだな」

 花蕗静の口角が、更に上がる。

 その胸中に一つの確信を得ながら、凶暴凶悪を具現化した様な笑みを一層深める。

「次はその面ごと、地面舐めさせてやるよ——‼︎」


 ——無理だ。

 

 人間か、人外かなどというのは大した問題では無い。

 重要なのは、眼前の異形が間違いなく怪物であるという事実。


 頭部を狙った奇襲。

 意識を下に集中させた上で、たった一度きりという条件の下、初めて成立した渾身の一撃。遠心力と膂力を束ねた、花蕗静の最大火力。それを以てしてしかし、黒鉄の騎士に有効なダメージを与える事は出来なかった。

 騎士の慧眼が、今の一撃を学習しない道理はない。同じ手は二度通じないだろう。加えて、現時点における唯一のアドバンテージ……『迎撃不可能攻撃を無力化する』逆理の超能をも、眼前の騎士は攻略しかけている。


 一合か、或いは運が良ければもう僅か。

 あと数度の交錯を経れば、花蕗静は確実に惨殺される。

 最早確信ですら生温い、確定した既定路線。

 その事を、静は痛い程理解していた。



『故に』。



 ——喰い潰される瀬戸際まで、必ずコイツを足止めする。その上で、必ず抄帷と合流する——!


 懸念。

 それは、仙波星翠を狙う存在が、目の前の騎士だけではない可能性。

 突如姿を現した異形。それが単独であるという仮説の根拠が何一つない上、これだけの超然たる力を有している以上、この場で自己犠牲で悦に浸るわけにはいかない。

 目の前の騎士と同等……最悪の場合それ以上の戦力を有する何者かが、今はここにいない少女達を襲ったとして。その窮状を打破する為には、どうしても静の『逆理』が必要になる。

 ——打倒が叶わないなら、一つでも多くの情報を集めろ。

 合掌抄帷と仙波星翠を逃がす為、ここでは死ねない。


 全霊は届かない。

 異能のシステムも割れている。

 それでも、それら一切はこの場において、何かを諦める理由には到底ならない。


「こいよファンタジー!泥かけて、ガラクタにしてやるよ‼︎」


 ——————


 ——肺が潰れると思った。

 新たな酸素を取り込まなければ息が続かない。にも関わらず、心身の憔悴から浅くなった呼吸ではそれもままならない。

 酸欠で狭窄した視界の端に、同じく懸命に、我が手を取って走る合掌抄帷の姿を認める。その必死の表情が無ければ、この脚は疾うに止まっていただろう。

 迫り来るは異形の群れ。

 人に似た——けれど人とはかけ離れた容姿の、醜悪な鬼の群勢。

 無数の小鬼らは、今や人海の様相で二人の少女を追跡していた。そしてまた、少女達にそれらを退ける術などは存在していなかった。


 合掌抄帷が見せた一時の優勢も随分と遠く。

 追いつかれれば最後、二人の辿る末路が筆舌に尽くし難い代物であることは、小鬼の下卑た嗤いからも想像に難く無かった。


 感情で現実は変わらない。

 二人がどれだけ頭を捻っても、打つ手のない袋小路……その解像度が上がるばかりであった。


「——は、あ——っ」

 星翠の息が詰まる。

 同時に、抄帷が強く舌打ちを。

 その表情を苦悶に歪めて。


 玄関口に柔らかな灯り。

 二人は知らず、仙波宅の目前に辿り着いていた。


 しまった、と。合掌抄帷は己の愚行を嘆いた。

 この軍勢を引き連れたまま、星翠を自宅に帰せる訳がない。どころか、奴等に星翠の自宅を教える事など当然あり得ない。

 追い詰められた窮状で、細かな道の選択など出来なかったとは言え、選び取ったルートは、考え得る中では最悪のものだった。


 緊張が走る。

 悠長に思考を回している時間など無い。

 次の一手——最早絶望的な現状を、それでも打破する策を、何か。

 だが、都合良くそんな妙案が思い付く訳もなく。二人はなし崩し的に、星翠の自宅の正面まで辿り着いてしまった。


 ——星翠の瞳が、扉へと向けられる。

 脳裏を掠めたのは、母・月波、弟の陽夏。

 次に思い浮かんだのは——今日の夕飯。


 ——友人を含めた五人で囲んだ、暖かな食卓——


 刹那。

 抄帷と星翠が違和感を感じた。

 先程まで背後に纏わりついていた気配や物音——その一切が掻き消えている。

 現れた時と同じ様に、余りにも忽然と消え失せたその気配を不審に思いつつ、抄帷は意を決して背後を振り返った。


「——」

 醜悪な異形の群れ。その姿は今や何処にもなく。眼前に広がっていたのは、ただ穏やかなばかりの夜の景色であった。

 変哲の無い静けさに混乱しながらも、二人はようやっとその脚を止めた。


「——どういう、こと、なの——?」

 息も絶え絶えに、星翠が呟く。

 当然、問われた抄帷に提示し得る回答などない。

 困惑色濃い静寂の只中。荒くなった二人分の呼吸だけが微かに響くその静けさを、電子音が切り裂いた。

 一瞬、二人揃ってびくりと身を震わせてから。抄帷は、音の出所が自らのスマートフォンだと思い至る。

 ポケットから取り出されたスマートフォン。そのディスプレイを確認するや——彼女にしては珍しく、随分と慌てた様子で、これを耳元へとあてがった。


『お、繋がったな。仙波は無事か?』

 通話越しの相手——花蕗静の声を聞いて、抄帷はようやく全身の緊張が僅かに緩むのを感じていた。

 

「大丈夫。怪我も無いし、問題無い。そっちは?」

『五体満足の欠品無しだ。お互い息災な様子で喜ばしい限りだぜ』

「軽口が叩けるなら一安心だね。——()()は?」

『あー……それがどういう訳か、いきなりかっ消えやがってな』

「——消えた?」

 通話越しの相槌を聞きながら、抄帷の困惑はより一層色濃いものとなった。

『跡形も無く、って奴だ。まるで煙かなんかみてーに立ち消えちまいやがった。ま、不審者の相手なんざいつまでもしてたかねーし、失せてくれるんなら願ったりではあるけどな——ちなみに現在位置は?』

「仙波さんの自宅前。一先ず彼女を自宅に帰すよ」

『妥当だな。追っ付け俺もそっち向かうから、答え合わせは現地で、だな』

「わかった。——気を付けて。待ってる」


 安堵の色濃く。スマートフォンをポケットに仕舞いながら、抄帷は天を仰ぎ、大きく一度深呼吸をした。

 額には大粒の汗が滝のように浮かんでいた。それを見てようやく星翠は——傍目ではまるで百戦錬磨の強者かのように振る舞っていた目の前の少女が、自らと同じ……なんら特別な力も持たない、ただの同級生だという事をを強く実感した。


 はたと、星翠の視線に気付いた抄帷が、笑う。

 小首を傾げながら——これもまた、彼女にしては随分と珍しい、少しだけ照れくさそうにはにかんだ微笑み。

 疲労はありありと。何一つも詳らかになってなどいない、逃走劇の果てに。それでもまるで、なんでも無かったかのように。


「——あぁ……怪我がなくて良かった、本当に」


 あっさりと、言ってのけるのだった。

  

 

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