『超能対超然』
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陽は落ち、辺りは既に夜の闇の浅瀬。
閑静な住宅街。生活に根差した家々の灯りは、それがそのまま平穏の象徴のようであった。
その静けさの中を、紅い流星が疾る。
矢継ぎ早に放たれる赤槍による刺突。
巨人と見紛う巨躯から繰り出される一撃一撃はまさに必殺。生半な防具や盾の類ならば一息に粉砕せしめん破壊力を有している事は、火を見るより明らかだった。
如何に屈強な戦士であろうと。
訓練された兵士であろうと。
万全の装備をもってしても、穿ち放たれるその鋒から逃れる事は全く容易ではないだろう。
にも関わらず。
放たれる鋒の全てはしかし、眼前に立ちはだかる少年の徒手空拳によって等しく撃ち落とされる。
黒鉄の騎士という異形の前にあって尚、それは余りにも異質な光景であった。
喉首を突くどころの話ではない。
直撃すれば首から上が吹き飛ぶ程の質量が、瞬きにも満たない時間で迫り来る。常人ならば視認することも、またその逆に目を逸らすことすら叶わないだろうその一撃を前に、少年は目もくれない。
一瞥すらないまま、まるで反射か反応かの様に。放たれる赤槍を遥かに上回る速度で打ち出される拳がこれを挫く。
迫る、次の一撃。
左鳩尾を抉り飛ばさんと穿たれる赤槍。異形の騎士、その全霊を込めた不可避の刺突。
その軌跡にはやはり目線すら送らず。花蕗静の左腕が、迫り来る槍を下方から撃ち上げた。
跳ね上げられた槍。
動作が停滞する刹那。
その一瞬を見逃さず、静が地面を蹴った。
——『盾』は本物だった。
槍がそうであったように、騎士の巨躯——その半身を丸々覆う程に巨大な盾は、見た目の印象に寸分違わぬ硬度を誇っていた。で、ある以上。身に纏った大仰な鎧に関してのみ例外であると考える方が不自然。
花蕗静に、西洋の鎧に対する正確な知識など無い。
各々のパーツがどんな攻撃を想定し、どんな攻撃を弱点とするのか。その他一切の情報を彼は持ち得なかった。
故に思考は至って単純。そもそも武装の類を何ら持たない静にとって、それら細かな仕組みや性質などは考えるだけの価値を持たない。
——ウエイトは比べるまでもねぇ。素の力も断然野郎のが上。その上全身鎧固めとなりゃ、真っ向からじゃ話になんねぇ——
考えるべきは、出来る事。手持ちの札で勝負を掛けられる一点……ただそれだけを、花蕗静は思考し続ける。
——狙うんならやっぱ関節、首、面だろ。あんだけ俊敏に動いておいて、関節までガチガチって事ぁねーだろ——
思考は動作に、動作は思考に連動して。異能の力によって生まれた、本来あり得ぬ間隙に、花蕗静の蹴りが割り込む。
「先に突っかかって来たのはそっちだかんな。腕の一本位置いてけよ、ポンコツ‼︎」
するりと滑り込む様に、細身の体躯が沈み込む。
右足を起点に全身を旋回させ、放たれるのは躰道の海老蹴り。狙うは槍の握られる右腕、その肘関節。
流麗。流れる様に放たれた一撃はしかし、再び巨大な盾に阻まれる。
硬質な衝突音と、足先に残る感触に舌打ちをしながら、静が飛び退く。
僅かな間合い。赤槍ならば一息で潰せるだけのその距離で、静は再び構えをとる。
「全く、妙だな」
その様を一瞥して、騎士が独り言の様に呟いた。
「ぁあ?奇妙代表みたいなナリしやがって、人様にケチ付けるなんざ太ぇ野郎だな」
挑発混じり。意図して神経を逆撫でしようと選ばれた言葉をしかし、騎士はまるで意に介さない。ただ粛々と、淡々と。騎士は、『花蕗静』の解析を進めていた。
「身体能力は高い。判断も早く、思い切りもいい。何より、我が『大葬』を前にしてまるで怯まないその胆力は賞賛に値する」
「お褒めに預かり何とやらってやつだな。お目こぼしの礼もあるしな、少し位手ぇ抜いてやろうか?」
「——だが、肝心の技の練度が余りに稚拙だな」
ぴくりと、静の眉が動く。
「初手から今、放たれた蹴り技は流麗だった。だがそれは肉体……貴公の持って生まれた身体感覚頼りの代物だ。恐らく貴公は本来、戦場に生きる者ではないのだろう」
「——企業秘密案件だもんでな、ったく」
——騎士の分析は正しい。
花蕗静は本来的に、単なる一市井に過ぎない。
対する異形の騎士は——未だその出自の一切が不明のままでありながら——明らかに常軌を逸した戦闘技術を有する、規格外の怪物。総合的な彼我の戦力差には天地程の隔たりがあった。
生まれ持った肉体操作のセンスや、状況判断能力などでは到底埋まらない絶望的な差。にも関わらず、両者の交錯が『戦闘』の体を成している要因は、ただ一つ。
「——『超能力』、と言ったな」
言葉と共に赤槍の鋒が、静の左腕へと向けられる。
「〝迎え撃つ〟。その一動作においてのみ、貴公の打拳の速度と威力は我が『大葬』のそれを遥かに凌ぐ……俄かには信じられぬ事だ」
握り込まれた両の拳。
見た目には何ら変哲のない、剥き身の肉体。それが、圧倒的質量を伴う槍の一撃を無傷でいなすという、逆理。
「必死こいて頭捻ってらっしゃって、さぞご苦労なこったな。それでどーだい、謎解きは順調かよ」
「そうだな。それは、これからだ」
言いつつ、騎士が左手に携えていた盾を地面に突き立てた。人外めいた腕力で振り下ろされた規格外の質量が、コンクリートで舗装された地面に突き立つ。
突然の動作に対して、花蕗静の緊張が高まる。
空手になった騎士が、羽織っていた外套を外す。
巨躯に相応しい、巨大な黒布。次の瞬間、それは静の視界全てを覆う天幕と化した。
——ブラインド——!
一瞬と呼ぶにも心許ない、都度放たれる攻撃——その、着弾までの寸暇。古典的でありながら、目眩しの効果は絶大であり、視界を奪われたこの刹那、赤槍の一撃を捉える事は完璧に不可能となった。
ただし。その常理では、花蕗静は縛れない。
外套越しに放たれた不可視の刺突。静の左足を貫かんとするその一撃は、それまでの幾撃と同じ様に撃墜される。
違ったのは、その後。迎撃を完了しながらしかし、これまでのように間合いを詰める事を、静はしなかった。
否、出来ずにいた。
蹴撃による攻撃動作の選択は、花蕗静自身によって行われる。視界を封殺されている今、騎士の立ち位置、狙うべき箇所が判然としない中では、次手の選択が出来ない。
「——なるほど」
外套が地に落ちる、その刹那。花蕗静の右腕が、彼自身の意思とは無関係に駆動する。
迎撃対象は、再び左腕に携えられた巨大な盾。静の右側頭部を砕かんと放たれる、殴打。
轟音を伴いながら弾かれた自らの盾を、スリットから覗く瞳で冷静に観察しながら、騎士が呟く。
「——その両腕、貴公の意思とは別で動いているのか」
戦慄。驚愕に、静の頬を冷や汗が伝う。
この僅かな時間を以て、黒鉄の騎士の思考は、花蕗静の持つ『異能』——その輪郭に届いていた。そして、その確信を以て、遂に花蕗静の認識は是正された。
目の前に立ちはだかる異形は、ただの怪異などではない。
知識も、経験も、技術も、膂力も。全てにおいて花蕗静を遥かに上回る、本物の兵……見た目の印象に違わない、百戦錬磨の怪物。
「我が『大葬』を退ける程の膂力、攻め手に使わぬ道理はない。にも関わらず、貴公の選択は全て『脚』——その両腕、何らかの制約の下、防御行動にしか使えないのではないか?」
絶対堅守。
それが自らの命に届き得る矛であれば、質量も物量も、速度も数も無視して撃ち落とす異能の両腕。だがそれは騎士が看破した通り、絶対防御ではない。
「どうだかな、試してみるかよデカブツ」
「あぁ、そうしよう」
暴かれた超能。それでも尚、傲慢不遜を崩さないその姿に応え、赤槍が撃ち出される。動作を視界の端に捉えた静の五体に力が籠る。だが、その鋒に逆理が反応する事は無かった。
体の左側。空いた空間を、赤い槍が隔てる。外套越しの一合の間に、知らず自らが塀を背負う形で追い詰められていたことに、静は漸く気付いた。
退路を遮断する赤い鉄塊。槍は塀へと突き立てられたまま、横薙ぎに静へと襲い掛かった。
左腕が疾る。
迫り来る赤槍はその進行を阻まれる。しかしその鋒は貫通した塀の強度により、他方に撃ち落とされる事は無かった。
拮抗。
無力化された横薙ぎは、静の命に届かない。同時に、干渉対象が赤槍に絞られた左腕に、石造りの塀を破壊し、槍を撃墜する威力はない。相対する騎士と少年は、互いの武器を一つずつ封殺された。
破壊音と共に、盾が静の右手側の塀に突き立てられ、槍と同じく、横薙ぎにその体へと向かって振り抜かれる。
無論、結果は変わらない。悪意と殺意を以て放たれた攻撃動作が、花蕗静へ届く事はない。だが——
「これで、後がないな」
一瞬緩めれば即死に至る、両側からの質量攻撃。
押し留めるその為、異能の両腕はここに封じられた。
だが、封じられて、しかし。
「抜かせよ——こっからだろうが」
尚、花蕗静の表情は、微塵も曇ることはなかった。




