第46話 羞恥心
オーバーペース気味のレース序盤が終わり、平均ペースの中盤が始まろうとしていた。
いまのところ大きな波乱はない。
もちろんレース序盤のわずかなハイペースも波乱の一種だが、あれぐらいなら許容範囲内だ。
だからこそ誰もが落ちついていて、竜群に乱れはない。
しかも2歳戦という経験不足の若駒でレースをしている自覚がちゃんとあるので、コーナリングの際には古竜でやるときよりも間隔を空けていた。
ただし重賞レース特有のタイトな竜群も健在だ。あくまでも万が一に備えてすぐに対処しやすい間隔を意識しているだけである。
「いつ仕掛けるかだな」
ゼルツェンと〈オレンジ〉は、事前の計画通り竜群の中団後ろで控えていた。順位でいえば16頭中の11番から12番目ぐらいである。
先行争いが激しかった影響から、竜群は先行集団でぼっこり膨らんでいて、後方集団は数が少ない。
先行した飛竜のうち何頭かは絶対にスタミナ切れを起こして垂れてくる。
だから後ろに控えた飛竜たちは、垂れてくる先行飛竜を回避しながら加速しないといけない。
当然見てから反応するなんて無理なので、どの飛竜が脱落しやすいのか目星をつけておいたほうがよい。
しかし目星をつける頭数が多すぎては、大味な大外ブン回しをするしかなくなるので、絶対に垂れてこないやつの後ろに入りこむことを意識してもよい。
もっとも垂れてこない飛竜は、有力候補であるデラリアと〈オンラインヒーロー〉だ。彼らは先行集団に位置していて、おおよそ7番手ぐらいで落ち着いていた。
デラリアはリーディング竜騎手だけあって、レース序盤で発生した激しい先行争いには積極的に関与していないため、〈オンラインヒーロー〉の翼はそこまで削れていなかった。
もしレースに波乱が起きなければ、こいつが先行抜け出しで1着になる可能性が高い。
ではその次の有力候補であるハヤテと〈クリムゾンパフューム〉がなにをしているかといえば、不気味なぐらいに最後方でじっとしていた。
もし先行集団がオーバーペースで潰れてくれるなら、ハヤテの位置は大正解なのだが、平均ペースに落ち着いたので少々不利なポジションである。
それでも師匠は慌てていなかった。
ゼルツェンは空想癖の応用を発動しているので、師匠のレース運びも分析できた。
答えはシンプルで、癖竜には教育騎乗が必要だし、万が一の暴走事故に備えて後ろを選択しているし、なにより飛竜の翼質的に後ろから末翼勝負で問題ないからだ。
つまり度胸が備わっていれば、たとえ大事な重賞レースであっても、少々の不利な展開ぐらいでは慌てないのである。
さすが師匠だ、とゼルツェンは思ったのだが、たぶんこのレースに騎乗しているベテランたちであれば誰でも出来ることなんだろうなぁとも思った。
では自分が同じ立場になったとして、はたして同じ判断ができるかというと、まったく自信がなかった。
慌てて動けばムダに翼が削れる。それでもこのペースで後ろに控えていたら本当に届くのかと不安になる。
もし2着以下になったら収得賞金が詰めないなら、クラシックレースが遠くなる。そうなったら調教師から竜主まで陣営全員に迷惑がかかってしまう。
ではどんなレース運びが正解だ?
そうやって判断がぐずぐずに乱れるのが実力不足の竜騎手の特徴だ。
現在ローカル開催で乗っている竜騎手たちは、だいたいペースを読めていないし、判断ミスも多い。
いまゼルツェンが判断ミスをしていない理由は、ただの偶然だ。
勝ちに行くためではなく、2着以内で収得賞金を手に入れるために、周囲のベテラン竜騎手たちの判断に乗っかっているだけなのだ。
自分より優れた竜騎手たちが作ったペースに乗って、中団より後ろに控えて最後の直線で末翼勝負すれば、一発あるかもしれない。
そう、これぞ展開待ちである。
事前に決めたプランをそのまま実行しているだけで、なんのアドリブもない。
もしアドリブを求められても、対応できない。
だからゼルツェンにしてみれば、波乱は起きないほうがいいのだ。
「いまは耐え忍ぶときだ。いつかもっとうまくなれば、戦略の幅だって広がる」
そう思った瞬間だった。
ゼルツェンと〈オレンジ〉の真後ろにいた飛竜が、突然まくりを始めた。
それはレース展開としては、ちょうど中盤をすぎたころで、竜群が向こう正面の半ばを迎えたところだった。
平均的なレース展開にも関わらず、なぜか13番目に控えていた飛竜が、先頭の逃げ飛竜に並ぶ勢いでポジションをあげたのだ。
なんでまくったんだ、とゼルツェンは軽くパニックを起こした。
理屈に合っていない。スローペースであればまくったほうがいいときがある。
だがこのレースは平均ペースだ。まくってもメリットが少ない。
他の飛竜たちはそこまで翼が削れていないし、自分の飛竜だけが翼が削れてしまったら、最後の直線の半ばぐらいで失速するだけじゃないのか。
しかし、もしまくることが正解だったら、あの飛竜が2着になってしまう。
そうなってしまったら、ゼルツェン陣営のレースプランが破綻することになる。
はたしてこの展開でまくりが正解になることはあるのか?
あの飛竜の鞍上だってG1を勝ったことがある竜騎手だ。実績も実力もあるなら、必ずまくった理由があるはずだ。
もしまくりが正解と仮定するなら、まくった飛竜の真後ろを利用して、スリップストリームの効果で体力を温存できるし――最後の直線で末翼が弾けて1着を取れるかもしれない。
だがまくりが間違いであったら、あの飛竜の真後ろについた時点で大敗北が確定する。
どうしたらいいんだろうか、とゼルツェンは真剣に悩んだ。いくら空想癖の応用を発動していても、まくりみたいな博打は分析が難しい。
そう、博打だ。
まくりが正解であるならば、あの飛竜を利用すれば、勝てるかもしれないのだ。
本来であれば勝てなかったはずのレースを、展開の妙味を利用して勝ててしまうのだ。
それはチャンスではないのか?
2着よりも1着のほうが収得賞金の額が大きい。
もし勝てればクラシックレース確定だし、古竜になってからも選べるレースプランが大幅に増える。
――欲張ってもいいんじゃないのか、だってチャンスが目の前に転がってきたんだから。
そう思ったゼルツェンが、手を動かそうと思った瞬間、真後ろから声が飛んできた。
「やめておけゼル坊」
師匠のハヤテがレース中にアドバイスした。
ルール違反ではないし、なにもペナルティはないが、同じレースに出走した敵が有利になるから、好ましい発言ではない。
しかし周囲のベテラン竜騎手たちは、ハヤテを責めなかった。
なぜならハヤテの助言は実に正しく、愚かな弟子の判断ミスを咎めるのは美徳だったからだ。
そう、ゼルツェンは危うく判断ミスするところだった。
なぜ判断ミスだと断言できるのか?
さきほどまくった飛竜だが、先頭の逃げ飛竜に追いついたあたりで、あきらかに限界を迎えていた。あんな調子では最後の直線に入ったあたりでバテバテになって最下位確定である。
つまりまくりは間違いだったのだ。
「俺は……なんて恥ずかしいやつだ……!」
ゼルツェンは羞恥心を感じていた。
経験不足で実力不足のザコだから、レース本番で師匠にアドバイスをもらってしまった。
もし実力が十分に備わっていれば、アドバイスをもらうことはなかったし、まくりについていくかどうか迷うこともなかった。
こんな醜態、二度とさらさないように、絶対にうまくなってやろうとゼルツェンは誓った。




