第45話 初めての重賞レース
かがり火ステークスG3、発走5分前。
現地には大勢の競竜ファンたちが駆けつけていて、今年もついに始まった2歳重賞を見届けようとしていた。
彼らの雑談はまるで拡声器のように広がって、コースで返し竜をしている竜騎手たちにも伝わっていた。
ゼルツェンは勝負甲冑の内側で結構緊張していた。デビュー戦のころよりは緊張していないが、それでも初めての重賞レースは責任の重さがずしりと内臓に押しかかっていた。
「飛竜谷と厩舎はやれるだけのことをやってくれた。あとは俺次第だ」
これまでのレースと圧倒的に違うことは『新人だから失敗してもいい』という甘えが一切許されないことだ。
まだ経験値を積んでいる最中だからと許されていたミスが、重賞レースでは貴重なチャンスを逃した愚かな行為として断罪されるのだ。
名誉は命と同じぐらい重い。得られれば天にも昇る気持ちだが、取り逃せば地獄に落ちることになる。
それでもゼルツェンは勇気を維持できていた。ただし手綱を握る指先が迷っていた。なぜなら経験値が不足しているせいで、ハイレベルなフルゲートのレースに慣れていないからだ。
「やることは決まってるんだから、あとは度胸で勝負するしかないんだ」
またたく間に時間は流れて、ゲートインの時刻になった。
実況アナウンスの音声が、場内と放送に流れた。
『今年も若駒たちの重賞レースが始まります。かがり火ステークスG3。来年のクラシックレースの有力候補になるのは、はたしてどの飛竜なのか。各飛竜続々とゲートインしていきます』
ゼルツェンと〈オレンジ〉も、返し竜を終わらせて、ゲートインを開始していた。
〈オレンジ〉は、いつもゼルツェンが乗っている癖竜たちと違って乗りやすい飛竜なので、驚くほどすんなりゲートに入った。
すでに空想癖の応用は発動していて、同じレースに出走する飛竜たちの状態をチェックしていた。
このレースでもっとも強い飛竜は、リーディング竜騎手デラリアが乗っている〈オンラインヒーロー〉だ。
とうもろこしみたいな黄色い鱗の牡で、手足も胴も翼もすべてが平均サイズ。いかにもクラシック路線を狙っていますといわんばかりの均一なボディバランスは、本日のレース向けにしっかり仕上がっていた。
いまのところ弱点はない。気性も問題ないし、ケガや不調もない。もし順当にレースが動いたら、勝つのはこの飛竜だ。
では二番目に強い飛竜が誰かといえば、ハヤテの乗った〈クリムゾンパフューム〉である。
こちらは気性の荒い牝竜で、ハヤテみたいな癖竜使いであっても、やや手こずっていた。真っ赤な鱗はギンギンに光っていて、健康的な汗をたくわえている。きっとエネルギーがあり余っているから暴れているんだろう。
この飛竜の弱点は気性の荒さだ。いくらハヤテであっても二戦目の飛竜であれば教育騎乗が必要になるので、肉体の適性に応じたポジション取りができない。おそらく末翼を期待してじっと最後方で我慢しているはずだ。
では〈オレンジ〉の序列がどれぐらいかといえば、フルゲート16頭のうち5番目だった。
こちらより強いやつが4頭もいる。その4頭とも大手飛竜谷が生産したやつなので、実家であるグラーブファーム生産の〈オレンジ〉が劣っていることが悔しかった。
グラーブファームは弱小飛竜谷だ。生産規模も資金もすべてが大手には負けている。いくらスタッフが優秀でも限界があった。
だからといってゼルツェンが『負けてたまるか!』と精神論を爆発させてしまうと、展開待ちの作戦を放棄することになって、よりひどい結果になる。
己を律することだ。
もし普通の勝負を仕掛けようものなら、能力通り5着になってしまう。
もちろん2歳重賞で5着は決して悪い成績ではない。ちゃんと本賞金が手に入るし、戦績表でもプラス要素として加算される。
だが2着以内に入らないと収得賞金が手に入らないので、クラシックレースを目指すのであれば物足りない結果なのだ。
もしこのメンバーが相手で、〈オレンジ〉が2着以内に入れる展開があるとすれば、先行した飛竜たちがお互いをけん制しあって翼を使いすぎたときである。
「運をつかむためには、ちゃんと展開を待たないといけない。我慢が大事ってことだ」
やがて全頭ゲートインが完了して、スターターの合図待ちになった。
『全頭ゲートイン完了です。落ち着くのを待ってから――スタートしました!』
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幼さを残した飛竜たちが一斉に飛び立って、それぞれの狙っているポジションに向かって殺到していく。
ゼルツェンと〈オレンジ〉だが、中団後ろで展開待ちすると決めているので、ゆっくりゲートを出てから、他の飛竜たちをあえて前にいかせて、どっしりと構えた。
そんなゼルツェンと〈オレンジ〉よりもさらに後ろを確保したのは、ハヤテと〈クリムゾンパフューム〉である。
こんな露骨に後ろを取りたがるなんて、よっぽど気性が危うい飛竜なんだろう。ゼルツェンは彼の弟子であり、同じ癖竜使いなので、心情を察した。
なおレース全体の傾向だが、先行争いが強烈だった。
逃げたい飛竜が2頭いて、番手につきたい飛竜が3頭もいたのだ。
5頭の飛竜がばっちりスタートを決めて、特売品に群がる主婦のように竜群の先頭に突撃したら、とんでもないスピードになってしまった。
あきらかにオーバーペースである。
ゼルツェンは勝負甲冑の内側でほくそ笑んだ。
「……先行争いでペースが上がってくれれば、こちらが有利だ」
これだけペースが上がってくれれば、最悪の展開であるスローペースからの前残りは絶対に発生しない。
もしそれをやられてしまうと、中団後ろで控えている〈オレンジ〉は不利になって、掲示板にすら入れなくなるからだ。
しかし今回は運よく先行した飛竜たちが争ってくれたおかげでペースが上がった。
少なくともレースの序盤は運をつかんだのだ。
だがここはメイン開催であり、G1常連の一流竜騎手だらけなので、そう簡単にはいかなかった。
各飛竜のポジションが定まった瞬間、先頭を飛んでいる飛竜が巧みにペースを調整して、ふと気づいたら平均ペースまで落ちついていたのだ。
せっかくゼルツェンは運をつかんだのに、それを一流竜騎手の技術でひっくり返されたのである。
「さすがにうまいか」
メイン開催に出場している竜騎手たちは、みんなうまい。とくに重賞レース常連のベテランだと、ペース判断が機械のように正確だ。
いったいどうやってあれだけ体内時計を正確に設定できるのか知りたいところだが、展開待ちと決めたのだからゼルツェンはひたすら待つしかないのだ。
それにいくらペースを落ち着かせたところで、スタート直後に先行争いした疲労は消えない。
その疲労分が先行集団の足かせとなって、中団後ろで控えているゼルツェンに一発をもたらすかもしれない。
まだレースは四分の一しか終わっていない。
残り四分の三で、こちらに都合のいい展開が発生することを待ちたい。




