第44話 収得賞金と飛竜の成長曲線
重賞レース前夜の調整ルームの雰囲気だが、やっぱりピリっとしていた。
もし2歳重賞を勝てれば、クラシックレースの直通チケットを手に入れたようなものなので、大手飛竜谷の有力飛竜の騎乗をまかされた竜騎手ほど責任が重くなりがちだった。
それでもG1常連の竜騎手たちであれば、適度にリラックスできていた。
たとえば師匠のハヤテとリーディング竜騎手のデラリアは平常運転だった。
「今日は囲碁で勝負じゃ、デラリア」
「のぞむところだ、ハヤテ」
なんだかんだ仲がいいのが、ここの同期コンビだった。
さて若手で落ちこぼれ世代のゼルツェンが重賞前夜になにをやっているかといえば、ひたすら脳内でレース本番のシミュレーションをしていた。
今回参戦する〈かがり火ステークスG3〉では空想癖の応用を全力で使うので、そのためにも大量のデータが必要なのだ。
だから同じレースに出走するライバルたちが新竜戦を勝つレースシーンと、数々の調教データを吟味していると、悲しい結論が出た。
普通にやったら勝てない。
いわゆる、展開次第では一発ある、という評価になってしまった。
たとえゼルツェンが現役生活二年目の若輩者であっても、空想癖の応用のおかげで〈オレンジ〉の限界値と、同じレースに出走する有力飛竜たちの能力が比較できたのだ。
〈オレンジ〉が弱いのではなく、ライバルたちが強いのだ。
もしこれが条件戦であれば、1勝クラスから2勝クラスは無難に飛ぶだけで勝てるだろう。
しかし2歳重賞は世代上位の良血が集まるので、優秀な飛竜程度では一手足りなくなってしまうのだ。
「困ったなぁ……」
困ったとひとりごとをつぶやいたが、やるべきことは〈オレンジ〉にとって有利な展開を待つことだけだ。
うまくいけば勝てるし、重賞レースなので2着に入れば収得賞金が積み上がる。
収得賞金とは、上位グレードに出走登録するときに参照される数字で、各レースの一着ないし重賞レースの二着までに入着することで手に入る。
ざっくりいえば、収得賞金の高い順に重賞レースの出走登録が受け付けられるので、もし足りなければ除外されてしまう。
逆に考えれば、G1レースであっても、フルゲートを満たしていなければ、条件戦クラスの飛竜であっても出走できてしまうわけだ――ただしこれは極論であって、実際にはほぼ運用されないが。
「なんとかして2着にねじこめないものかなぁ……」
2歳重賞で収得賞金をちょっとでも上積みできれば、将来のレース設計が楽になるのだ。
だが3着以下になってしまうと収得賞金が手に入らないので、3歳になってからあらためて積みなおすことになる。
それでは時間がもったいないので、なんとか2歳重賞で結果を出したい。
――――という焦りから騎乗ミスして、大きな事故を起こす可能性があるから気を付けるように、とハヤテに教えられていた。
実際その通りだった。とくにゼルツェンのような重賞初挑戦の未熟な竜騎手であれば、身の丈以上のことを望まないほうがいい。
「……まぁ今回のレースに関しては、まさに一発狙いで控えたほうがよさそうだな」
もし無理に1着を狙いにいこうとすると、事故が起きるか、もしくは仕掛けどころを間違えて失速して9着とかになる可能性がある。
だから展開待ちだ。〈オレンジ〉にとって美味しい流れを待つしかない。
道中は竜群の中団後ろぐらいに控えてチャンスを待とう。
● ● ● ●
翌日、レース当日だ。2歳重賞は土曜日開催である。日曜日は古竜用の重賞レースがあるのだが、そちらに関してはゼルツェンは乗鞍がない。
なんなら土曜日も〈オレンジ〉以外の乗鞍がない。
つまり今回のメイン開催も、個人的に縁の深い竜舎からしか騎乗依頼をもらえなかった。
「技術に信用がないと、メインじゃ乗鞍もらえないか」
嘆いたところでなにも始まらない。とにかく〈オレンジ〉と一緒に初めての重賞レースを乗りこなすことだけを考えたほうがいい。
ひたすら一流竜騎手たちの騎乗を現場で確認して、わからないことがあったら直接質問して、自分のレースの出番を待った。
たぶん質問攻めばかりの鬱陶しい新人だと思われているんだろうが、ゼルツェンにとっては座学が命綱なので、評判や名誉を捨ててひたすらコミュニケーションした。
とある先輩竜騎手には苦言を呈された。
「お前のせいで貴重な休憩時間が削れるんだよ」
それはたしかに悪いことだ。ゼルツェンもそう思った。しかし背に腹はかえられないとも思っていた。
「申し訳ありません。それでも知りたいことがたくさんありまして」
才能がないことは自覚している。だからこそ努力でカバーするしかない。そこには質問攻めもふくまれているわけだ。
「厚かましいやつ」
「はい、俺がうまくなるまで、ご迷惑おかけします」
謝罪をしながら、質問攻めをやめるつもりがなかった。
それはきっとゼルツェンの良いところであり悪いところなのだが、本人はうまくなりたい一心なので、まったく気づいていなかった。
やがて一流竜騎手たちはゼルツェンの熱意に押されて、ちょっとずつ扱いがよくなってきた。
「わかったよ。やる気だけは認めるよ。でも日々のトレーニングだとか、調教関連の細かい質問は、トレ谷で聞いてくれ」
少なくともやる気だけは認めてもらえたらしい。実にありがたいことだった。
こうして新しい学びを得たところで、ついに2歳重賞〈かがり火ステークス〉の時間がやってきた。
● ● ● ●
ゼルツェンは騎乗所でプラット調教師と合流して、〈オレンジ〉に乗った。
「プラット先生、中団から後ろで行きます。狙いは展開待ちです」
「そうだな。先行する飛竜の数が多いし、重賞レースは竜群がタイトだから、まずは雰囲気に慣れたほうがいい、お前も〈オレンジ〉も」
ゼルツェンは他の陣営に聞こえないように、ぼそっと小声でプラット調教師に伝える。
「普通にやったら勝てないので、一発狙いですよ」
プラット調教師も咳払いしてから、他の陣営に聞こえないように小声で返した。
「……それはわかってる。だから有利な展開を待って、もし普通のレースになるようだったら、2着を狙っていけ」
〈オレンジ〉はライバルたちにポテンシャルで負けている。それは調教師も竜騎手もわかっていた。
だから展開待ちをしつつ、無理そうなら2着を狙う作戦で同意した。
サッカーや野球みたいな純粋なスポーツであれば、負けることを前提に戦いに挑むなんてスポーツマンシップに反しているんだろう。
だがここは飛竜の維持コストが発生して、莫大な賞金がかかっている競竜場だ。
目の前の一戦にすべてをかけるよりも、飛竜の人生を長いスパンで見て、もっとも強いタイミングで勝負するほうが正しいのである。
「プラット先生、将来〈オレンジ〉の体が成長したら、このレースに出走するライバルたちにあっさり勝てるかもしれませんよ」
「いくらでもありえる話だな。なんなら大人になった〈オレンジ〉の距離適性が実は長距離ってこともありえる」
「誰にもわからないですからね、飛竜の成長曲線」
「そういうことだ。なんならゼルツェンの成長曲線だってわからんぞ、意外にハヤテよりうまくなるかもしれん」
師匠よりうまくなることだけはないだろうなぁと思いつつ、でも自分自身の可能性を諦めてしまったら竜騎手という技術職に就いた理由もないんだろうなとも思った。
「まずはこのレースでつかんできますよ、いまの自分の限界ってやつを」




