第4話 偽名での生活
もし本名で小学校に通えば、ほぼ確実に父親の話題で騒動が起きる。
それを避けるために、ヴァルケナンは偽名を使って、田舎の小学校に通うことになった。
ゼルツェン・ハルパー。
名前も苗字も架空のものだ。なんなら経歴も偽装してあって、グラーブファームに住み込みで働く夫婦の子供として登録してあった。当然ハルパー夫妻なんて実在しない。すべてが架空だ。
ただしちゃんと公的な書類も揃えてあるので、統合政府の記録上は存在していることになっていた。
しかし小学生が偽名で暮らすのは、さすがに苦労した。
常日頃、偽名を使っていることを意識しておかないと、誰かに名前を呼ばれたときに自分のことだと認識できないのだ。
たとえば授業中、担任の先生に指名されたとき、これが起きる。
「ゼルツェンくん、ゼルツェンくん、こらなに無視してるの!」
しまった、と思っても時すでに遅しだ。
ガミガミと担任の先生にお説教されるわけだが、ひたすら我慢するしかない。
なんだか理不尽だなぁと思うものの、それでも本名で学校に通うより何百倍も楽なわけで、早く偽名に慣れるしかなかった。
そうやって数か月ゼルツェンとして小学校に通い続ければ、ようやく偽装経歴に慣れてきたし、田舎の学校でも友達ができた。
だいたい農家とか漁師の子供であり、あとは飛竜谷のスタッフの子供だ。
だから話題は共通だ。とあるファームの子供が、ヴァルケナン=ゼルツェンに自慢した。
「うちのファームの飛竜がさ、デビュー戦で1着になったんだよ!」
「すごいじゃないか。大手の良血飛竜も倒したんだろう?」
「もちろん! なにがセリで数億の飛竜だよ。うちの300万の飛竜に負けてやんのー!」
こういう話題についていけるようになっただけあって、ヴァルケナン=ゼルツェンは学校が終わってからグラーブファームの仕事を手伝っていた。
飛竜を育てるのは楽しい。苦労も多いが、やりがいもあった。
あとは生産した飛竜に高値がつけば万々歳なのだが、セリはどうしても超大手飛竜谷が生産した良血飛竜にばかり注目が集まることになる。
ヴァルケナンの母親は、グラーブファームの帽子をぽーんっとソファーに投げ捨ててから、帳簿の数字をにらみつけた。
「せめて1.5倍の値段で売れないものかしら……」
高値で売れないのであれば、収入が少なくなるわけで、田舎に引っ越してきてからの生活は厳しいものになった。
ヴァルケナン=ゼルツェンは、貧乏生活と偽名で暮らすストレスで空想癖が加速していた。
休憩時間だけではなく授業中でも、もしお金持ちに戻れたらどんな生活をしようかなぁ、と空想していた。
おもちゃもお菓子も買い放題。好きなところにいつでも行ける。偽名も名乗らずに本名で自由に生きられる。
そこで空想癖がぴたっと停止して現実に戻った。
もしかして偽名のまま大人になるのか?
それが良いことなのか悪いことなのか、小学生の浅知恵ではなにもわからなかった。
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小学校を卒業して、中学校に昇級して、完全に体が田舎生活に馴染んだところで、ビッグニュースが飛び込んできた。
かつての許嫁であるティアが、競竜学校の調教師部門に入学したのだ。
どうやら彼女は大学を飛び級で卒業したあと、難関である調教師部門に合格したようだ。
わずか16歳で大卒になっていて、しかも調教師部門に合格するというのは、異例中の異例らしい。
さすが調教師の名門ジリカン家のご令嬢であった。
彼女に触発されて、ヴァルケナン=ゼルツェンの脳内に進路という言葉が具体的に浮かんできた。
「……竜騎手になれば、大帝がどうやって父さんの冤罪を証明しようとしたのか、わかるんじゃないか?」
夢というべきなのか、野望というべきなのか、父の冤罪を証明したい気持ちは日に日に増してきた。
それに偽名のままグラーブファームの仕事を手伝っていれば、現役の競竜関係者と会話する機会も増えた。
ヴァルケナン=ゼルツェンは、赤の他人のフリをしながら、父ゴルドザーム・カルペルの話を彼らにたずねることにした。
「かつての天才ゴルドザーム・カルペルって、どんな竜騎手だったんです?」
もし悪口を言う人だらけであれば、たとえ自分が竜騎手になっても冤罪を証明できないだろう。
だが、九割ぐらいの人がこう答えた。
「あんなことをする人だと思えない。なにかの間違いじゃないのか?」
実際の関係者たちは擁護する人ばかりだった。
だからヴァルケナン=ゼルツェンは確信した。
「父さんが、なんの理由もなく鍾乳洞コースに入るはずがない。絶対に理由があるはずだ」
息子としての確信だった。絶対に父は無実だ。かつて大帝が冤罪を客観的に証明しようとしてくれたが、あれは真実だったのだ。
ならば冤罪を晴らすためには、やはり竜騎手になって因縁の魔王賞を勝つしかない。
そう決めた。15歳の燃え盛る魂が、一直線になって突っ走った。
親にも教師にも相談しないで、競竜学校の竜騎手部門に出願した。
調教師部門と違って、難しい試験があるわけではなくて、体力測定とモラル審査があるだけなので、おそらく合格するだろう。
なお出願の際に迷ったこともあって、本名で登録するかどうかだ。
いまの自分にとって重要なことは、父の冤罪を晴らすことだ。ならば偽名のままのほうがやりやすいと思った。
それに世間体のために母親ごと切り捨てたカルペル家に不信感があったので、いっそのこと今日から偽名を本体にして生きようと思った。
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中学校を卒業する数か月前、競竜学校から合格通知が届くと、母親は泣いた。
「どうして死ぬかもしれない仕事につくの? このまま飛竜谷で働けばいいじゃない。学校を卒業すれば、本名で暮らせるのよ?」
まさか泣かれるとは思わなくてヴァルケナンあらためゼルツェンは動揺した。
だが意思は変わらなかった。
「父さんの冤罪を証明するためだ」
「それでもあなたが死んでしまうほうが怖いわ」
母親にとって競竜とは、夫を奪った競技になってしまったんだろう。
しかしそれは偽善ともいえた。もし競竜そのものを忌避しているなら飛竜を生産しなければいい。
だが現在進行形で飛竜を生産しているし、飛竜谷をたずねてくる竜騎手たちと交流もある。
つまり自分の息子だけ安全なところに置いて特別扱いしたいだけなのだ。
そういう卑怯な態度に乗るわけにはいかなかった。
「死を恐れていたら、父さんの冤罪を証明できない。今日から俺は正式にゼルツェン・ハルパーだ」
こうしてゼルツェン・ハルパーは、母親になにをいわれても振り返らずに、真っすぐな瞳で競竜学校に入学した。




