第36話 メイン開催の調整ルームは、空気がぴりぴりしていた
ゼルツェンは、デビューしてから初めてメイン開催に登録した。
となれば調整ルームも、メイン開催場の近くにある拠点を使うことになる。
見た目と仕様だけは、いつものローカル開催で使っている拠点と一緒だ。
だが雰囲気が違っていた。
G1でおなじみの竜騎手ばかり集まっているせいで、まるで微弱な電流が流れているようにビリビリしているのだ。
こんないまにも口論が発生しそうな雰囲気で、はたして落ち着いて一晩すごせるんだろうか。
ゼルツェンがすっかり萎縮していると、師匠のハヤテが駐車場から現れた。
当たり前だが、師匠は凄腕の超一流なので、ほぼすべてのレースをメイン開催で乗ることになる。
だからなのか、まったく緊張していないらしい。
「そんな緊張してどうするんじゃ、ゼル坊。ほれ、ワシと一緒にダンスして緊張をほぐすぞ」
ハヤテは、調整ルームの出入口にある全身鏡の前でダンスをはじめた。
こちらの鏡は、ネクタイの角度や髪型をチェックするためにあるわけだが、ハヤテはダンスのフォームをチェックするために使った。
なんて図太い神経だろうか。
しかも金曜の夜なんだから、竜騎手たちとスタッフたちが次々と調整ルームにチェックインするため、人通りが多い。
それでもハヤテは他人の目なんて気にせず堂々と踊る。
なお彼が公の場で踊っているのはいつものことなので、もはや関係者たちが驚くことすらなく、あぁまたハヤテが踊ってるのか、ぐらいのリアクションだった。
そこだけは弟子のゼルツェンだって同じリアクションをするわけだが、しかし自分自身が踊るとなれば話は別だった。
「ハヤテさん、俺は踊らないですからね。こんな人前で踊るなんて恥ずかしいんですから」
純粋に恥ずかしい。ダンサーでもないのに、なぜ公衆の面前で踊らないといけないのか。
いくら師匠のお誘いでも、嫌なものは嫌である。
しかしハヤテは、びしっとポーズを決めながら、ゼルツェンを諭した。
「ゼル坊、踊ることで初めてわかることもあるんじゃぞ?」
「それはさすがに嘘ですよ。プラット先生だって言ってたじゃないですか」
「いいや本当じゃ。少なくとも癖竜乗りにとっては真実じゃ」
「えぇ……本当ですかぁ?」
癖竜に乗らせたら世界一の男がそこまでいうなら、もしかしたらちょっとは真実なのかもしれない。
そう思ったゼルツェンは、控えめに踊りはじめた。
……やっぱり恥ずかしいではないか。本当にこんなことをして癖竜乗りのスキルがパワーアップするのか?
とゼルツェンが疑った直後、誰かが調整ルームに入ってきた。
ハヤテの同期でありリーディング竜騎手のデラリアが、出入口で踊っている師弟コンビに苦言を呈した。
「お前ら師弟は、建物の出入口でそんなことをやってて恥ずかしくないのか?」
少なくともゼルツェンは恥ずかしかったから、ダンスをぴたっとやめて、水分を失った長ネギみたいにしなしなになった。
しかしハヤテはまったく動じていなかったし、むしろ激しいダンスに切り替えた。
「ははぁーん、さてはデラリアめ、師匠と弟子がダンスで親交を深めてることが羨ましいんじゃろ?」
「ぜんぜん羨ましくない」
「無理をせんでもええぞ。お前は堅物じゃから、弟子を育てるのが下手すぎて、ワシが羨ましいんじゃろ」
「本当に羨ましくない……!」
「まったく素直じゃないのぉ、かっかっか!」
「ふざけるなハヤテ、チェスで勝負だ!」
「ええぞ、望むところじゃ」
ハヤテとデラリアは、ばちばちと火花を散らしながら、調整ルームの奥に入っていった。
ぽつんと取り残されたゼルツェンは「きっとレース前夜であろうとも、あれぐらい関係ない話ができるぐらいの強いメンタルが必要なんだろうな」と納得した。
● ● ● ●
メイン開催になろうとも、調整ルームでやることに変わりはないようだ。
G1常連の凄腕騎手たちは、ローカル開催の竜騎手たちと同じように。食堂で休憩したり、遊行ルームでビリヤードをやっていた。
だからゼルツェンもいつも通り、競竜専門誌や通信機能をオミットされたタブレットを使って、大量のデータを頭に入れていた。
あとは空想癖を利用してレースプランを組めばいいだけなのだが、前回のレースで弱点が発覚したので、使いどころに困っていた。
弱点――空想癖を使ってレースプランを組みすぎると、ブレーキが壊れて空想癖が日常を浸食してくる。
レース後にブレーキが壊れるならまだ救いもあるのだが、もしレース中に壊れたら自分以外も巻き込む事故に繋がってしまう。
ローカル開催であれば、土日合わせて4鞍すべてに空想癖を使っても、ブレーキは壊れなかった。
だが土日で6鞍はブレーキが壊れた。
では今週はどんな条件で乗るかといえば、メイン開催で、土日合わせて2鞍だ。
いくらローカル開催の4鞍が問題なかったとしても、メイン開催の2鞍で空想癖のブレーキが壊れる可能性はあった。
なぜならローカル開催とメイン開催では、脳の負荷が異なるからだ。
ローカル開催は、飛びやすいコース形態で、かつ竜騎手たちのレベルが低いので、負荷は軽い。
しかしメイン開催は飛びにくいコース形態であり、しかも竜騎手たちのレベルが高い。
もしメイン開催2鞍で空想癖のブレーキが壊れるようなら、使ってはいけないことになる。
「どうしたもんかなぁ……」
ゼルツェンが競竜専門誌を読みながらぼやくと、チェスを終わらせた師匠のハヤテが隣に座った。
「さては空想癖を使ったレースプランのことで悩んでおるな、ゼル坊?」
「なんでわかったんです、ハヤテさん?」
「ああいう脳の負荷を重くする技術は、どこかで無理が出てくるもんじゃ」
もしかしたらハヤテのような超一流の目線では、ゼルツェンの空想癖によるレースプランの組み立ては無駄なエネルギーの浪費に見えているのかもしれない。
だがゼルツェンにしてみれば、他に勝てる手段がない。
だからなんとか工夫して使うしかない。
「ちなみにローカル開催で4鞍だったら問題なかったんですよ。でも6鞍でおかしくなったんです」
「ゼル坊の基礎の力が不足しておるから、1レースあたりの負荷が大きすぎるんじゃろ。もっと上手になれば、空想癖を使っても負荷が下がるし、さらにうまくなってワシとかデラリアと同じレベルになれば、そもそも空想癖を使う必要がなくなる」
さすがにハヤテは超一流だ、空想癖の弱点をちゃんと理解している。
「だったらどうすればいいんでしょう。基礎の力が上達するまで、空想癖で乗り切りたいんですが」
「数を絞ればよかろう。難しいレースだけ空想癖を使って、着拾いをやるときは使わないでええわけじゃ」
着拾い。競竜は8着までに出走奨励金が出るから、そこを狙って飛竜を出走させることがある。
負けることを前提に賞金狙いで出走するなんて、勝負の世界としては不健全なのだが、しかし競争飛竜は維持費が高いから、それを補うための戦略は必須だった。
着拾いの乗り方は、とにかく先行して8着内に粘り切るか、もしくは後ろに控えて最後に末翼だけ使って8着内に飛び込むかだ。
この乗り方であれば、空想癖は必要ない。
「少なくとも今週のレースに関しては、全部に空想癖を使っても問題なさそうですね。土日で2鞍しか乗らないので」
「空想癖の弱点をクリアしたことはいいんじゃが、乗鞍がたった2つとは少ないのぉ。しかも両方とも縁のある竜舎限定じゃ」
「しょうがないですよ。メイン開催になると、俺以外にうまい人たくさんいるんですから」
「そこで満足したら成長が途切れるぞ」
さらっと流れるような説教だが、勝負の世界の前提条件だろう。
いまの自分に満足したら、そこで成長が止まる。
だから常に上を見ていないといけない。
「はい、がんばります」
「では風呂にでもいくかの」
「いきましょう」
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調整ルームの巨大な風呂場に入るわけだが、壁画に魔王城が描かれていた。
魔王城は太古の昔に観光地化していて、しかも魔王賞の行われるコースに組み込まれているので、ゼルツェンは父が亡くなった鍾乳洞コースを思い浮かべることになった。
「ハヤテさんは、ゴルドザーム・カルペルが鍾乳洞コースを飛んだこと、倫理観の以前に、技術的に可能だったと思いますか?」
ハヤテは湯船につかりながら、壁画の魔王城を見つめた。
「当然可能じゃ。歴代の魔王賞で、あそこを通って勝った陣営がいくつかあるでな。身近なところでいえば、晩年の大帝があそこを通って三冠取っておるし」
そう、他でもない大帝が鍾乳洞コースを通過して魔王賞を勝っている。
だからこそゴルドザームの冤罪を晴らせる唯一の人物だったのだが、その直前に病死してしまった。
「大帝は、もしかして自分自身の経験から、ゴルドザーム・カルペルと《フラミニア》が、どうして鍾乳洞コースを飛ぶことになったのか、知っていたんじゃないですか?」
「その可能性は高そうじゃが、しかし中身はまるでわからんな」
「そうですよねぇ……」
「ゴルドザーム先輩が、あんな危ないコースを使うとは思えん。当時のことを思い出しても、まったく辻褄があわん。謎が深まるばかりじゃな」
ゼルツェンも竜騎手になって2年目を迎えたことで、ゴルドザームと《フラミニア》の選択は、辻褄が合わないし謎が深まるばかりだと思っていた。
いまのところ、謎を解き明かせるほどのそれらしいヒントも拾えていない。
だからこそ、いつか他でもない自分自身が魔王賞に挑むことで、謎を解き明かすつもりだった。
そのためには、もっとうまくならないといけない。
まずは目の前にある1勝クラスからだ。




