第35話 どんな竜騎手にも引退の時期がやってくる
休日の月曜日をはさんで、火曜の出勤日となった。
ゼルツェンは、いつものように太陽が昇る前に起床して、同期の仲間や独身の先輩たちと挨拶をかわしつつ、自転車でプラット竜舎に出勤して、このタイミングで更新された競竜ニュースに驚いた。
【速報、ラースロン竜騎手、引退を表明:今年いっぱい乗って、ラストレースは年末】
多少の驚きはあった。だが想定内であった。
元来からの技術不足、アラフィフになったことによる体力の衰え、先週のレースの大失敗……すべて引退のファクターだったからだ。
それでも心の準備は整っていなかった。
お世話になった先輩が引退を決意したレースで勝利したのは、ゼルツェンだったからだ。
「プラット先生、俺は、どういう顔をして、ラースロンさんと会えばいいんでしょう?」
プラット調教師は、健康診断の数値を悪くしている甘いドーナッツとカフェラテを飲みながら、こう教えた。
「たしかに引導を渡したのはお前だが、勝負の世界ではよくあることだ。無理に気を使いすぎないでいい」
「そりゃそうなんでしょうが……でもやっぱ気まずいですね」
「気まずいかもしれないが、よくあることだし、いつかはお前も誰かに引導を渡されるんだよ」
勝負の世界だから、年老いて能力が下がれば、いつかは若手に抜かされる。
その順番がラースロンにも巡ってきた。ただそれだけのことなんだろう。
たしかにその通りなのだが、次に顔を会わせたときはちゃんと挨拶しよう。
無理に気を使いすぎる必要もないだろうが、調整ルームやローカル開催で散々お世話になったんだから、お礼はいうべきだ。
ラースロン引退関連の方針は決まったので、クラシック路線について考えることにした。
「先生、《オレンジ》の次走って、どこになったんです?」
「北半球の夏シーズンに、2歳用の中距離重賞があるから、そこに出すことにした」
「なら放牧ですか。いまから夏が楽しみですね」
「ああ、本当だ。いまから楽しみだな。さてゼルツェン、お前の次の目標は、ティア竜舎の《アドバルーン》で1勝クラス勝つことだろう?」
「はい。今週は《アドバルーン》の番ですよ。勝ちたいですね。問題は、出走登録した場所がメイン開催ってことなんですけど……」
短距離の1勝クラスで、いまの時期に登録できるちょうどいい番組が、惑星全土のローカル開催になかったのだ。
だからメイン開催の短距離1勝クラスに出走する。
ただし問題点があって、メイン開催に登録された飛竜と竜騎手は強すぎることだった。
「わかってると思うが、メイン開催にはうまいやつしかいないからな。心してかかれよゼルツェン」
「がんばります」
いまの時点で緊張しているのだが、楽しみなこともあった。
師匠のハヤテと同じ調整ルームで過ごせる。
これまでずっとゼルツェンはローカル開催で、ハヤテはメイン開催だったから、別々の調整ルームだったのだ。
師匠以外の竜騎手もことごとく凄腕ばかりなのだから、なにか新しい発見があるかもしれない。
週末が待ち遠しかった。
● ● ● ●
ゼルツェンは、《アドバルーン》の最終追いきりを終えた。
その内容を、元許嫁で調教師のティアに報告した。
「調子あがってますね。他の飛竜を嫌う癖はいまだに強いですけど、人間に対する信頼は改善傾向にあるみたいです」
ティアはタブレットで報告内容を記録しながら、こう答えた。
「《アドバルーン》に関しては、あなたに言われたとおり、日々のお世話から軽い運動まで、徹底してスタッフ側が他の飛竜と接触するシーンを見せないようにしたので、その成果が出ましたわね」
「ここまで劇的に変わるなら、もしかしたら独占欲が強いのかもしれません、《アドバルーン》は」
独占欲という単語に反応して、いきなりティアがゼルツェンの肩をガシリっと鷲掴みした。
「ところでゼルツェン・ハルパー、あなた競竜学校の同期に若い女の子たちがいますが、まさかその子たちと仲がいいんですの?」
ティアの顔は般若のように恐ろしいし、鷲掴みする手はまるで獲物を捕食する猛禽類のようだった。
ゼルツェンは得体のしれない恐怖を感じて、やや怯えながら答えた。
「い、い、いや普通の関係ですが……っていうかティア先生、顔が怖いんですけど???」
「怖くないですわ。ただちょっと気になっただけですから、ちょっとだけ、ええちょっとだけ!」
ちょっとだけといいながら、いまにも刃物で刺してきそうな迫力があった。
いったいなぜティアはこんなに圧力をかけてくるんだろうか。
昔からの彼女の行動パターンを思い返してみれば、そういえばゼルツェンが小学校6年生のころ、同級生の女子と遊んだときにこういう顔をしていた。
だからといって、なぜ社会人になってから、こんな圧力をかける必要が?
…………まさかゼルツェンが偽名で、ヴァルケナンが本名だとバレそうなんだろうか。
なんだか怖くなってきたので、彼女の前では、他の女の話をしないようにしようと思った。
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ゼルツェンが担当しているすべての飛竜の午前調教を終わらせて、お昼休みになった。
ぶらりと食堂にいけば、引退報道の出たラースロンと遭遇した。
どうやって話しかけようか迷ったが、そのままストレートにいった。
「ラースロンさん、引退するんですね」
「こそこそ調教師試験の勉強しておいてよかったよ。もし今年受からなくても、来年もがんばるつもりさ」
雲ひとつない青空のように、晴れ晴れとした顔だった。きっと人生の新しい目標が見つかったので、心の疲れが吹き飛んだんだろう。
これだけ良い顔をしているなら、引導を渡した立場としても心が軽かった。
「受かるといいですね、調教師試験」
「絶対合格してやるさ。もはや騎乗依頼減りまくって暇だからね。はっはっは」
ラースロンは太陽のように明るくなっていた。
調教師であれば向いていると思うので、本当にがんばってほしい。
という感じでラースロンと会話していたら、師匠のハヤテも食堂にやってきた。
ラースロンは、おもむろに胸ポケットから、野球チップスの古いカードを取り出して、それをハヤテに渡した。
ハヤテは目玉が飛び出しそうなほど驚いた。
「こ、これはネットが普及する以前の懸賞限定の非売品カード!? 希少性が高すぎて、まったく出回ってないから、どれだけお金を積んでも手に入らないという……こんなレアなものをワシに!?」
どうやら希少性の高いレアカードだったらしい。
そんな高価値なものを渡したラースロンだが、ハヤテと握手した。
「これをプレゼントするから、ゼルツェンを強くしてやってくれ。とてもいい素質を持ってるんだ」
ゼルツェンは、じーんと感動した。
ラースロンは真の人格者だった。まさか引導を渡された相手がさらにうまくなれるように、これだけ高価格なものを譲ってしまうなんて。
彼の調教師試験チャレンジ、本当にうまくいってほしかった。
さてレアカードを手に入れたハヤテだが、高温で溶けるバターみたいな笑みを浮かべつつ、ぐっと親指を立てた。
「ははは、ラースロン先輩に言われずとも、弟子のことは強くするのでな、安心して調教師試験に臨まれよ」
「それなら安心だ。それとオレ自身についても教えてほしいんだが、自分なりに弱点と向き合ったんだが、結局引退まで直らなかったよ。原因はなんだと思う?」
「適材適所。先輩は最初から調教師向きで、竜騎手向きじゃなかったということじゃろう」
「はっきりいうなぁハヤテ。だがそれが真実なんだろう。それじゃあ、残りの竜騎手人生を楽しむことにした。次のレースで会おう」
そう言い残して、ラースロンは食堂を出ていった。
第二の人生を歩き始めた男の背中には、まばゆい希望の光と、困難を示唆する影が重なり合っていた。
調教師試験はシンプルに難しく、毎年合格者が少ない狭き門だ。
それでもうまくいってほしい。お世話になった先輩が調教師試験に合格しますように。そうゼルツェンは神様に願った。




