第34話 勝負の世界の掟と空想癖の限界
ゼルツェンと《オレンジ》は、竜群の中団でじっと構えていた。
前方に7頭、後方に8頭、ちょうど真ん中である。
レースのペースは、いまのところ平均ペースだ。ラースロンと《アールケーハインド》が先頭を確保していて、彼らがペースメーカーである。
ゼルツェンと《オレンジ》より後ろに控えた飛竜たちは、おそらく教育騎乗が目的だ。
教育騎乗とは、勝つための乗り方をあえて捨てて、後ろに控えることで気性が難しい飛竜をレースに慣れさせるための乗り方だ。
いきなり初戦から勝とうとしても、能力以前に性格的に難しい新竜というのはいくらでもいる。だから教育騎乗は珍しくない。
ちなみに《オレンジ》に関しては、いきなり勝ちにいっても問題ない。ポテンシャルは高いし、操縦性も良好だからだ。
ではラースロンと《アールケーハインド》が、勝ちに行く乗り方をしていいのかというと、逃げてはいけないはずだった。
ゼルツェンが持っている情報と、《アールケーハインド》の返し竜を観察した感じだと、たぶん逃げたら掛かり癖がつくのではないだろうか。
掛かり癖というのは、どんな距離だろうと、どんなペースだろうと、ひたすら加速して前に行きたがるようになってしまうことだ。
一度こうなってしまうと矯正するのが難しくなるので、たとえ負けることになろうとも後ろから行くことが鉄則だ。
もしゼルツェンが《アールケーハインド》に乗るなら、絶対に竜群に入れて控えさせていた。
「大丈夫なんだろうか、ラースロンさんは」
そうつぶやいたとき、レースは向こう正面を過ぎて、第3コーナーに入って――そこからレースのペースが加速した。
先頭でペースを作っている《アールケーハインド》が、掛かってしまったのだ。
鞍上のラースロンが、勝負甲冑の内側で血相を変えた。
「落ち着け《アールケーハインド》、なんで掛かってるんだ!?」
なんで掛かったのではなくて、いかにも掛かりそうな飛竜で逃げたら、こうなって当然だった。
ゼルツェンの空想癖に、このパターンは想定されていたので、加速していくペースに乗らないで、マイペースをひたすら貫いた。
なお先行集団の飛竜たちは、デビュー戦ゆえに興奮してしまって、《アールケーハインド》のハイペースに乗っかってしまい、どんどん加速してしまう。
レースは混沌としてきた。
やがて第4コーナーを過ぎて、最後の直線。
あまりにもペースが早すぎたので、すでに先頭の《アールケーハインド》は失速していた。
次々と後続集団に抜かされて、ラースロンはまるで迷子の子供みたいにブルっと震えた。
「やってしまった……やってしまったぁ……!!」
取り返しがつかない騎乗ミスである。
せっかく素質飛竜をまかされたのに、教育騎乗しないで逃げたのが原因だ。
正直、擁護はできない。同情はするが、それは勝負の世界では傷口に塩を塗る行為になるだろう。
さて他の飛竜たちがどうなったかといえば、《アールケーハインド》のペースアップに巻き込まれた先行集団すべてが失速。
その結果、教育騎乗するはずだった後方集団が有利な展開になる。
その後方集団の先陣を切っているのが、ゼルツェンと《オレンジ》であった。
どんどん加速していくペースを完全に無視して、マイペースに飛んでいたおかげで、余力は十分だ。
手綱を操作して、エアベルトの一番端っこに《オレンジ》を持ち出すと、スパートをかけた。
力強い加速で、前から垂れてくる先行集団をごぼう抜き。瞬く間に先頭に立った。
あとは教育騎乗するために後方に控えていた飛竜たちに抜かされなければ勝ちである。
なお《アールケーハインド》を抜かす瞬間、ラースロンが短く叫んだ。
「ゼルツェン、いつのまにそんなうまく……!」
うまくなったのではなくて、空想癖を利用して無数のレースパターンを想定できるようになっただけだ。
たまたまそのうちひとつに今日みたいなレース展開が該当したので、パニックを起こさずに適切なペースで飛べたのである。
正直難しいレースではなかった。自分の飛竜にふさわしい飛び方とペースを守ればいいだけだ。それ以外になにもしていない。
もしラースロンが普通に飛んで、先行飛竜たちを巻き添えにしなければ、もっとレース展開は難しかった。
だが今日は運も向いた。
こうしてゼルツェンと《オレンジ》は、後方集団に抜かされることもなく、1着でゴールラインを駆け抜けた。
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ゼルツェンは1着でゴールしてから、検量室前に着陸して、《オレンジ》から降りるなり、厩務員とハイタッチした。
「新竜戦で勝ちましたよ」
「やったなぁ! これでクラシック路線に乗れたよ。次走は2歳重賞だ。いまから楽しみだなぁ」
「ついに俺も重賞レース……乗れるんですね!」
ゼルツェンは勝負甲冑の内側で、にこにこ笑顔であった。
生まれ故郷で生産された《オレンジ》と一緒にクラシック路線に乗れた。もしうまくいったら、G1にだって出走できるかもしれない。いまから2歳重賞シーズンが楽しみであった。
という感じで、勝利した陣営は明るく飛び跳ねているのだが、普通に負けた陣営はフィードバッグタイムになっていて、大敗した陣営は雰囲気が悪かった。
とくに先行集団の異常なペースを作り出す原因になったラースロンは、検量室前に着陸するなり、調教師の雷が落ちた。
「ふざけんなお前! 気性が怪しい飛竜だから前に行くなって伝えたろうが。それがなんで逃げた?」
どうやら調教師の指示があったのに、ラースロンは気性の怪しい飛竜で逃げてしまったらしい。
完全な騎乗ミスである。それも特大のやらかしといっていよかった。
《アールケーハインド》は、ただ負けただけではなく、悪い癖がついてしまったのだ。
レースというのは暴走していい、と勘違いしたのである。
今後矯正が必要になるので、未勝利戦を3戦とか4戦とか負け続けて、ようやく覚えてくれるかどうかだ。
最悪の場合、そのまま暴走する飛竜として引退だってありえる。
ラースロンは、自分のやった過ちを自覚したらしく、深く頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
調教師の怒りは収まらないらしく、いまにも噛みつきそうな勢いで説教を続けた。
「オーナーがどうしてもと頼み込んでなければ、お前みたいな指示を無視する三流乗せてないんだよ。今後はうちの竜舎に二度と関わるな」
《アールケーハインド》の次走は乗り替わりが確定した。たとえRKの竜主に懇願されても調教師は断固拒否するだろう。
あとはRKの竜主がどう判断するかだ。
もし、もっとも懇意にしている竜主からも見放されたら、ラースロンの乗鞍はほぼゼロだ。
彼の行く末も気になるが、ゼルツェンは勝利したのでやるべきことがある。
後検量を終わらせたあと、ゼルツェンはウイナーズサークルで口取り式を始めた。
関係者と写真を撮影して、競竜記者のインタビューに答えて、さぁ控室に戻ろうとしたら、フェンスの向こう側でファンが待っていた。
「ゼルツェン、サインちょうだい」
小学生ぐらいの男の子が数人いた。
「ついに俺にもファンができた……!」
彼らが初めてのファンである。ゼルツェンは喜色満面でサインに応じた。
八百長をふくんだ不正防止のため、ファンと深い会話をしてはいけないので、 さらっとサインを終わらせて、すぐにウィナーズサークルを離れた。
だがその心は、いますぐジャンプしたいぐらい喜びであふれていた。
「もっとがんばらないとな、ファンの応援に答えるためにも」
らららーと鼻歌を歌いながら控室に戻ると、部屋の隅っこでラースロンがどんより落ち込んでいることに気づいた。
はたしてどんな言葉を投げかけるのが正解なのか、ゼルツェンにはわからなかった。
竜騎手の同僚たちも、ラースロンがあまりにも暗い雰囲気で落ち込んでいるので、あえて近づかないようにしていた。
誰かが勝って喜んで、誰かが敗北して落胆する。
勝負の世界ではありふれた光景だ。
しかしその敗北して落胆した相手が、何度もお世話になった先輩なので、ゼルツェンはうしろめたさを感じていた。
もし自分が彼と同じ立場になったら、どんな落ち込み方をするんだろうか。
ただひたすら己の力量不足を嘆くのか。それとも運の悪さに責任転嫁するのか。もしくはレースに勝利した竜騎手に嫉妬するのか。
という思考をひたすら繰り返してしまう。ゼルツェンは気づいていないのだが、空想癖のスイッチが無意識で入ってしまったのだ。
友達のデルデが「おーい、ゼルツェーン、戻ってきなよー。なんか久しぶりだね、このぼーっとして動かなくなるやつ。競竜学校以来?」と肩を叩いてくれたことで、ようやく正気に戻った。
控室の時計を確認したら、空想癖に浸って5分も経過していた。
「あ、あぶない。助かったよ、デルデ。っていうか、毎回これをやってしまったら、次のレースに遅刻しかねないな……」
空想癖をプラスに使えるようになった反面、封印を解除したせいで日常生活に問題が出てくるようになったらしい。
仕事中に発生すれば次のレースに遅刻してしまうし、もしレース中に暴発したら衝突事故が起きかねない。
だがなぜ《オレンジ》の新竜戦で空想癖が暴発したんだろうか。《アドバルーン》の未勝利のときは暴発しなかったのに。
あれこれ分析したが、乗鞍の数だと気づいた。
《アドバルーン》で未勝利戦を勝ったときは、土日でその1レースにだけ空想癖を組み込んだ。
だが今日は、土日合わせて6レースある乗鞍すべてに空想癖を組み込んであった。
おそらくだが、この脳みそには空想癖で組んでいいレース数に上限があって、そこを越えたら日常生活が壊れるのだ。
いくら便利な技能であっても、制約が存在するのでは、使いどころが難しい。
まさか若手のうちに乗鞍を制限するなんて失礼なことはできないので、空想癖でレースプランを組む数を制限したほうがよさそうだった。




