第23話 仕事のあとのデートとみせかけて、偽名を探るための囮だった?
ゼルツェンは、元許嫁のティアが運転する高級車に乗っていた。
やっぱり高級車は乗り心地がいいなぁと思いつつ、車内に染みついた若い女性特有の甘酸っぱい香りにくらくらしていた。
助手席のシートからダッシュボードの隙間まで、彼女の桃みたいに甘くて気高い体臭が入り込んでいる。
これではまるで彼女の部屋に来たみたいである。
だがそれもまたおかしな感想で、ゼルツェンは彼女の部屋をよく知っていた。だって元許嫁だから、お互いの部屋を行ったり来たりしていたわけで、家具や家電がどんな配置なのかも詳しいのである。
そう考えると、これはドキドキする匂いというより、懐かしい匂いのはずだ。
しかしあのころと違って、ゼルツェンは19歳の青年になっていた。
とっくに思春期に入っているし、ティア・ジリカンという若くて美しい女性の魅力も存分に理解していた。
外見の美しさだけではなくて、誠実と気品を備えた内面のこともよく知っている。
あぁなんでこんなすばらしい女性と許嫁に戻れないんだろうか。そう思ってしまうのも無理はないだろう。
だがいまの自分では、彼女に釣り合わないことも理解していた。
ただし年齢的な条件だけでみれば、二人が同じ車で外出していることは、そうおかしな話でもないのだ。
多数派の若者の身分で考えれば、大学1年生と大学4年生が一緒に移動しているだけだから。
だが二人は特殊な職業についていた。
新人竜騎手と新進気鋭の調教師だ。
「ティア先生、世間的には帝都賞の季節なんですが、俺と遊んでていいんですか?」
クラシック二冠目、帝都賞。それぐらい大事なレースが今週末にある。
当然彼女の管理している飛竜も出走する。鞍上は師匠のハヤテだ。
本日はまだ火曜日だから多少の猶予があるとはいえ、それでもティア竜舎はG1前で忙しいはずだ。
それなのになぜか彼女はG1に乗鞍がない下手くそ新人を車で連れ出していた。
「退勤時間後にちょっとだけ外出するなら、いくらG1前の調教師でも問題ないでしょう?」
ティアは涼しい顔でウインカーを出した。
「そうかもしれませんが……本当にいいんですか?」
「ああ、そうそう、これわたくしが作ったクッキーとスムージーですの。食べてくださらない?」
保冷機能のついたバスケットケースに、手作りクッキーと手作りスムージーが入っていた。
見た目と匂いで素材までわかってしまった。
これは子供時代のゼルツェン=ヴァルケナンが好きだったお菓子であり、毎週末になるとティアが作ってくれたのだ。
こんな誘導尋問みたいなお菓子を差し出されたことで、ゼルツェンは確信した。
ティアは真剣に偽名を疑っているから、真実を突き止めるためにわざわざトレ谷の外に連れ出したのである。
ならばゼルツェンがいま悩んでいる『脳の機能が100%動いていない疑惑』を一緒に解決してくれるというのは、外に連れ出すための建前だったのだ。
なんたる策士。さすが大学を飛び級で卒業したあと、難関の調教師試験をあっさり合格した才女であった。
だがゼルツェンとしても彼女の策謀に負けるわけにはいかなかった。
父の冤罪を証明するためには、本名がバレてはいけないのである。
では目の前に差し出されたクッキーとスムージーをどうするのが正解なんだろうか?
食べたほうが疑われないのか、食べないほうが疑われないのか。
数秒ほど悩んで、もし食べないでお返ししたら、偽名の疑い以前に人間関係に角が立つな、と思ってしまった。
「と、とりあえず食べますね……」
いつものように両手でクッキーをつかみそうになって、慌てて片手でつかみなおして、わざとらしくワイルトに食べた。
もしお上品に食べたら、さらに偽名を疑われてしまう。
それからスムージーを口にふくんで、ああティアがいつも作ってくれたイチゴ味だなぁと懐かしんだが、そんなわかりやすい表情をしてしまったら、偽名だと白状したことになるので、わざとおいしくなさそうな顔をした。
ふふんどうだ、これは完璧な演技だろうと、ゼルツェンは自画自賛した。
だが交差点手前の赤信号で停車したとき、ティアがいきなりぶっこんできた。
「あなた子供のころ空想癖がありましたが、あれは治ったんですの?」
いきなり偽名であることを前提としたひっかけ質問をぶち込んできたせいで、ゼルツェンはゴホゴホとイチゴ味のスムージをむせた。
「し、知りませんよ、空想癖なんて、そんなものっっ!」
「ふーん、そのわりにはずいぶん慌ててるようですが?」
「気のせいですぅぅぅっっっ!!!」
「ゲームセンターにいきましょう。あなたの好きだったパズルゲームをやるために」
たしかに子供のころパズルゲームが好きだったが、それを認めてしまったら偽名だとバレてしまう。
「いやだなぁ、パズルゲームなんて好きじゃないですよ。はは、あはは」
「到着しましたわよ、ゲームセンター。ここの店舗、あなたが子供のころ好きだったアーケードタイプのパズルゲームが、いまでも稼働してるんですのよ」
どうやら用意周到な罠だったらしい。10年ぐらい前のアーケードゲームをいまでも並べてあるゲームセンターなんて、熱心に探さないと発見できないレベルなのだ。
そんな店舗にいきなり連れてくるんだから、彼女は名探偵だった。
しかしゼルツェンには崇高な目的がある。父の冤罪を証明することだ。
「てぃ、ティア先生、やっぱりG1前に遊んでいるのはよくないことかと……」
「わたくしと一緒に遊んでくださらない?」
上目遣いになって色っぽい声でお願いである。しかもわずかに前のめりになったせいで胸の谷間が強調されていた。
ゼルツェンの男心はずきゅーんっと撃墜されてしまい、ついうっかり胸の谷間に目を奪われて、ほわわんっとした気持ちになってしまった。
そんな無防備な状態を、一流の調教師であるティアは見逃さなかった。ゼルツェンの手をぐいぐい引っ張って、パズルゲームの台に座らせてしまった。
「さぁパズルゲームですわよ、あなたが得意だった」
「い、いつのまに俺はゲームセンターのなかに?」
色仕掛けは恐ろしい。ついさきほどまで自動車のなかにいたはずなのに、ふと気づいたらゲームセンターに連れ出されていたのだ。
「ほら、複雑な図形を読み解いて、正解の形に作り替えてくださいませ」
ティアはちゃりんっとコインを投入してしまった。
ここまできて逃げるとワンコイン分もったいないかなぁと思って、ゼルツェンは昔懐かしいパズルゲームに挑むことにした。
だがすぐに手が止まった。
子供のころにあったはずのわくわくが――あの圧倒的な頭の回転が発生しない。
「……おかしいな」
ぼそっとつぶやきながら、頭を軽くノックした。
だが頭は働かない。まさしく脳の機能が100%働いていない疑惑そのものであった。
ティアは、かつて許嫁の解消を告げたときと同じように、ゼルツェンの頭を神々しく撫でた。
「ずっとおかしいと思ってましたわ。かつてのあなたにあった聡明な発想と、そこにいたるまでのスピード感が消えてるんですもの」
どう反応するのが正解なのか、、ゼルツェンは迷った。
たしかに脳の機能が100%働いていない疑惑は、昔懐かしいパズルゲームに挑むことで原因に突き当たった。
だがそれを認めてしまうと、偽名だと白状したことになってしまう。
ならば父の冤罪を証明するために、とにかくごまかさなければ。
「ティア先生。俺はあなたの知っている人間とは違うので、きっとなにかの勘違いですよ」
しかしティアはおかまいなしに、名探偵の瞳でずばりと推理を披露した。
「これだけ長い時間話していて、一度も空想癖が表に出てこなかった。それがパズルゲームを解けなくなった原因ではなくて?」
ばしーんっと雷鳴に撃たれたように、ゼルツェンは言葉を失った。
そういわれてみれば、最近は空想癖が消えていた。
なぜそうなったかというと、競竜学校時代に空想癖が生活リズムや学習の機会を阻害していたから、自制心を強く働かせることで心の奥底に押し込めたからだ。
子供時代であればブレーキなんてないから空想癖全開だったが、青年期にもなれば己のやるべきことがわかってくるので全力でブレーキを踏んでいたわけだ。
だがもしそれが頭の回転を遅くしている正体だとしたら、座学と飛竜のお世話の成績が騎乗技術に直結しなかった答えになる。
――ならば意図的にブレーキを外して、空想癖でレースプランを練ればいいんじゃないのか?
まるで肉体と魂が呼応したように、ゼルツェンの脳がうねり始めた。
これが正解だ。
これが正しい道だ。
ブレーキなんていらなかったのだ。
空想癖が久々に動き出すと、脳がバイクのエンジンみたいに熱くなって、意識がそちらに持っていかれる。
ほんの数秒肉体の動きがフリーズしてから、ゼルツェンは頭の上に載っているティアの手をがしりと掴むと、燃え盛る瞳で意見を伝えた。
「《アドバルーン》の次走ですけど、来月のジパング競竜場で最終週に出してください。距離は短距離。これで勝てるはずです」
「根拠があるんですの?」
「ジパング競竜場は最後の直線が長くて、末翼勝負になりやすいんです。《アドバルーン》は性格的にも翼の性能的にも短距離で上り勝負したほうが強いです。
最終週を選んだ理由は、魔王賞がある日だからですね。強い未勝利飛竜は、うまい竜騎手がいるメイン開催に出走させるでしょう? ならローカルは手薄ですよ、確実に勝てます」
空想癖を全開にしてレースプランを練った結果、《アドバルーン》にとってもっとも勝率の高い条件を導き出せた。
自信があった。伊達に座学の成績がいいわけではないのだ。
ティアは聖母のように微笑むと、慈悲深くうなずいた。
「わかりましたわ。あなたのプランを信じます」




