第22話 未勝利戦のタイムリミット
レースデビューしてから、二か月が経過していた。
一般的な新人の成績であれば、そろそろ1着ないし3着以内に入って竜券内に絡んでくるのだが、ゼルツェンはまったく縁がなかった。
「1勝が遠い……」
二か月間で、かれこれ20レース乗ったわけだが、まだ1着になったことがないし、竜券内に入ったことすらない。
となれば、公式ホームページの竜騎手成績に表示される勝率・連対率・3着内率・すべて0パーセントのままだ。
悲しいぐらい才能がなかった。
いくら癖竜に乗れるといっても、基礎技術が下手くそのままでは、穴を開けることができないのである。
ちなみに友人のデルデは、最高成績で2着まで来ていた。
「オラもまだ勝ててないからさぁ、元気だしなよ、ゼルツェン」
友人に励まされると、なぜかますます惨めな気持ちになってしまった。
「たったひとつ勝つのが、こんなに難しいとは思わなかったよ、デルデ」
天才の父親と比較しても無意味だとわかっていても、それでもつい比較してしまう。
ゴルドザーム・カルペルは、デビューした直後から勝鞍を量産していた。
幼いころの自分はあれが普通だと思い込んでいたが、いざ自分が竜騎手になってみると、完全な誤りだとわかった。
天才の息子は凡人だった。
何度も打ちのめされてきた事実を、今日はよりいっそう噛みしめることになった。
という感じでゼルツェンが落ち込んでいると、デルデがタブレットで過去の出走表を表示した。
「フルゲート16頭のうち、たった1頭しか勝てない仕組みなんだから、新人がなかなか勝てなくても、しょうがないさー」
そういう原理ではあるのだが、そう思ってしまったら成長が止まる。
凡人は努力を諦めた時点で、センスのあるやつに一生追いつけなくなるのだ。
だから死にものぐるいで食らいついてやろうと思うわけだが、精神論だけでは容赦なく公開されている竜騎手成績を変えられない。
実際、所属竜舎のプラット調教師は、いつもの竜舎ミーティングでゼルツェンを酷評した。
「お前だけじゃなくて、同期全員びっくりするぐらい成績悪いな。前評判通りだな、落ちこぼれ世代っていうのは」
ちなみに競竜専門誌でも酷評されていて『プロデビューしてから二か月たって、初勝利を飾れたのはわずか3名だけ。例年であれば15名前後いるはずなのに、この世代はまさしく落ちこぼれ世代だ』とストレートに書いてあった。
たとえ事実であってもなんだか悔しいので、せめて目の前にいるプラット調教師には言い返そう、とゼルツェンは思った。
「きっと大器晩成型の若者たちが集まった世代なんですよ」
「前向きなことだけは評価してやる。だがそれだけじゃあ乗鞍が増えないのが競争の世界だぞ」
それも事実であった。
落ちこぼれ世代は、ぜんぜん乗鞍が増えない。それどころか減りそうな気配すらあった。
このままだと『土日のどちらにも乗鞍がないため調整ルームに入ることすらない』という引退間際の竜騎手みたいな状況が起きかねない。
「もっと営業する機会を増やしたほうがいいんですかね?」
「営業も大切だが、コネだけで乗鞍を稼ぐと、いつか限界がくるぞ。どれだけ自制心があっても、心のどこかで自分を甘やかすことになるからだ」
頭に浮かんできたのは、ローカル開催でいつも一緒になるベテラン竜騎手のラースロンだった。
先輩は本当に良い人だし、何度もお世話になっているのだが、彼の成績は生涯ずっと悪かった。
つまりラースロンのスタイルは、下手くそがドブネズミみたいに生き残る最終手段としては優秀だが、競争の世界で上を目指すためには向いていないのだ。
あくまでゼルツェンの目的は、G1である魔王賞を勝って、父親の冤罪を証明することだ。
ならばもっと上を目指さないといけない。
だがどうやって?
大きな壁を感じていた。レースデビューしてから時間が経過したおかげで、自分自身に大きな違和感があった。
脳の回路を100%使っていない。
一生懸命やっているし、あらゆる努力を惜しんでいないが、なにかが脳の回路にブレーキをかけている。
いったいなにが原因で脳の回路が100%動かないんだろうか。
そうやって悩みながら、ゼルツェンは早朝のミーティングで決まった仕事をこなすことになった。
● ● ● ●
プラット竜舎の飛竜たちの歩様を確かめたら、未勝利飛竜である《スプラッシュタワー》の翼の付け根に違和感があった。
「プラット先生、《スプラッシュタワー》の翼、痛みがあるみたいだし、付け根に熱持ってますよ」
かつてゼルツェンがデビュー戦で乗せてもらった飛竜であり、いまでもお世話しているのだが、かなり心配だった。
「……クリニックに連れていこう。ゼルツェン、お前もこい」
プラット調教師とゼルツェンは、《スプラッシュタワー》をトレ谷内にある飛竜専門の医療センターに連れていった。
飛竜を治療するための病院なので、ドアや通路はすべてビッグサイズで、雰囲気的には自動車の大型整備工場である。
そこで勤務する獣医師が、《スプラッシュタワー》の検査結果をデジタル画面に表示した。
「竜骨胸筋が炎症を起こしてますね。しばらく休んだほうがいいです。だいたい3か月ぐらいですかね」
竜骨胸筋とは翼を動かすための筋肉のことであり、ここに炎症を起こすことは、競争飛竜として致命傷一歩手前であることを示していた。
しばらく訓練を中断して、飛竜谷に放牧することで回復するのだが、そのためには時間を犠牲にすることになる。
あと半年で3歳期間はおしまいだ。そこが終わったら、未勝利引退である。
ゼルツェンとプラット調教師は、お通夜みたいに暗い顔になった。
「プラット先生、未勝利戦はあと半年しかないんですよ。もし3か月休んだら……」
「それでも放牧するしかない。炎症が悪化したら、レースどころじゃなくなるんだ」
● ● ● ●
ゼルツェンとプラット調教師は、放牧先に移送される《スプラッシュタワー》を見送ることになった。
トレ谷に巨大な竜運車がやってきて、《スプラッシュタワー》を積み込んでいく。
ゼルツェンは、まるで親類とのお別れみたいなせつなさを感じて、ずっと目を離せなかった。
これが今生の別れではないはずだが、なぜか同じ感覚を持っていた。
「先生。俺、もっとうまくなりたいです。そうすれば、《スプラッシュタワー》だって未勝利を脱出できるはず」
プラット調教師は、ハンチング帽をかぶりなおすと、青空を見上げた。
「なぁゼルツェン。お前は下手くそなんだから、デビュー戦で《スプラッシュタワー》を勝たせてやれたんじゃないかって後悔するなよ」
師の発言から伝わってくる悲しい感情があった。どうやら最悪のケースだと、《スプラッシュタワー》はこのまま引退することもありえるようだ。
「もし俺が、かつての天才ゴルドザームみたいにうまかったら、《スプラッシュタワー》は勝てましたか?」
「無理だ。いくら天才でも、飛竜の基礎能力まで上げられない」
やがて《スプラッシュタワー》を乗せた竜運車は、ゆっくり丁寧に発車して、トレ谷の敷地を出ていった。
ゼルツェンは、竜運車のテールランプの赤い光を見送った。どうか神様、《スプラッシュタワー》にもう一度チャンスを与えてください、と願いながら。
ゼルツェンたちが竜舎に帰ろうとしたら、元許嫁のティアが癖竜である《アドバルーン》をクリニックに連れてきた。
「プラット先生の《スプラッシュタワー》、放牧ですか?」
プラット調教師は、渋い顔で客観的な情報だけ伝えた。
「竜骨胸筋の炎症だ」
どうやらティアもいろいろ察したらしく、苦しい顔でうなずいた。
「……残り3か月ですわね」
「そっちの《アドバルーン》は、まさかケガか?」
ケガという単語で、ゼルツェンはドキっとした。《アドバルーン》も《スプラッシュタワー》と同じぐらい勝たせてやりたい未勝利飛竜だからだ。
だがティアは、やや疲れた顔で首を左右に振った。
「いえこれは定期健診ですのよ。癖竜ゆえに、体の不調を素直に表現してくれないこともあるので、念のために」
《アドバルーン》は他の飛竜のことも嫌いだが、人間のこともそこまで好きじゃないので、素直に感情表現してくれないわけだ。
それは体の不調を表に出さないことにもつながるので、こうして手間暇が増えていた。
ゼルツェンは《アドバルーン》の特徴をよく知っている。すでに一度乗ったわけだし、どうにか未勝利を脱出させてやりたいと思った。
「ティア先生、《アドバルーン》、なんとかして勝たせてやりたいです」
ティアは、《アドバルーン》の不機嫌な顔を見たあと、ゼルツェンの発奮した顔を見た。
「ふーむ、以前よりも焦っているというか、弱点という名の宝物でも見つけたような顔をしていますわね。なにか心当たりでも?」
ある。脳の回路が100%動いていないと感じていた。
だがなんで彼女はわかったんだろうか。もしや新進気鋭の一流調教師であれば、飛竜の不調を見逃さない技術を、人間に適応できるのかもしれない。
「脳が紐で縛られた感じがするんです。本来なら、もっとモーターみたいに頭が働く感じがするんですけど、いまはブレーキかかって鈍くなってるっていうか」
プラット調教師は「なにオカルトみたいなこと言ってんだお前は。彼女だって暇じゃないんだぞ」と呆れていた。
しかしティアは、真剣な表情でゼルツェンの頭部を吟味してから、きらんっと目を光らせた。
「わかりましたわ。その原因を探るために、あなたの時間を借りますわよ」
「借りるって、なにか雑用を手伝えばいいんですか?」
「私の車に乗りなさい。業務時間終了後、街に出ますわよ」
いったいどんな仕事を手伝わせるつもりだろうか、とゼルツェンは困惑した。もしやティア厩舎に必要な日用品の買い出しとか?
だがプラット調教師がぼそっとつぶやいた言葉で、ようやく意味を理解した。
「デートじゃねぇか」
ゼルツェンは腰を抜かしそうになった。
「……えええええ!?!?!?」
どうやら《アドバルーン》は、驚愕するゼルツェンの顔がおもしろかったらしく、げらげらと笑っていた。




