第16話 初めてのレース本番
ついにレースデビュー当日になった。
新人竜騎手たちは、ベテランたちと一緒に調整ルームを出発して、送迎用バスで現地に到着した。
始まりの競竜場は、ロードサイド店舗みたいな構造だった。幹線道路と直結されていて、広大な敷地に何千台と自動車を駐車できる。
積み木のように角ばった建物は、観客が入るための観戦エリアと、関係者が働くバックヤードに分かれていた。
観戦エリアは飲食店だけではなく、日用品や家具や家電も売っていて、競竜が開催されていない日はショッピングモールとして営業していた。
竜騎手たちは、裏手にある関係者ゲートからバックヤードに入った。
調教師や厩務員たちはスタッフ室に向かって、竜主は来賓室に向かって、竜騎手たちは竜騎手控室に向かった。
竜騎手控室だが、ソファーやテーブルがあって、軽食も用意されている。サウナと風呂もあるので、そこで汗を流してもいい。ウォーミングアップ用のトレーニング施設もあるので、自分のリズムで心身の準備ができる。
ゼルツェンはソファーに座ると、がちごちに緊張しながら出番を待った。
本日の第1レース、3歳未勝利戦がデビュー戦だ。
友達のデルデは、第3レースの3歳未勝利戦がデビュー戦だ。
親しい二人の会話が極端に減った。緊張しすぎてなにをしゃべっていいのかわからなくなったのだ。
ゼルツェンとデルデだけではなく、落ちこぼれ世代全員が、レース本番の雰囲気に飲み込まれていて、水すら飲めないほど緊張していた。
そんな鉄みたいに硬くなってしまった若者たちを心配して、新人お世話係であるラースロンが軽やかに盛り上げた。
「もっとリラックスしよう! 軽すぎるノリもダメだけど、緊張しすぎるのもよくないからさ!」
「そ、そうですね」
ゼルツェンは、朝一番のレースなんだし、がんばってリラックスしようとした。だが筋肉は強張るばかりで緩和してくれない。
落ち着け落ち着け、競竜学校で習った通りに飛べばいいだけだ。そうやって自分自身に言い聞かせて、上昇していく心拍数に抗った。
ふぅふぅと深呼吸を数回繰り返したところで、ついに第1レースの準備時刻になった。
同じレースに出走する先輩たちが、次々と準備を整えていく。
難しく考えないで、先輩たちと同じことをすればいいだけだ。そう判断したゼルツェンは、まるで金魚のフンみたいに先輩たちについていく。
すると同期たちだけではなく、いろいろな先輩竜騎手たちも声援を送ってくれた。
「がんばれ」「力みすぎるなよ」「まずは安全にぐるっと回ってくるんだ」
励ましの声に背中を押されて、ゼルツェンは勝負甲冑着用コーナーにやってきた。
そこには魔法使いの職員がいたので、彼に要望を伝えた。
「ゼルツェン・ハルパーです。出走レースは、第1レースの3歳未勝利戦。騎乗飛竜は《スプラッシュタワー》です」
「顔写真と名前を本人と確認」
魔法使いの職員が杖を振ると、召喚魔法が発動して、勝負甲冑がゼルツェンの肉体を包み込んだ。
競竜学校で使っていた訓練用とは異なり、レース用の正式な勝負甲冑だ。
なぜ現代でも甲冑のデザインを採用しているかというと、かつて魔王を退治した勇者が竜騎兵だったから、その姿を模倣しているのだ。
なお甲冑のカラーリングは竜主の個性を象徴するオリジナルデザインなので、もし誤ったカラーリングでレースに出走すると、ペナルティが発生するので注意したい。
だからゼルツェンは、魔法使いの職員と一緒に、甲冑のデザインに間違いがないことをダブルチェックした。
「ゼルツェンさん、初めてのレース、がんばってください」
魔法使いの職員にも応援されて、ゼルツェンは「がんばりますぅ……!」とガチゴチに緊張しながら体重計に乗った。
68キロである。
勝負甲冑を着た状態で70キロジャストが規定体重――となれば2キロ足りていないので、勝負甲冑の隙間に2キロの重りを追加した。
なぜ追加しないといけないかというと、たった2キロであっても、それだけ軽ければレースが有利になるからだ。
だから平等な条件で飛ぶために、足りない分だけ重りを追加しないといけない。
当たり前の話だが、重りはレース後の検量が終わるまで外してはいけない。もし外したら不正行為とみなされて即座に出走停止だ。
規定体重をクリアすれば、控室での準備は完了だ。
ゼルツェンは騎乗所に向かった。
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騎乗所に向かうための通路を、同じレースに出走する先輩竜騎手たちが勝負甲冑を着て歩いているわけだが、一種独特の緊張感が漂っていた。
こんなうまそうな人たちと競うのか、とゼルツェンはすっかり萎縮したし、いまの自分は下手くそであることがコンプレックスになっているんだなと情けなくなった。
いつか絶対にうまくなってやろう。だからとにかく今日は事故なくレースを終えたい。
そう思いながら、ついに騎乗所にたどりついた。
航空機の格納庫そっくりな広い空間であった。
もし航空機が整備されているなら、鉄と油の臭いが充満しているんだろうが、ここは出走直前の飛竜が待機する場所なので、飲み水とフンの臭いが充満していた。
18個分の飛竜お世話スペースに区切られていて、そのうち2個は予備のスペースであり、残りの16個に出走予定の飛竜たちが待機していた。
竜騎手と竜舎の関係者たちは、担当の飛竜に鞍とゼッケンを装着して、いつでも飛べる状態にした。
鞍とゼッケンは競竜管理委員会が製造した共通品であり、こちらの検量は竜舎スタッフが立ち会っている。
ゼルツェンが騎乗する飛竜は、すでに鞍とゼッケンが装着状態だった。
もちろん《スプラッシュタワー》を管理しているのは、ゼルツェンの所属竜舎であるプラット調教師だ。
彼はゼルツェンのロボットみたいな歩き方を見るなり、すっかり呆れてしまった。
「いくらデビュー戦でも緊張しすぎだ。もっと肩の力を抜け、ゼルツェン」
「す、すいません。デビュー戦なものですから」
「とにかく気負いすぎないで、ぐるっと回ってこい。うちの竜舎にしては珍しく癖竜じゃなくて普通の飛竜だから、ただ飛ぶだけなら難しくない」
「はいっ!」
たしかに《スプラッシュタワー》は癖竜ではない。どこにでもいるありふれた性格の飛竜だ。そのおかげで新人でも制御しやすい。
ただし弱い。悲しいことにスピードが出ない。
なお本日は《スプラッシュタワー》の竜主も同席していて、彼は豪快にがははと笑った。
「新人が好きでね。竜群にぐっと入れてさ、そのままゴールすればいいよ。勝てなくてもいいんだ。まずはレースを経験してこよう」
負けても構わない、とゼルツェンに伝えてくれたわけだ。
おかげでちょっとだけ気楽になった。
「で、では行ってきますっ……!」
ゼルツェンは《スプラッシュタワー》の背中によじ登ると、靴底のジョイントパーツを鞍に固定した。
それから担当の厩務員が《スプラッシュタワー》の手綱を引いて、巨大な地下通路を進んでいく。
厩務員は寡黙な性格であり、ゼルツェンに一言だけ伝えた。
「生きて帰ってくるんだよ」
偽名で生きていても、父のゴルドザームがレース中の事故で死んだ過去が変わるわけではない。
だから厩務員のなにげない気遣いの言葉が、ゼルツェンの心に深く刻まれた。
生きて帰ってくることは、当たり前のようで難しいことなのだ。
レースで事故を起こさないように気をつけようと思った。
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地下通路を抜けると、ついにコースにたどりついた。
ローカル開催であってもお客さんはかなり入っていて、映画館のようにポップコーンとジュースで盛り上がっていた。
競竜専用番組が飛竜の入場を中継していて、これから返し竜の内容も分析していく。
返し竜というのは、飛行コースを利用して行うウォーミングアップのことだ。
だがゼルツェンは新人ゆえに、返し竜の適切な加減がさっぱりわからないので、とにかく翼を温めることだけ考えた。
そろーりと控えめなスピードで観客席の前を飛んだら、お客さんたちから冷やかすよな声が聞こえた。
「落ちこぼれ世代がんばれー」
応援なのかバカにしているのかわからないが、少なくとも期待されていないのは伝わってきた。
「どちらにせよ、俺には賭けてないんだろう。実際、最低人気だし」
ゼルツェンと《スプラッシュタワー》は人気がなさすぎて単勝万竜券である。
もしゼルツェンが1着になれば、100ゴールド賭けて80000ゴールド返ってくる計算だ。
では実際勝てる見込みがあるのかといえば、ない。
返し竜を終わらせて、ゲート前に着陸したとき、さすがの新人でも察した。
「これは、逆立ちしても勝てないなぁ……」
わかっていたことだが、《スプラッシュタワー》はシンプルに飛ぶスピードが遅い。
これでは同じレースに出走した飛竜たちの体調が最悪だとか、先輩竜騎手たちが騎乗ミスしまくるとかがないかぎり、絶対に勝てない。
だからといって飛ぶ前から諦めるのは間違っている。
という建前はあるのだが、今日はデビュー日なので、余計な色気を出さないで、とにかく安全にゴールすることだけ考えたほうがいい。
やがてすべての出走飛竜がゲートインを完了させて、ついに初めての本番レースが始まった。




