――第 097 幕 臓器の賛美歌――
足元が、歩くたびに微細な糸を引く。
粘着。
水分の抜けきらない古いチューインガムを延々と踏み潰しているような、湿った摩擦音が靴底から響く。 四十度近い熱風が、硫黄と腐敗した生肉を煮込んだような強烈な悪臭を巻き上げ、気管支の粘膜にべっとりと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
黄褐色の絨毛に隙間なく覆われた、極端に狭い管の中。 壁の表面から滲み出す緑色の液体が微弱なリン光を放つ。 壁の奥深くから、絶え間なく鳴り響く重低音。
「グゥゥ……、キュルル……」
巨大な水袋の中で、大量の古い泥が乱暴に撹拌されているような音だ。 その波形が鼓膜を叩くたび、骨盤の底から真っ直ぐに、内部の臓器を押し出されるような圧迫感がせり上がってくる。 「私」は、ホッチキスで縫合された左腕の傷口から黄色い膿のような微熱を感じながら、浅い呼吸を繰り返す。
「歓迎の歌だ!」
前方を歩いていた半裸の助手が、割れた銀縁眼鏡をずり上げ、黄褐色の肉壁に耳を押し当てていた。 彼の口角が両耳の付け根に向かってゆっくりと吊り上がる。 彼の全身は、緑色の胆汁と黄色い消化液が混ざり合い、乾燥してパリパリの鱗のようになっている。 動くたびに、汚物の装甲が「メシッ」とひび割れる音がする。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
眼球を上転させ、白目を剥いて壁の音を受信する。 彼は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 サウナのような熱風が、腐肉の悪臭を膨張させる。 ボタンを弾く。
カチッ。
管が、前方で二手に分かれていた。 右の通路は、肉の表面が極度に乾燥してひび割れ、古い埃の臭いだけが漂っている。 左の通路は、無数のヒダが激しく痙攣しており、奥から硫黄と腐敗した生肉の悪臭を断続的に吐き出している。
この二つの分かれ道の前で、空間の構造と生存確率を論理的に分析し、より安全なルートを選択すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく硫黄と腐肉の強烈な悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不快な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
助手は、ゆっくりと顔を離す。 レンズにべったりと付着した黄色い脂を、自らの舌を長く伸ばして、下から上へ舐め取った。
味見。
「……」
背後で、紺色のスーツを着た警官が、無言で後ずさる。 彼女の枯れた右腕が小刻みに震えている。 彼女は自らの制服の裾を左手で強く握りしめる。 胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、口内に苦い唾液が溢れる。 彼女は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。
私は、狂気に当てられた助手を制止し、右の乾燥した通路へと彼らを導くべきなのだろう。 だが、私はただ右手の石の熱を感じながら、彼らが左の悪臭放つ肉の門へ吸い寄せられていく様を薄目で見下ろしていた。 他人が本能と狂気に支配され、自ら進んで破滅の道を選んでくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 そして何より、彼が勝手に道を決めてくれれば、私自身が「選択の責任」を負わずに済むのだ。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化と逃避の欲求が、正しい道を指し示すエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
「私」は、右手の掌に完全に癒着した石札の熱さを、指の腹で確かめる。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
「行くぞ」
「私」は短く摩擦音を落とし、助手が頬ずりをした左の肉の門へと、サイズの合わない革靴を沈み込ませた。 背後で、金髪の男が上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
警官の引きつった呼吸音が、濡れた回廊に虚しく反響する。
硫黄と腐肉の悪臭がこもる空間に、ただ粘液の滴る水音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




