――第 093 幕 乾燥する摩擦音――
紺色のスーツを着た警官の手のひらが、布の繊維で自らの皮膚を削り、赤く薄皮が剥ける。
ズリッ、ズリッ。
彼女は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 泥と汗の発酵した臭気が、四十度の熱風に乗って膨張する。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
「……しょうがなかったんだよ。俺たちが……」
壁に背中を預けた金髪の男が、荒い息を吐きながら濁った排気音をこぼす。 彼の眼球の毛細血管が破裂し、白目が赤く染まる。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 ボタンを弾く。
カチッ。
彼は床に向かって、喉の奥から空気を押し出す。 口腔内の水分は完全に枯渇している。
「ペッ」
という音と共に押し出されたのは、水滴ではない。 白く濁った、カニの吐くような粘着質の泡だった。 泡は床に届かず、彼の顎の無精髭にだらしなく絡みつき、口の端からドロリと垂れ下がる。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
乾燥した土埃とアンモニアの臭いがドロドロに混ざり合う。
足元の肉の床の水分が急速に下層へと吸収され、ひび割れた土壁のように表面が硬く乾燥していく。 踏むたびに滲み出ていた黄色い体液が消失し、パサパサとした埃の匂いが立ち上る。
この急激な環境の変質と乾燥のメカニズムを論理的に分析し、彼らに警戒を促すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく泥と汗の発酵した強烈な悪臭と乾燥した土埃の匂いが、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
いや、本当は違う。 私はただ、彼らが極度の乾燥と恐怖に自制心を失い、口から泡を吹きながら無様に干からびていく姿を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が論理を手放し、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが弱く愚かであればあるほど、自分だけはまだ「正常で、力のある側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼らに声をかけ、共に生き延びようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。
この冷徹な物理的激痛と渇きに没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
「私」が歩き出す。
コツ、コツ。
サイズの合わない革靴の底が、硬く乾燥した床を叩く。 乾いた打音が鼓膜を直接叩き割るように反響する。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。 泥と汗の発酵した臭いと乾燥した土埃の悪臭がこもる空間に、ただ乾いた足音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




