――第 082 幕 圧殺の蠕動――
背後からの破砕音が、鼓膜を直接叩き割るような音量へと膨張した。 四十度前後の重い熱風が、狭いチューブ状の軟組織を吹き抜ける。 生温かい内臓の生臭さと、酸っぱい胃液の霧がドロドロに混ざり合い、気管支の粘膜にべっとりと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
「ゴバァッ……!」
背後の暗闇から、大量の黄色い消化液が波となって押し寄せる極めて湿った水音が響く。 金髪の男の首の静脈がミミズのように青黒く隆起する。 彼は、右足の裏から絶えずドス黒い血を流す警官の襟首を掴んだまま、前へ前へと靴底を滑らせる。 男は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 排泄物の悪臭が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
「あ……、ああっ……」 引きずられる警官の口から、空気が極端に狭い気道を漏れ出るような濁った摩擦音が鳴る。 彼女の毛細血管が破裂した眼球は空を向き、上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせている。
ガチガチガチ。
彼女は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 古い血の鉄錆臭が膨張する。
最後尾を走るヨレたカーディガン姿の助手の白衣が、背後から迫る壁の筋肉に削り取られる。
剥離。
彼の背中の皮膚が、壁の表面を覆う無数の微細な絨毛に吸い付かれ、薄く剥がれ落ちる。 「上皮組織が……吸収圧が……」 助手のひび割れた唇から、透明な唾液がとめどなく溢れ出す。 酸で爛れた右頬の肉がピクピクと痙攣し、彼が首を動かすたびに白衣の襟と引き合って引き攣れる音が反響する。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。
背後から迫る壁の圧殺速度と、肉の回廊の構造を論理的に分析し、彼らを安全な位置へ誘導すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく内臓の生臭さと酸っぱい胃液の悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
「私」は、前方を塞ごうと蠢く分厚い肉のヒダに、完全に炭化して肉と癒着した右手の佐渡赤玉石を押し当てる。
ジュワワワッ。
石が放つ絶対零度の冷気と空間の熱が衝突し、肉壁が激しく痙攣して縮み上がる。 焦げたタンパク質の香ばしい悪臭が、内臓の生臭さと混ざり合い、肺の底へと沈殿していく。
私は、彼らを助けるために己の身を削って道を切り開いているのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、石の冷気で安全を確保した最前列から、背後の彼らが肉を削がれ、恐怖に顔を引き攣らせて無様にのたうち回る様を、背中で感じていたかっただけなのだ。 他人が本能に支配され、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが異常であればあるほど、自分だけはまだ「正常で、力のある側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼らを純粋に救おうとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きく顎をずらし、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。
この冷徹な物理的激痛に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
背後から迫る湿った破砕音と、壁が脈打つ重低音が、頭蓋骨の裏側を激しく殴打し続けていた。 四十度を超える熱気と内臓の悪臭がこもる回廊に、ただ粘液の水音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




