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――第 081 幕 嚥下する回廊――

「ドムッ」という分厚い肉の衝突音が、背後の空間を完全に圧迫した。 急勾配で下へ向かって落ちていく、極めて狭いチューブ状の軟組織。 空気の粘度が高く、息を吸うたびに、生温かい内臓の生臭さが肺の裏側にねっとりとへばりつく。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。

 カチッ、カチッ。

 プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。

 通路全体が、「ゴクン、ゴクン」と大きく波打っている。 巨大な筋肉が全方位から収縮(しゅうしゅく)弛緩(しかん)を繰り返す。 「私」は先頭に立ち、右の手のひらに癒着(ゆちゃく)した佐渡赤玉石(さどあかだまいし)を前へ突き出していた。 石が放つ熱が、迫り来る肉壁のタンパク質を「ジュッ」と焼いて収縮(しゅうしゅく)させる。 焦げた肉の香ばしい悪臭が撒き散らされ、内臓の生臭さとドロドロに混ざり合う。

「チッ、重えなクソが!」 背後で、金髪の男が湿った舌打ちをする。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 ガリッ、メキッ。

 骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 ボタンを弾く。

 カチッ。

 彼は、右足の裏の皮膚をごっそりと剥がされた警官の脇腹を、抱え込むようにして担いでいる。 彼の太い腕が警官の肋骨に深く食い込む。

 ズリッ、ズズッ。

 警官が足を引きずるたび、靴を失った右足から流れる血が、床の肉にベットリと擦りつけられる。 赤い血の跡が、床の黄色い粘液(ねんえき)と混ざってドス黒くテカテカと光っていた。 古い血の鉄錆臭が膨張(ぼうちょう)する。

 壁のヒダの隙間から、無数の細い絨毛(じゅうもう)が伸びてくる。 それらはミミズのように微細に蠢き、床に落ちた血の跡を「チュウウッ」と音を立てて啜り上げていた。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。

「早く歩けよ!」 金髪の男が、警官の脇腹を膝で蹴り上げる。 警官の首の静脈(じょうみゃく)が不規則に隆起し、喉の奥から「ヒュッ」と空気が漏れる音がする。 彼女は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。

 背後から、「バキィッ、ゴリッ」という硬質な異音が迫ってくる。

「蠕動運動……いや、分節運動との複合だ……」 最後尾を歩くヨレたカーディガン姿の助手が、割れた眼鏡を押し上げながら、早口で音素を吐き出している。 彼の眼球の毛細血管が赤く染まり、瞳孔がデタラメな方向へ揺れている。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。

 ガチガチガチ。

 足場が激しく揺れた。

「ギュムッ」という、分厚い筋肉同士が擦れ合う湿った音が空間を圧迫する。 金髪の男がバランスを崩し、抱えていた警官ごと、真横の肉壁へと激突した。

 粘着(ベチャアッ)

 壁から絶えず分泌されている黄色い粘液(ねんえき)が、警官の紺色のスーツにベットリと張り付く。

「あ……ッ」 彼女の乾燥した唇から、掠れた摩擦音が漏れる。 金髪の男は、彼女の襟首を乱暴に掴み、壁の粘膜(ねんまく)から力任せに引き剥がした。

「メリメリメリッ」と、スーツの繊維が肉壁から千切れる音が鳴る。

 彼は、引き剥がした警官を、無造作に自分の背後へと配置し直した。

 なぜ私が先頭に立ち、この不潔な肉の回廊を彼らを引き連れて進んでいるのか。 肉壁の収縮(しゅうしゅく)弛緩(しかん)のメカニズムを論理的に分析し、より安全な進行ルートを計算すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく内臓の生臭さと焦げた肉の悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。

 この不潔な臭気が邪魔だ。

 気管が細かく痙攣(けいれん)し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。

 どうでもいい。

 この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。

 いや、本当は違う。 私はただ、石の熱で彼らを守る先導者のふりをしながら、背後で彼らが互いに血を流し、罵り合い、壁に叩きつけられて無様に壊れていく様を、背中で感じていたかっただけだ。 他人が本能に支配され、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが異常であればあるほど、自分だけはまだ「正常で、力のある側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼らを気遣うエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。

「私」は、右手の石が放つ熱に焼かれる自分の皮膚の焦げ臭さを肺の底まで深く吸い込む。 胃壁(いへき)が雑巾を絞るように激しく収縮(しゅうしゅく)し、舌の裏側に酸っぱい味が広がる。 「私」は大きく顎をずらし、過剰な唾液(だえき)をゴクリと無理やり飲み下した。

 この冷徹な物理的激痛(ペイン)に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。

 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。

 カチッ、カチッ。

 背後から迫る湿った破砕音と、壁が唾液を飲み込む「ゴクン」という水音が、頭蓋骨の裏側を激しく殴打し続けていた。 内臓の生臭さと焦げた肉の悪臭がこもる回廊に、ただ粘液(ねんえき)の水音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。


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