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――第 079 幕 メニューのない食卓――

 分厚い筋肉の裂け目を抜けた先。 白熱灯の光が網膜(もうまく)をチカチカと明滅させる。

 四十度前後の熱風が、腐った生ゴミと排泄物の臭いを肺の奥底にねじ込んでくる。 息を吸い込むたび、気管支(きかんし)がチリチリと焼かれ、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。

 どうでもいい。

 この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。

 カチッ、カチッ。

 プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。

「……データが……」 ヨレたカーディガンを着た助手のひび割れた唇から、透明な唾液(だえき)が垂れ落ちる。 彼は、紙の繊維が喉に詰まって「ケホッ」とえずきながらも、顔を激しく上下させて口を動かし続けている。 視界の端が白く点滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 ガリッ、メキッ。

 骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 アンモニアの臭気(ガス)膨張(ぼうちょう)する。 ボタンを弾く。

 カチッ。

 向かいの席の警官は、ナイフを動かしていた。 彼女の皿にあるのは、泥だらけの赤い子供靴だ。 強酸でドロドロに溶けかけたそのゴムと布の塊を切り分け、口に運ぶ。 一口飲み込むたびに、彼女の首の静脈(じょうみゃく)が不規則に隆起し、喉から空気が擦れる音が鳴る。 彼女の目から生温かい体液(リンパ)が零れ落ちる。 彼女は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 生ゴミの悪臭が鼻腔を塞ぐ。

 彼らがなぜこのような異物を狂気的に貪っているのか、その精神汚染のメカニズムを論理的に分析し、直ちに制止すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく生ゴミと排泄物の強烈な悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。

 この不潔な臭気が邪魔だ。

 気管が細かく痙攣(けいれん)し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。

 私は、狂気に呑まれた彼らを止め、その異常な食事から引き剥がすべきなのだろう。 だが、私はただサイズの合わない革靴を床に固定したまま、彼らがゴムや紙を貪り食い、無様に崩壊していく様を薄目で見下ろしていた。 他人が本能と狂気に支配され、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが異常であればあるほど、自分だけはまだ「正常な側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼らを止めるエネルギーを根こそぎ奪い去っていく。

「私」は大きくずらした顎を戻し、自分の前に置かれた白い軟骨の皿を見下ろした。 そこには、表面が黒く焦げた「私自身の、千切れた左手の薬指と小指」が並んでいる。 胃壁(いへき)が雑巾を絞るように激しく収縮(しゅうしゅく)し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。

 この冷徹な物理的激痛(ペイン)と欠損の事実に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。

 視神経が砂嵐のように明滅し、頭蓋骨の裏側にノイズが走る。 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。

 カチッ、カチッ。

 空間に、「クチャ、クチャ」という極めて湿った粘着音が充満する。 排泄物と生ゴミの臭気がサウナのような熱風に乗って濃度を増す。

 クチャ、クチャ。ツミ、ツミ。

 天井の肉の隙間から漏れる「ダアン、ダアン」という鈍い振動が、咀嚼音(そしゃくおん)と重なり、鼓膜を内側へと直接押し込む。 四十度を超える熱気と排泄物の悪臭がこもる空間に、ただ粘液(ねんえき)の滴る水音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。


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