――第 072 幕 蠕動する回廊――
こじ開けられた分厚い肉の括約筋を抜けた先は、円筒形の長い管だった。 足元のピンク色の床が、奥の暗闇へ向かって絶え間なく波打っている。 アンモニアと腐った魚の内臓を乱暴に混ぜたような鋭い悪臭が、四十度前後のサウナのような熱気と共に気管支の粘膜にべっとりと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
一定方向へ流れる、重く湿った蠕動。
ゴゥン……、ゴゥン……。
重低音がサイズの合わない革靴の底から直接這い上がり、内臓の水分を揺らす。 三半規管内のリンパ液がデタラメな方向へ波打ち、視界の水平線が斜め四十五度へ傾く。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 ボタンを弾く。
カチッ。
金髪の男が、血と粘液にまみれた鉄パイプを床の肉に叩きつける。 極めて湿った打撃音が響く。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 アンモニアの臭気が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
ヨレたカーディガンを着た助手は、両足の筋肉を不自然に硬直させ、ひび割れた唇から透明な唾液を垂れ流している。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
気管が細かく引き攣り、摩擦音だけが空気を震わせる。 四十度の熱風が胃酸の悪臭を運んでくる。 彼は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。
この円筒形の管が規則的に蠕動を続ける理由と、その生態学的な構造を論理的に分析すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつくアンモニアと腐った魚の内臓の悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
私は、恐怖に怯える彼らを導き、この狂気の回廊から抜け出すための合理的な手段を講じるべきなのだろう。 だが、私はただ右手をポケットに沈めたまま、彼らがアンモニアと胃酸の悪臭に塗れ、無様に震える様を静かに見下ろしていた。 他人が本能に支配され、惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが異常であればあるほど、自分だけはまだ「正常で、力のある側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼らに手を差し伸べるエネルギーを根こそぎ奪い去っていく。
「私」の右手のポケットの底。 完全に炭化して肉と癒着した佐渡赤玉石が、絶対零度の冷気を放ち続けている。 掌の血管から静脈を逆流する冷気が、胃壁を雑巾を絞るように激しく収縮させる。 「私」は大きく顎をずらし、過剰な唾液をゴクリと飲み下した。
この冷徹な物理的激痛に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
「私」は、ただ眼球の筋肉を固定し、その光景を網膜に焼き付けている。 四十度を超える熱気とアンモニアの悪臭がこもる空間に、ただ粘液の水音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




