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――第 053 幕 閉ざされる鉄扉――

 深夜六時二十五分。 背後で、分厚い鉄扉が左右から猛烈な勢いでスライドし、完全に噛み合った。 巨大な獣の顎が閉じ、太い骨と骨が擦れ合って砕けるような、極めて重く湿った破壊音。

 密閉(プレス)

 骨が砕けるような重低音が、狭いデッキの空気を一気に圧縮した。 鼓膜が内側へ向かってペコンと凹み、耳の奥にツンとした痛みが走る。 網膜を焼いていた白昼光が遮断される。 空間は再び、チカチカと明滅する赤黒い非常灯の闇へと沈み込む。 光が消えると同時に、鼻腔を強烈な刺激が殴りつけた。 古い生ゴミを煮詰めたような酸っぱさと、病院の消毒液を乱暴に混ぜ合わせたような、眼球の裏側が痺れるほどの腐敗臭(ふはいしゅう)

 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。 どうでもいい。 この不快な極彩色の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。

 息を吸い込むたび、気管支の粘膜(ねんまく)にその悪臭がべっとりと張り付き、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。

 カチッ、カチッ。

 プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。

「私」の頸動脈の拍動が、その悪臭を肺の奥深くまで吸い込んだ瞬間にドクンと沈む。 泥と血と排泄物にまみれた空気が、気管を満たしていく。 ボタンを弾く。

 カチッ。

「私」は荒い息を吐きながら、閉ざされたドアの冷たい鉄板に背中を預けた。 右手のポケットの底。 激しく熱を持っていた佐渡赤玉石(さどあかだまいし)は、急速に熱を失い、ただの冷たく重い石塊となって太腿の肉を圧迫する。

 足元で、湿った摩擦音がした。 紺色のスーツを着た女が、床の黄色い粘液(ねんえき)の中に倒れ込んでいる。 彼女は、枯れ果てた右腕を左手で抱え込み、錆びたチェッカープレートに額を執拗に擦り付けていた。

 摩擦(ガリッ、ガリリッ)

「戻れたのに……。私の腕が、あ……ッ」 彼女の喉から漏れるのは、鼻水と唾液(だえき)が混ざり合ったひどく湿った摩擦音だ。 鼻水を啜り上げ、上下の歯が不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。

 ガチガチガチ。

 彼女は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 彼女は顔を上げ、毛細血管が破裂しそうなほど血走った眼球で「私」を睨みつけた。 歯を剥き出しにしている。 彼女の身体は、「私」のサイズの合わない革靴の先から離れない。 床の粘液の冷たさとアンモニア臭が、彼女のストッキングから浸透していく。 視界の端が白くチカチカと明滅する。 ボタンを弾く。

 カチッ。

「クソッ、クソッ、開けろッ!」 横で、金髪の男が閉ざされたドアを蹴りつけている。 そのゴム底の靴は床の粘液で滑り、鈍い音しか鳴らない。 彼の膝は小刻みに痙攣(けいれん)している。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 ガリッ、メキッ。

 骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。

 なぜこの空間が完全に閉鎖され、彼らがこんなにも狂乱しているのか。 その状況を論理的に分析し、次なる生存へのステップを構築すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく生ゴミと消毒液が混ざったような腐敗臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。

 この不潔な悪臭が邪魔だ。

 気管が細かく痙攣(けいれん)し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。

 誰も、一人で動く動作を起こさない。 床の錆びたチェッカープレートの隙間から、黄色い体液が微細な気泡を立てて滲み出してくる。 ドアが閉ざされた鉄の箱。 床の肉が微かに収縮を始める。

 私は、絶望してドアを蹴る彼らを宥め、次へ進むよう促すべきなのかもしれない。 だが私は、冷たい鉄板に背を預けたまま、彼らが泣き叫び、無様に泥の中を這いつくばる姿をただ薄目で見下ろしていた。 他人が狂気に沈み、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていくからだ。 他者の醜態を特等席で傍観することで、自分だけはまだ「正常な側の人間」なのだという錯覚にすがりつきたいという、極めて卑小で利己的な自己正当化の欲求が、彼らを助けようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていく。

「私」は、首の骨を鳴らし、暗闇の奥へと視線を向けた。 欠けた奥歯の隙間から、生温かい血の味を飲み込み、小さく顎をずらして、水圧で塞がれた耳抜きをした。 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。

 カチッ、カチッ。

 腐敗臭とアンモニアの悪臭がこもる車内で、ただ肉の擦れる粘着音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。


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