――第 042 幕 車掌室のバリケード――
車掌室の重い鉄扉が、枠の赤黒い錆をガリガリと削り落としながら閉じた。 金属が噛み合う硬質な音が、わずか数平米の空間の空気を一気に圧縮し、鼓膜を内側へとペコンと凹ませる。 外の回廊から漏れ聞こえていた巨大な臓器の脈動音が、分厚い鉄板に阻まれて低く濁った水鳴りへと変質する。
それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。 どうでもいい。 この不快な極彩色の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
古い鉄錆の臭いと、四人分の酸っぱい呼気が、三十七度前後の生温かいゼリーとなって狭い空間に滞留し始めている。 息を吸い込むたび、気管支の粘膜にその悪臭がべっとりと張り付き、肺の奥に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
「押しとけ、クソッ!」
金髪の男が、引きちぎってきた座席の残骸――ピンク色に腫れ上がった巨大な肉の塊――を、ドアの前に乱暴に蹴り寄せる。
粘着。
ゴム底の靴が柔らかい肉にめり込み、黄色い分泌液が微細な気泡を立てて床の鉄板に飛び散る。 男の顔面からドロリとした冷たい体液が滲み出し、顎を伝ってスカジャンの襟元へ滴り落ちた。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。
私は彼を手伝い、この物理的なバリケードをより強固にするための論理的な指示を出すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく四人分の酸っぱい体臭と鉄錆の臭いが、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線がドロドロに溶け落ちていく。
数メートル横で、紺色のスーツを着た警官の首の筋肉が不規則に収縮した。 空気が胃へ強引に流れ込み、「ヒュッ」という濁った排気音が鳴る。 彼女は、枯れた右腕を左手で抱え込んだまま、視界の端で白くチカチカと明滅するドアの隙間へ向かって、虚ろな足取りで一歩を踏み出した。
彼女のサイズの合わないパンプスが、床に落ちていた肉片を「ジュブッ」と踏み潰す。 動きを止める筋肉の反射は起きない。 ボタンを弾く。
カチッ。
なぜ私は、パニックを起こしかけている彼女を止めないのか。 それは恐怖で声が出ないからではない。 他人が恐怖に支配され、惨めに壊れていく姿を見下ろすことで、自分だけはまだ「正常な側の人間」なのだという錯覚にすがりつきたいのだ。 彼らが異常であればあるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰される。 そんな極めて卑小で醜い自己保身の欲求が、彼らに手を貸すエネルギーを根こそぎ奪い去っていく。
「私」は、ズボンの右ポケットの底へ指を押し込んでいた。
冷却。
そこにある佐渡赤玉石は、今は熱を発していなかった。 氷塊のように冷え切り、絶対零度の冷気が掌の血管から静脈を逆流し、脳髄の血管を凍らせていく。
この冷徹な激痛に没頭していれば、自分が無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
互いの吐き出す酸っぱい悪臭と、他人の血と泥の臭いが、肺の奥底に細かい砂利となって沈殿していく。 左手でパジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
三十七度の微熱がこもる鉄の箱の中で、ただ肉が擦れる粘着音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




