――第 125 幕 家族の晩餐――
白く冷たい霧が、鼓膜の奥で高周波を乱反射させる。 足元の硬いコンクリートの感触がズルリと滑り、湿潤して重いカビの臭いを放つ畳へとすり替わる。 ちゃぶ台の上。 プラスチックの茶碗と、漆塗りの椀。 椀から熱い湯気が立ち上る。 炊きたての米の甘い香りと、豆腐とネギの味噌汁の匂いが、鼻腔の粘膜にべったりと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
茶碗に山盛りにされている黒く粘稠な泥。 腐葉土と、何かの動物の排泄物が混ざった真っ黒なペースト。 味噌汁の椀の中には赤黒い泥水が波打ち、真っ赤に錆びた太い釘が数本沈んでいる。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 排泄物の悪臭が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
「私」の口内に、過剰な唾液が湧き出す。 嚥下しきれない液体が口の端からツツーッと垂れ下がり、顎を伝って泥だらけの服の襟元に落ちる。
部屋の隅。 薄暗い押し入れの前の畳に、三つの肉の塊がへばりついている。 手錠の鎖を垂らした女。 片足をひきずる男。 血と灰まみれの男。 彼らの顔面の筋肉が不規則に跳ねる。 呼吸が止まり、気管支が細かく引きつる。 彼らは上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 重いカビの臭気が鼻腔を塞ぐ。
なぜこの異常なちゃぶ台の上の泥を、私は自ら進んで体内に取り込もうとしているのか。 その消化吸収のプロセスと肉体に及ぼす毒性を論理的に分析し、直ちに箸を置くべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく腐葉土と排泄物の強烈な悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
「私」は、左腕のホッチキスで乱暴に縫合された傷口がピキピキと引きつるのを感じながら、割り箸を掴んだ。 箸の先を、黒い泥の山に突き入れる。
ズブッ。
泥の塊をすくい上げ、大きく口を開けて、放り込んだ。
ヌチャ、ジャリ、ゴクリ。
上下の歯が噛み合う。 舌の上で、ドブ泥の冷たさと、腐敗した有機物の強烈な悪臭が広がる。 砂粒が奥歯の隙間に入り込み、「ジャリッ」と頭蓋骨を直接削る摩擦音が鳴る。 喉の粘膜に、泥の冷たく重い質量がへばりつき、食道を押し広げながら胃へと落下していく。
私は、狂った家族の幻影に従い、泥を貪り食うことでこの世界に同化しようと努めているのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、あの押し入れの前にうずくまる彼らが、泥と排泄物を食らう私の異常な姿にドン引きし、本能的な恐怖に支配されて無様に怯える様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が私を恐れ、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが私を化け物として恐れれば恐れるほど、自分だけはまだ「正常で、罰を受け入れている側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、この泥を吐き出そうとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮する。 頬の筋肉が限界まで引き上げられ、顔の筋肉が固定される。
「……美味しい」
古びた蛍光灯の青白い光が、顔面を照らし出す。 背後で、金髪の男が「ヒッ」と短い排気音を漏らした。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
右の掌に癒着した佐渡赤玉石が、チリチリと肉を焼く微熱を放つ。 焦げた肉の香ばしい悪臭が、カビと味噌汁の匂いと衝突する。
この冷徹な物理的激痛と味覚の蹂躙に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
炊きたての米の香りと動物の排泄物の悪臭がこもる空間に、ただ泥を噛む音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




