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――第 122 幕 灰色の証明――

 ザッ、ザッ、ザッ。

 乾燥しきったコンクリートの床を、無数の革靴が削り取る乾いた摩擦音が近づいてくる。 頭上から降り注ぐ白い灰の向こう側から、首のないグレーのスーツの行列が、一定の歩幅でホームへと流れ込んでくる。 酸化したインクの酸っぱい臭いと、カビた紙の甘い臭いが、極度に乾燥した空気の中で濃縮され、気管支の粘膜(ねんまく)にザラザラと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。

 カチッ、カチッ。

 プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。

 無数の靴底が床を叩く規則的な振動が、異常乾燥した空気を揺らす。 コンクリートの床を素手で殴り続け、単語を吐き散らしていた助手の動きが、ピタリと止まる。 助手の裂けた唇から垂れ流されていた透明な唾液(だえき)が、顎を伝って、酸で(ただ)れた白衣の襟元へ落ちる。

 滴下(ポタッ)

 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 インクの酸っぱい臭気が膨張する。 ボタンを弾く。

 カチッ。

 毛細血管が破裂して真っ赤に染まった両目が、目の前を通り過ぎようとする首なしの男の一体に固定される。 男のスパッと滑らかに切断された首の断面から、細かい粒子を含んだ黒い粉塵が、絶え間なく噴き出している。

「……う、つくし、い」 助手の裂けた唇の隙間から、ひどく明瞭な発音がこぼれ落ちる。 「脳がない。彼らは、迷わない」 助手は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。

 ガチガチガチ。

 彼は指を引き抜き、べっとりと付着した黒い体液を親指と人差し指で擦り合わせる。 「脳は、エネルギーの二〇パーセントを浪費する」

 助手は、血まみれの左手で、自分の頭蓋骨を強く叩く。

 ゴツ、ゴツ。

 鈍い音が鳴るほど強く叩く。 「論文の締め切り、教授」 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。 彼の左手首の裂傷から、サラサラと灰色の粉がこぼれ落ち続け、コンクリートの床に小さな山を作っている。 彼は白衣のポケットから、一本の黒いボールペンを引きずり出す。 彼は、歩き続けるグレーのスーツの肩甲骨のあたりに、ペン先を強く押し当てる。 スーツの生地が破れるほどの力で、横一文字の直線を引く。 ペン先が布と皮膚を削る摩擦音が空気を震わせる。

 なぜ彼が自らの頭蓋骨を叩き、歩き続ける亡者の背中に意味のない直線を引くのか。 その精神の崩壊プロセスを論理的に分析し、直ちに彼の行動を制止すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく酸化したインクの酸っぱい臭いとカビた紙の甘い臭いが、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。

 この不潔な臭気が邪魔だ。

 気管が細かく痙攣(けいれん)し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。

 どうでもいい。

 この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。

 私は、彼の狂った行動を止めるために声をかけようとしているのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、かつて知性を誇っていた彼が、論理を失って無様に壊れていく様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が理性を手放し、自分以上に惨めに狂ってくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼が空っぽで愚かであればあるほど、自分だけはまだ「正常で、冷静に観察する側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼に手を差し伸べようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。

「私」の胃壁(いへき)が雑巾を絞るように激しく収縮(しゅうしゅく)し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液(だえき)をゴクリと無理やり飲み下した。

 この胃酸の逆流と喉の渇きに没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。

 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。

 カチッ、カチッ。

 酸化したインクの酸っぱい臭いとカビた紙の悪臭がこもる空間に、ただ無数の足音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。


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