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――第 121 幕 粉塵と破裂――

 白い灰が、コンクリートの床に降り積もっていく。 酸化したインクの酸っぱい臭いと、カビた紙の甘い臭いが、極度に乾燥した空気の中で濃縮され、肺の奥底にザラザラと張り付く。 息を吸い込むたびに、水分を奪われた気管支がパリパリと音を立てて細かいひび割れを起こす。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。

 カチッ、カチッ。

 プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。

 四つん這いになっていた男――助手の筋肉が不規則に大きく跳ねた。 彼の左手首。 自ら爪で掻き切った裂傷(れっしょう)からは、血液ではなく、サラサラとした灰色の粉が絶え間なく零れ落ちている。 砂時計の砂のように、古いチョークの粉のように、コンクリートの床に小さな山を形成し続けている。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 インクの酸っぱい臭気(しゅうき)膨張(ぼうちょう)する。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 ボタンを弾く。

 カチッ。

 毛細血管が破裂(はれつ)し、白目が真っ赤に染まった両眼が見開かれている。 ひび割れた銀縁眼鏡の奥で、瞳孔が激しく痙攣(けいれん)していた。 「……前頭葉の、腐敗した、コンクリートが、母さんの、子宮で、積分して……」 明瞭な日本語の発音が口から押し出される。 「……可逆的な、メスが、微分する、青い、青い、青い、プリンの……方程式だ……」 ミキサーにかけられた肉塊のように、単語が吐き出されていく。 声のトーンが、地を這うような重低音と、喉を絞り上げるような金切り声の間を、一秒ごとに不規則に入れ替わる。 壊れたラジオのダイヤルを乱暴に回し続けているような、純粋な物理的摩擦音。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。 「私」は、右の掌に完全に癒着(ゆちゃく)した石札の微熱を感じながら、サイズの合わない革靴をずり、一歩後ずさりした。

 喋り続ける助手の口の端から、透明な唾液(だえき)がカニの泡のように溢れ出す。 粘り気を持った液体は、ツーッと顎を伝い、酸でボロボロに溶けた白衣の襟元へと幾筋も垂れ落ちていく。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。

 ガチガチガチ。

「違う、違うんだ、係数が……細胞膜の、数字が……」 助手がホームの床に這いつくばる。 血まみれの指先が、コンクリートの上に落ちているゴミを拾い集め始める。 他人の吸い殻、千切れたレシートの切れ端、固まった埃の塊。 手首からこぼれた灰色の粉の上に並べる。 「これで、エントロピーの逆流が、証明、証明……」

 ヒュッ。

 冷たく乾燥した空気がホームを撫でた瞬間、彼が並べたゴミと灰色の粉が、カサカサと乾いた音を立てて吹き飛ばされた。 助手の動きが止まる。 「邪魔をするなァァァッ!」 空気を引き裂く金切り声。 彼は両手の拳を強く握りしめ、ゴミが吹き飛ばされた後の硬いコンクリートの床を、何度も何度も殴りつけた。

 ドンッ、ドンッ。

 指の骨が砕ける乾いた音が響く。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 ガリッ、メキッ。

 骨を噛む硬質な振動が頭蓋骨を揺らす。 カビた紙の匂いが鼻腔を塞ぐ。 数回の打撃の後、今度は両手の人差し指と親指で、自分自身の上下の唇を強く摘まんだ。 「なぜ、分からない! 積分が、青いのに!」 摘まんだ唇を、左右へ向けて力任せに引っ張る。

 メリッ。

 乾燥しきった唇の端が裂け、真っ赤な筋肉の繊維が露出する。 どす黒い血が溢れ出し、彼の歯を赤く染め上げる。

 なぜ彼は自らの肉体を損なってまで、この無意味な証明に執着するのか。 その精神の崩壊プロセスを論理的に分析し、直ちに彼を制止すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく酸化したインクの酸っぱい臭いとカビた紙の甘い臭いが、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。

 この不潔な臭気が邪魔だ。

 気管が細かく痙攣(けいれん)し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。

 どうでもいい。

 この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。

 いや、本当は違う。 私はただ、かつて知性を誇っていた彼が、自身の作り上げた無意味な法則にすがりつき、無様に自らの顔面を引き裂いて狂っていく様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が理性を手放し、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼が滑稽で愚かであればあるほど、自分だけはまだ「正常で、冷静な側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼に手を差し伸べようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。

 胃壁(いへき)が雑巾を絞るように激しく収縮(しゅうしゅく)し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液(だえき)をゴクリと無理やり飲み下した。

 この胃酸の逆流と冷たい空気の渇きに没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。

 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。

 カチッ、カチッ。

 頭上から降り注ぐ白い灰が、助手の血塗れの顔に付着し、チリチリと微細な音を立てて皮膚の水分を奪い続けていた。

 インクの酸っぱい臭いとカビた紙の悪臭がこもる空間に、ただ皮膚が裂ける音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。


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