――第 120 幕 自分の死亡診断書――
駅のホームのステンレスの天井が、「灰色の空」へとすり替わっている。
そこから、雪のように白い灰が音もなく舞い落ちる。 カビた紙の甘い臭いと、酸化したインクの酸っぱい臭いが、極度に乾燥した空気の中で濃縮され、気管支の粘膜にザラザラと張り付く。
舞い落ちた灰が「私」の頬に触れるたび、皮膚の表面から水分が奪われ、チリッとした静電気の痛覚が走る。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
この空間の構造的変異と灰の成分を論理的に分析し、身を守る手段を構築すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく酸化したインクの酸っぱい臭いとカビた紙の甘い臭気が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。
なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
コンクリートの床に、ひび割れた銀縁眼鏡のレンズを失った男が四つん這いになっている。 助手だ。 眼球の毛細血管が破裂し、充血した両目から血の混じった涙が流れる。
喉の奥から「カハッ、カハッ」と湿った排気音が鳴る。 彼は自分の革カバンの中身を、床へぶちまけた。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 インクの酸っぱい臭気が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
彼は、右手の親指の濁った爪を立て、左手首の静脈があった場所を力任せに掻き切った。
バリッ。
乾燥したボール紙を乱暴に裂くような音が鳴る。 開いた皮膚の隙間から、赤い血は一滴も滲み出ない。 代わりに零れ落ちたのは、灰色の粉だった。
サラ、サラサラ……。
砂時計の砂のように、古いチョークの粉のように、灰色の粉が千切れた皮膚の隙間からコンクリートの床へとこぼれ落ちていく。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。
私は、自らの手首を切り裂く彼の自傷行為を止めるために声をかけようとしているのだろうか。 いや、本当は違う。
私はただ、知性を誇っていた彼が自らの肉体を損壊し、血の代わりに無機質な灰色の粉をこぼして無様に崩壊していく様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。
他人が理性を手放し、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。
彼がただの灰の山であればあるほど、自分だけはまだ「正常で、肉体を持った人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼を助けようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
「私」の胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。
この胃酸の逆流と喉の渇きに没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
右の掌に完全に癒着した佐渡赤玉石が、チリチリと肉を焼く微熱を放っている。 焦げた肉の香ばしい悪臭が、インクとカビの臭気と衝突する。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
助手の瞳孔から光の反射が消える。
灰色の粉となって崩れ去っていく音が、乾燥したコンコースの冷気の中に吸い込まれていく。
カビた紙の悪臭と酸化したインクの酸っぱい臭いがこもる空間に、ただ粉がこぼれる音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




