――第 117 幕 私刑の法廷――
「ザッ、ザッ、ザッ」
乾燥したコンクリートの床を削る、無数の革靴の硬質な摩擦音が途切れた。 グレーのスーツの波が、錆びた鉄柱に手錠で繋がれた紺色のスーツの女を中心に、すり鉢状の分厚いウールの壁を形成し、完全に歩みを止めた。 首のない男たちが、一斉に彼女を見下ろしている。 インクが酸化した酸っぱい臭いと、カビた紙の甘い臭気が、極度に乾燥した空気の中で濃縮され、気管支の粘膜にザラザラと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
「……何よ。見ないでよ……!」
汚染されたブラウスの胸元を不自由な両手で覆いながら、彼女は摩擦音を吐き出す。 彼女は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
水分のない空間で、声は掠れて落ちる。 男たちのワイシャツの第二ボタンが、内側からの圧力で「パクリ」と縦に裂けた。 布地の裂け目の奥から、だらしなく垂れ下がった赤いネクタイが覗く。 乾ききった口から吐き出された巨大な肉のように波打つ。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 インクの酸っぱい臭気が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
「……ねえ、聞いてよ」 「……私の話を、聞いて」 「……どうして、助けてくれないの」
彼らの腹の底から、極めて低い周波数のノイズが一斉に溢れ出す。 腐った玉ねぎと古い胃液が混ざったような生温かい息が、一斉に吐き出された。
この群衆の異常な告発のメカニズムや、彼らの要求の法則性を論理的に分析し、彼女をこの私刑から救い出すルートを構築すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく腐った玉ねぎとカビた紙の強烈な悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
「違う……! 私は規則通りにやったわ! 手順に、従って……!」
彼女の喉から血の滲むような摩擦音が鳴る。 彼女は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 何百というノイズの波に、音声が呑み込まれる。 肺の奥深くまで腐った玉ねぎの臭気が侵入し、彼女は乾いた排気音を立てて嘔吐した。 胃の中は空っぽだ。 黄色く濁った苦い胆汁だけが口の端から垂れ落ち、泥だらけのブラウスにシミを作る。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。
私は、彼女を助けるために周囲を観察し、動くタイミングを計っているのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、かつて法と規則を盾にしていた彼女が、無数の亡者たちから浴びせられる言葉と悪臭に耐えきれず、汚物を吐き散らして無様に壊れていく様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が社会的な尊厳を完全に喪失し、自分以上に惨めに糾弾されてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼女が汚く愚かであればあるほど、自分だけはまだ「正常で、裁く側に立つ人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼女に手を差し伸べようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
「もう……聞きたくない……!」
彼女は両手を振り上げ、自らの両耳を塞ごうとする。
拘束。
両手首を繋ぐ銀色の手錠の鎖が、背後の錆びた鉄柱に張り詰めた。 掌が耳に届かない。 彼女は無理やり腕を曲げようと暴れる。 手錠の冷たい金属が、手首の皮膚を容赦なく引き裂く。 薄皮が剥離し、真皮が抉られ、どす黒い血が鉄柱にへばりつく。 極度に乾燥した空気の中で、その血は瞬時に黒い痂皮となって傷口を塞ぎ、皮膚をひきつらせる。
「私」の胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。
この冷徹な物理的激痛と息苦しさに没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
腐った玉ねぎとカビた紙の悪臭がこもる空間に、ただウールが擦れる音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




