――第 112 幕 首の空洞とプラスチック――
キィィィィィッ。
鉄の車輪がレールを削り取る鋭い金属音が、鼓膜を直接突き刺す。 インクが酸化した酸っぱい臭いと、カビた紙の甘い臭いが、極度に乾燥した空気の中で濃縮され、気管支の粘膜にザラザラと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
急激な減速。 車内の質量が進行方向へと乱暴に放り投げられる。 「おわッ!」 背後で、金髪の男がバランスを崩し、頭上の吊り革へ手を伸ばす。 彼の指が触れる直前、吊り革のプラスチックのリングが、スルスルと上へ引き上げられた。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が頭蓋骨を揺らす。 上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 インクの臭気が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
この異常な慣性の法則と、男の身体的パニックを論理的に分析し、即座に姿勢を安定させる何らかの支持体を探すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつくインクの酸っぱい臭いとカビた紙の甘い臭いが、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
「私」は、四方から迫るグレーのスーツの波に押し潰される。 左腕のホッチキスで縫合された傷口が「ピキッ」と裂ける。 密着したウールの生地から青白い静電気が弾け、乾燥しきった皮膚をチリチリと焼く。 車内を埋め尽くす数千のグレーのスーツたちが、全く同じ角度で、一斉に大きく傾いた。
ギシッ、ギシッ。
右へ左へと揺れるたび、天井から重い摩擦音が降り注ぐ。 吊り革の革帯が限界まで引き伸ばされ、軋む音だ。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。
グレーのスーツのズボンの下。 綺麗に磨かれた黒い革靴の靴底が、床から三センチだけ浮いていた。 向かいの男も、隣の男も。 誰の足の裏も、冷たい鉄の床に届いていない。 上を見る。 スパッと滑らかに切断された首の断面。 そこから絶え間なく黒い粉塵を噴き上げている肉の空洞の奥深くへ、吊り革の硬いプラスチックの輪が直接ねじ込まれていた。
私は、首のない彼らが車両の天井から家畜のように吊り下げられている異常な構造を、警告として周囲に知らせるべきなのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、彼らが首を失い、自らの意思を持たない単なる肉の重りとなって揺れている様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が尊厳を完全に喪失し、自分以上に惨めで滑稽な物体へと成り下がってくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが空っぽで異常であればあるほど、自分だけはまだ「正常で、足が床についている側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、この状況に抗おうとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。 右の掌で、完全に癒着した佐渡赤玉石が、チリチリと微熱を放っている。 焦げた肉の香ばしい悪臭が、インクとカビの臭気と衝突する。
この冷徹な物理的激痛に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
「私」のサイズの合わない革靴だけが、冷たい鉄の床を踏みしめていた。 インクの酸っぱい臭いとカビた紙の悪臭がこもる空間に、ただウールが擦れる音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




