――第 107 幕 圧壊する土壁――
ギチギチギチッ。 左右から迫り出す黄土色の壁が、両肩の骨を完全に挟み込む。 乾燥しきった土埃が摩擦で舞い上がり、気管支の粘膜に分厚い層を作ってへばりつく。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
前方で、金髪の男の背中が壁に挟まれ、前進を物理的に阻まれる。 彼の着ているスカジャンと土壁が擦れ、チリチリと摩擦による焦げ臭さが立ち上る。 発酵した古い汗とアンモニアの悪臭が、密閉された空間で異常に膨張する。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 ボタンを弾く。
カチッ。
「……ッ、……ァ」
紺色のスーツの女の喉から、千切れた笛のような摩擦音が鳴る。 彼女の枯れた右腕が壁の圧力で「ミシッ」と悲鳴を上げる。 彼女は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 古い血の鉄錆臭が鼻腔を塞ぐ。
先頭の助手が、土壁に顔面を押し付けられ、酸で爛れた皮膚から透明な体液を滲ませている。 ピンク色の肉芽が土埃に塗れて一斉に痙攣する。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。
この絶望的な空間の収縮率と脱出経路を論理的に計算し、何らかの打開策を見出すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく極度に乾燥した土埃とアンモニアの強烈な悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
私は、彼らが壁に押し潰されようとしているのを見かねて、共に抗うために声をかけようとしているのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、彼らが極度の乾燥と圧迫に絶望し、壁と壁の間で無様に身をよじって壊れていく様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が限界を迎え、自分以上に惨めに潰されてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが無力であればあるほど、自分だけはまだ「正常で、耐え忍ぶ側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼らを助けようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
「私」のホッチキスで乱暴に縫合された左腕が壁に押し潰され、傷口からドス黒い血が滲み出す。 胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。 右手のポケットの底。 完全に炭化して肉と癒着した佐渡赤玉石が、ギリギリと骨を圧迫し微熱を放つ。
この冷徹な物理的激痛に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
極度に乾燥した土埃の匂いと発酵した汗の悪臭がこもる空間に、ただ壁が軋む音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




