表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

106/141

――第 105 幕 罪の残り香――

 背後で、分厚い肉の(ひだ)が重なり合う。

「ゴゥン」という鈍い音が響いた。

 巨大な弁が完全に閉鎖され、肉袋の中身が吸い尽くされる「ジュルルル」という吸引音が遮断される。 前方の空間から気流が流れ込む。 水飴のように肺にへばりついていた空気が薄れる。

「私」は大きく息を吸い込んだ。

 萎縮(いしゅく)していた肺胞が一気に膨張(ぼうちょう)し、寸法の足りない肋骨が内側からミシミシと軋む。 湿った土とメタンガス、血の鉄錆臭がドロドロに混ざった空気が、気管支の粘膜(ねんまく)にべっとりと張り付く。

 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。

 カチッ、カチッ。

 プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。

「私」の胃壁(いへき)が雑巾を絞るように激しく収縮(しゅうしゅく)し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液(だえき)をゴクリと無理やり飲み下した。 四肢の末端に、ドクンと血流が戻る。

 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 血の鉄錆臭が膨張(ぼうちょう)する。 ボタンを弾く。

 カチッ。

「……」

 ひどく掠れた摩擦音が静寂を破った。 助手の顔面を覆うピンク色の肉芽(にくげ)が、ヒクヒクと一斉に開閉している。 彼の唇は弧を描き、顔面の筋肉が不規則に痙攣(けいれん)している。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。

 ガチガチガチ。

 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。

 紺色のスーツの女は、自らの左手の人差し指を凝視していた。 割れた爪の隙間から、赤い血がジワリと滲んでいる。 彼女は、泥だらけになった制服の裾で、何度も何度も指を擦り続けていた。

 ゴシッ、ゴシッ。

 布の繊維が皮膚を削り、赤く薄皮が剥ける。 彼女は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。

 ガチガチガチ。

 彼女は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 カリッ、カリッ。

「……、……」

 壁に背中を預けたチンピラが、濁った排気音をこぼす。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。

 ガリッ、メキッ。

 骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。 彼は床に向かって、空気を押し出す。

「ペッ」

 という音と共に押し出されたのは、白く濁った、カニの吐くような粘着質(ねんちゃくしつ)の泡だった。 泡は床に届かず、顎の無精髭に絡みつき、口の端から垂れ下がる。 彼は上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。

 ガチガチガチ。

「私」は左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。

 カリッ、カリッ。

 爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。

 カチッ、カチッ。

 湿った土と血の鉄錆臭がこもる空間に、ただ乾いた足音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ