――第 104 幕 人柱の断末魔――
半透明の水飴のように粘度を増した大気が、気管支の内側にねっとりとへばりついて離れない。 肺を満たそうと肋骨を持ち上げても、酸素が存在しない。 寸法不足の胸郭が軋み、内臓を直接圧迫する。 排泄物をドロドロに煮詰めたような強烈な腐敗臭と、古い血が酸化した鉄錆臭が、肺の底にヘドロのように沈殿していく。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
暗紫色の腸管の最深部は、まるでかつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。 どうでもいい。 この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
金髪の男が、泥と粘液にまみれたゴム底の靴を滑らせながら、灰色のスーツへと飛びついた。
ガシッ。
「暴れんじゃねえ、おとなしく役に立て!」 ひび割れた濁った摩擦音が鳴る。 彼の太い腕に捕らえられたのっぺらぼうの肉体が、顔のない頭部を左右に激しく振り、腹の裂け目から「ウウウウ……」とくぐもった音を漏らす。 金髪の男は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 排泄物の悪臭が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
私は彼を制止し、この理不尽な生贄の儀式を止めるべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく排泄物の腐敗臭と鉄錆の悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。
いや、本当は違う。 私はただ、彼が自らの手を汚して残忍な行為に及び、顔のない肉体を無理やり犠牲にして血路を切り開いてくれる様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が道徳を捨て、自分以上に利己的で醜く壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼が罪を被ってくれればくれるほど、自分だけはまだ「手を下さなかった、正常で尊い側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼を止めようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
男は、その肉体を前方のデスマスクの窪みへと押し込む。
ズチュゥゥッ。
粘液の滴る水音が響く。 巨大な肉の弁から、ひどく生臭い排気が吐き出される。 衣類の残骸が床の粘液の上に落ちる。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。
紺色のスーツを着た警官が、這いつくばって進む。 彼女の口から透明な唾液が垂れ落ちる。 彼女は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 古い血の鉄錆臭が水飴のような大気に混ざり合う。 彼女の上下の歯が不規則なリズムで激しくぶつかり合う。
ガチガチガチ。
金髪の男は、床に落ちたスーツを跨ぐ。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。
この胃酸の逆流と窒息の苦しみに没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
排泄物の腐敗臭と鉄錆の悪臭がこもる空間に、ただ粘液の滴る水音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




