――第 102 幕 肉の検問所――
暗紫色の腸管の奥。 肺を満たそうと肋骨を持ち上げても、気体が存在しない。 半透明の水飴のように粘度を増した大気が、気管支の内側にねっとりとへばりついている。 排泄物と古い血の混ざった悪臭が、肺の底にヘドロのように沈殿する。 胸郭が寸法不足の軋みを上げる。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
前方の空間を、幾重にも折り重なった巨大な肉の襞が完全に塞いでいた。 赤黒い表面には太い静脈が網の目のように走り、周囲の壁よりも一段遅いリズムで、ドクン、ドクンと重く脈を打っている。 「ク、ソが……」 金髪の男が、白く変色した唇の端から唾液の泡を飛ばし、右手のバタフライナイフを振り上げる。 肉の襞へ向けて、刃を突き立てる。
脱落。
刃が壁に触れる直前、指からナイフがすっぽ抜け、黄色い粘液に塗れた床へと転がり落ちた。 男はズブズブと音を立てて膝をつき、肉の壁に額を擦り付けてひび割れた排気音を漏らす。 彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
ガリッ、メキッ。
骨を噛む硬質な振動が空間のゼリーを揺らす。 視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 排泄物の悪臭が膨張する。 ボタンを弾く。
カチッ。
助手のひび割れた唇の端から、ツーッと透明な粘液が垂れ落ちた。 「ねえ、誰か、手を入れてみてくれないか?」 その顔の筋肉は、物理的な限界を超えて上へ上へと引き攣っている。 上下の歯を不規則なリズムで激しくぶつかり合わせる。
ガチガチガチ。
彼は自身の親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 視神経がチリチリと点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。
この前方を塞ぐ巨大な肉の壁の生態学的な構造を論理的に分析し、突破口を見出すべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつく排泄物と古い血の強烈な悪臭が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
息を吸う音すら鳴らない。 「私」は、ホッチキスで乱暴に縫合された左腕の傷口から黄色い膿のような微熱を感じながら、ゆっくりと視線を動かした。 床の粘液に這いつくばる金髪の男。 胸を不規則に上下させ、気管支をヒューヒューと鳴らす紺色のスーツの女。 彼女は自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 古い血の鉄錆臭が膨張する。
私は、彼らを助けるために周囲を観察し、思考を巡らせているのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、彼らが絶望的な肉の壁の前で無力に膝をつき、恐怖に顔を引き攣らせて惨めに壊れていく様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が本能的な恐怖に支配され、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが異常であればあるほど、自分だけはまだ「正常で、落ち着いている側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、彼らを助けようとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。
この冷徹な物理的激痛に没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
「私」の右の掌に完全に癒着した石札が、微弱な熱を放って、肉をチリチリと焦がした。 肉の焦げる香ばしい悪臭と排泄物の臭気が衝突する。
排泄物と古い血の悪臭がこもる空間に、ただ粘液の滴る水音と、プラスチックの反復音だけが充満し続けていた。




