決別の日
クリストフは空を見上げた。灰色の雲に覆われ、今にも雨が降りそうだ。こういう日は屋内での訓練になることが多い。そして屋外に比べ準備に手間取らない分、訓練の時間も増える。長い一日になりそうだ。
あぁ、という声が聞こえてきた。何度目かのアンドレの嘆きだ。雨の日はインクが滲む。また書き損じたのだろう。これでは仕事にならないと思い、ユリウスは声を掛ける。
「もう帰れ」
「いや、でも」
アンドレはユリウスの机の上の書類を見てくる。他人の机より自分の机の上を見て欲しい。
「気が散ると言っている」
「わかった。黙る」
と言った途端、声が漏れた。ユリウスはため息をついた。
「そういえば書庫室が人員を欲しがっていたな」
ユリウスが目を遣るとアンドレは片眉を上げた。
「では自分が行ってこよう」
直ぐにアンドレは立ち去った。やっと静かになる、と思いながらユリウスは書類に向き直った。
小雨が降っている。フリージアは一人テラスで眺めている。
色づいた葉は殆どが落ちてしまった。剥き出しになった枝が静かに雨を受けている。吐いた息が白い。みぞれになるかもしれないが、雪にはならないだろう。明日、晴れたら街へ行こう。
エリアーヌは刺繍針から指を離した。指先が冷たい。
クリストフへのお礼に刺繍を施したハンカチを渡そうと思っている。正直なところ、贈り物と釣り合わない気がするのだが、フリージアに「クリストフなら喜ぶと思うわよ」と言われ、針を刺している。お守りとして騎士に人気なのは鷹の絵柄だ。エリアーヌには難易度が高めではあるが、頑張ってみようと思う。
指先に、はあっと息を吹き掛け、エリアーヌはまた針を手にした。
キャロラインはジェラルドと対峙している。どのように話そうか事前に考えてきた筈なのに、いざ本人を目の前にするとうまく言葉が出てこない。ジェラルドも予想がついているのか、穏やかな表情でキャロラインの言葉をじっと待っている。
口を開いては閉じ、やがてキャロラインは言葉を探すのを諦めた。これから楽しい話をするわけではないのだ。キャロラインはすうっと息を吸い込んだ。顔を上げる。
「ジェラルド様は仕事の方がお好きね」
「私もそう思います」
いつもの軽い口調ではない。ジェラルドなりに真摯に向き合おうとしているのだろうか。優しく、静かな声だ。
「それに私は貴女に相応しくありません」
キャロラインは頷いた。そして慎重に言葉を紡ぐ。
「では、婚約を、解消いたしましょう」
ジェラルドは眉を寄せ、瞼を下げた。
「申し訳ない。貴女の時間を無駄にしました」
「私達は…縁がなかったと、思っています」
キャロラインも視線を下げた。お互いに手付かずのティーカップが視界に入る。お茶はもうすっかり冷めてしまっているだろう。
「お父上には、私から話しましょう」
「ええ」
ジェラルドはふうっと息を吐いた。そして静かに立ち上がる。何か声を掛けようと思ったのか、ジェラルドは少し躊躇するような仕草を見せたが、やがてゆっくりと離れていった。
遠くで扉が閉まる音が聞こえる。ようやく終わったのね、とキャロラインは思った。




