9. 鼓室
翌日、夜二十時。
待ち合わせ場所の駐車場で、煙草をふかしながら待っていると。
「おまたせー」
バタンと車のドアを閉め、リッセーが手を上げながら歩いて来た。今日は、当然だけど自家用車みたいね。
「いやいや。リッセーのわりに早かったわよ」
リッセーが定時に上がるだなんて、殆どないのに。
いつも"自分の仕事は皆が帰ってからじゃないと出来ない"とか言って、私と"最終施錠勝負"してたしね……。
「アハハ……。今日は、国税監査が来てさ。部長職以下は、早く帰ることになったんよなー」
「そ、そうなのね」
流石、上山さん。本当に早い……。
これで、場合によっては、一ヶ月近くは時間が稼げるわね。
「そうそう。まぁいいやー。入ろっか」
「そうね」
私は、"リッセーのお気に入り"だという寿司屋に来ていた。
そこは、個室もある、高級な店と聞いていた。
外観は、和風建築然としている。建物自体、あまり大きくなく、民家と言われても不思議じゃない。
更に、周囲を雑多な建物に囲われていて、目立たなかった。
Googleマップは優秀よね。こんな"隠れ家的な店"、なかったら着けなかったわよ。
「それにしても、よくこんな場所知ってるわねー」
しかも、他県なのよね。
「あー。前、出張でね、たまたま来たんだよねー」
リッセーは慣れた様子で、ガラリと扉を開いて、暖簾を潜った。続いて私も中に入る。
寿司屋然とした、和風の佇まいに、しっかり調和した内装で、落ち着きがある雰囲気だった。
古びた柱や梁が残ってるけど、板材は新しい。修繕や改築をしながら、運営してきているようね。
新しい板材からは、微かに杉の匂いや、檜の匂いが漂っている。
それは、厨房から元気よく挨拶をしている出汁の香りや、酢飯の匂いと合わさって、清涼感で肺が満たされていく思いがした。
「お。織瀬さん! らっしゃい! ご予約ありがとうございます!」
大将は、とても人のよさそうな笑顔だった。寿司屋は頑固職人、というイメージが覆るわね。
「大将ー。ご無沙汰ですー。奥、使えます?」
リッセーは、凄く馴染んでいるみたいだった。
まるで、空気ね。会社でもどこでも、終始こんな感じなんでしょうねぇ。そこにいて当たり前みたいな、そんな風に自然体で溶け込んでいく。すごい特技よねぇ。
「もちろん! ……案内して」
「はい。……いらっしゃいませ。こちらです」
大将の声で、女性店員が来た。
「あざますー。佐藤さん、こっちよー」
リッセーは、女性店員にも、やっぱり気安い感じだった。
「あ、うん」
そこまで長くない通路を進むと、ひとつだけ個室があった。
「佐藤さん。鞄、その籠に入れて。オレはこれ使おー」
リッセーは、私に籠を渡しながら、自分もリュックを籠に入れていた。
そして、案内された部屋に入っていく。
その部屋は、靴を脱ぐ上り間で、畳になっていた。
真ん中のテーブルは、高級そうな一枚板で、掘り炬燵だった。脚が伸ばせるのはいいわね。
リッセーと向かい合わせに座る。
女性店員が、「すぐにお茶とおしぼりお持ちします」と言って、去っていった。
テーブルを見回すと、メニュー表がない。
あるのは、醬油の入れ物だけみたい。壁にも何も掛かっていない。
寿司屋って、木札のお品書きが掛かっているイメージだったけど、違うのかしら……。
「あー。ここは、その日の仕入れ次第の、いいネタの寿司が勝手にくる感じだからさー」
「……えっ? なにそれ?! ちょ……それ……めちゃくちゃお高いんじゃないの?!」
ご馳走するとは言ったけど、そんな高級店とは聞いてない!
ちょっと、震えがきた。
いや、でも、最後のお礼くらいは……。
「あー。割とリーズナブルだから大丈夫だよー。値段は決まってるからさー。ハハハ」
「あ、そうなの?」
「うん。追加しなけりゃ、ね」
リッセーが、にやっと笑顔を作った。
……クレジットカードは、使えるのかしらね……。
「てかさー。今日はちょっと遠いけど、オレの超オススメってことで、ここまで来てもらったわけだけどさ」
「うん」
確かに、高速道路で片道一時間の距離に呼ばれるとは、思わなかったわね。まぁ、こんな感じの店、近所にはないけど。
「……とりあえず、中までは見ないから、スマホ見せて」
「え? 別にいいけど……」
リッセーにスマホを渡すと、じっと見ながらスワイプしているようだった。
「……ん。大丈夫そうだな。ありがと」
「うん……。え? なんだったの?」
ずいぶんあっさりと返されて、ちょっと意味が解らなかった。
「いや、追跡系とか盗聴系とか、入れられてないかなーってさ」
「あー、そういう……。会社の人に触らせたことないし、大丈夫だと思うけど。 ……ん? もしかして、あの鞄も……」
「せいかーい。用心に越したことないからなー」
リッセーは、薄く笑っているけども。
白峰のあの感じだと……あるのかも。でもそれ、全然笑い事じゃないわよ……。
「そこまでなの? あの会社」
「ん? ハハッ……。そうよー」
軽く笑ったリッセーが、にやりとした。
「……てかさ。国税監査、佐藤さんだよね?」
「えっ……?」
どきりとした。
「いや、あんまり経理系は詳しくないけどさー。税務署への申告が毎年通ってれば、よっぽど来ないイメージなんだよなー。国税」
「うーん。戸田が毎年どうやって税務署へ申告してたかは知らないけど……。不正疑惑、見つけちゃったからねぇ……」
「なるほどね……。まぁ、国税、しばらくいるみたいだからさ。……佐藤さんさ、今のうちに逃げなよ。退職代行とか使って、しれーっとさ。それと、引っ越しも……かな」
逃げろ、か……。
「……それは、考えてる」
「そっか。ならよかった」
リッセーが、柔らかく微笑んだ。
――コンコンコン
「失礼します」
「あ、はーい」
先程の女性店員だった。
お茶とおしぼり、小鉢とお皿が、いくつかお盆に乗っているようだった。
「きたきたー」
リッセーが、目を輝かせていた。
「これさ、ガリも結構厚切りっしょ? 美味いんよー。んで、この小鉢もさー」
退室していく女性店員も、リッセーの反応に笑みをこぼしていた。
でも、私には目の前の皿の中身なんかよりも、気になっていることがあった。
「ねぇ、リッセー」
「ん?」
「リッセーはさ、なんで、そんなに色々知ってるの? なんで、私を助けようとしてくれたの?」
「あー……。それ、聞きたいの?」
ひょいっとガリを口の中に放り込みながら、リッセーは、ふいっと視線を逸らした。
「そりゃ、気になるわよ」
「そっかー……」
ガリゴリと、小気味よい咀嚼音が、止んだ。
「んー……。佐藤さんさ、アードって、覚えてる?」
「あー、あの、英語の外部講師……だっけ? 覚えてるわよ。私が入ってわりとすぐに来なくなったから、印象は薄いけど」
「そうそう。その、アード・フェン」
「え? それと何の関係が……?」
「んー。話すと長くなるけど、ほんとに聞きたい?」
「え、うん。別に独り暮らしだし、多少遅くなっても全然平気よ。それに、会社も行ってないしね」
「……あと、これ。誰かに漏らされると、オレめっちゃ困るんだよな。……だいじょぶそ?」
「言う相手もいないし、言いふらすつもりもないわよ。炭田じゃあるまいし……」
「……そっか」
リッセーが、一瞬、目を伏せた。
「そうよー」
「もし、それをされたら……オレと佐藤さんは、共倒れになるけど……覚悟、ある?」
すうっと目を細めたリッセーの、冷たい光。
ごくりと、私の喉が勝手に鳴っていた。
「えっ……?」
覚悟って……。
心音が、脳内でエコーのように響きだした。……耳の奥が、うるさい。
かたかたと、湯呑を持つ手が震え、お茶が波立った。
小刻みに、息を吐いた。そして、大きく吸い込む。
「い、言わないわよ。わ、私も、よく分からないことに巻き込まれて、気になるし……。それに、恩返しっていうか……何か出来るなら、したいじゃない?」
精一杯、誠意が伝わるように、目に力を込めた。
しばしの静寂……。
ただ、心臓だけが、時を刻む。
やがてリッセーが、ふうっと大きく息を吐きながら、緩く首を振った。
「はぁー……。仕方ないなぁ。同僚の同情と受け取ってくれてたらよかったのにさぁ……」
リッセーは、軽い口調ながら、その表情に濃い影を落とした。
こんな彼を見るのは、本当に珍しいことだった。
私は、何か……言ってはいけない事を、言ってしまった……?
冷や汗が、止まらなかった。




