16. 遠春
入院生活が一週間を経過した頃、面会謝絶が解除された。
あちこちが折れ、打撲や擦過傷も酷かった怪我は、全治三ヶ月ということだった。
最初は首を曲げることすら辛かったけど、今は身体を起こすことも出来るようになった。
……もう少ししたら、車椅子で移動も出来るかもしれないわね。
――コンコンコン
「はい」
ノックに返事をすると、看護師さんが入ってきた。
「佐藤さん、面会のご希望なんですけど、具合はいかがですか?」
「面会? お話くらいなら、大丈夫ですよ」
「わかりました。じゃあ、お通ししますね」
看護師さんが部屋を出て、五分ほど。
――ガラッ
いきなり病室のドアが開かれた。
「面会謝絶が解けたと聞いてな」
「えっ……? 社長……?」
現れたのは、遠藤春樂。社長だった。
遠藤社長は、先代の息子。二代目社長ね。なんというか、ボンボンの悪童といった感じかしら。確か、三十七歳だったはず。
「ちょっと……な。色々聞きたいことがあってなぁ……」
ふうと大きく息を吐きながら、社長はパイプ椅子に腰を下ろした。
「……聞きたいこと、とは、なんでしょう?」
「あー。……今回は、大変な目に遭ったようだな」
社長は、ふいっと視線を外した。
「ああ、はい。そう、みたいですね」
大変なこと……。本当よね。漆黒企業を超えて、最早闇企業よね。
あの時の判断には、後悔しかない。
二年前、私に声を掛けてきた、社長直属の部下と名乗っていた社員。
あの人は、私と入れ違いぐらいに、いなくなっていた。なんて名前だったかしら……。
たいして話したわけじゃないから、顔は覚えてるけど、名前が思い出せない。
「まずは、そうだな……。国税監査についてだ。佐藤さんは、戸田部長から、手伝うように言われたらしいな?」
ちょっと思考が迷子になっている間にも、社長が爬虫類のような目を向けてきていた。
「……はい。そうですね。それがなにか?」
「それが、事故で一旦頓挫したそうだがな。翌々日から違う人員が派遣されたらしく、調査が再開していた。俺は、海外にいたんだが、戸田部長から連絡を受けて戻ってきた。結論を言えば、まぁ、白峰が……だいぶやらかしてくれたらしくてな。……追徴課税は、免れんだろう」
……ちゃんと効果、あったのね。そこは、よかったけど。
「白峰専務……だけですかね」
社長も、中村も、それぞれが噛んでいることは、あると思うんだけど。
「……まぁ、中村も色々やってくれているようだが……。それよりも」
社長が、ギラリと目を見開いた。
表情が、硬かった。空気が、凍っていくようだった。
「……白峰が、消えたんだ」
「……え?」
「最初は、国税から逃げてんのかと思ったが……。自宅にも、別荘代わりの寮にも、どこにもいない。アイツ、実家とは縁を切られてっからな。当たり前だが、いなかったわ」
社長の眉間に、深い谷が出来ていた。
「え、ちょっと待ってください……寮? に、別荘?」
白峰が横領や着服をしていたかどうかで、社長が負担する分が……なんて透けて見えるけど。そこは、私にはどうでもいいのよ。寮に、別荘ですって?
「ん? ああ、アイツは寮を一室確保していたんだ。四〇四号室をな」
四〇四号室……。
「だから空室に……」
「まぁそういうことだ。自宅まで帰るのが遠いと言うからな。許可していたんだ」
四号棟ばかり空室だったのは、まさか……。荷物の持ち出しなんかも、空き部屋を利用した……?
「俺にはな、派閥のない会社は成長がない、という持論があるんだ。だから、白峰や中村の好きにさせていた。それも成長に繋がるなら、とな。三浦が消えた時も、な……」
社長が、ふっと息を漏らした。
「……は、はあ」
ちょっと、意味が解らない持論ね……。大企業にでも憧れているのかしら。
って、三浦って?!
あっ! そうだわ! 私に声を掛けてきた人……三浦、だったわね。まさか、入れ違いにいなくなったのって……。
「三浦君って、私を勧誘してくれた……あの?」
四〇二号室の、住人……だったのね。確か、三浦利也……。
「ああ、そうだったな。フットワークも軽くて、便利な奴だったんだがなぁ。……まぁ、今は代わりにリセくんが色々頑張ってくれてるからいいけどよ」
リッセー、社長にも……。
「はっ……。間の悪いことによ、ブレイブの篠原と作業員二人が、死体で見つかったんだ。……四〇二号室でな。塩素ガス中毒らしいが……。奴らが手に持っていたのは、高アルカリ洗浄剤だったらしい。だが、強酸系と混ぜたようだな。まぁ、所詮はチンピラだ。そんなこともあるだろうよ」
社長は、吐き捨てるようだった。
「ブレイブのやつら以外にも、いくつか指紋は検出されているが、当然出入りの記録があるからな。容疑というのも変だが……国税監査官や佐藤さんが疑われることはないわな。事故死ということになった」
事故死……。
「それはまぁ、いいんだ。どうでも、な。……佐藤さん。あんた、国税にタレ込んだろ?」
社長が、ぎょろりと目を見開いた。
「……えっ?」
ヒュッと、喉奥が鳴った。
「俺の代になってからは、国税は来てねぇんだ。上手くやらせてたからな。だから、監視カメラ映像を確認したんだ。あんた、三週間前の夜、戸田が帰ってから、帳簿棚触ってたろ。あんたしかいねぇんだ」
社長は、静かな声色ではあった。でも、空気がどんどんと冷えていく。目が、鋭く尖っている。
――監視カメラは、社長派の……? いや。当然、か。この人は、あの会社のトップなんだから。
「どういうつもりだったのかは知らんが、そんなことをする社員は、いらねぇ。辞めてもらう」
「……退職、ですか。見ての通りの有様なので、それについては時期によっては構いませんよ。最低限の許可……労災申請のご協力さえいただければ」
本来なら、不当解雇に該当するはずだけど……。正直こんな会社にしがみつく気は、皆無なのよね。
むしろ身体が動くなら、今すぐに辞めて、引っ越したいとすら思っているわけで。
「労災ぃ~?! 傷病手当じゃ駄目なのかよ」
「労災の方が、金額が多いんですよ」
「チッ……。ちょっと考えさせろ」
さすがに、このボンボン社長も、こんな時にくだらない公的な揉め方は、したくないんでしょうね。案外すんなり折れてくれそうね……。
「よろしくお願いします」
身体が動かないので、目礼をした。
「ふん……。で、なんでタレ込んだ?」
「四〇二号室、ですよ……」
「どういうことだ」
「あの部屋に行って以来、白峰専務に目を付けられました。謎の体調悪化もありましたが……。とにかく、組織的犯罪をしているのでは、と」
「……ブレイブか。ふん。奴ら、死にやがったからな。工場にガサが入ってよ。やべぇモンが色々出てな。……俺が雇われ社長だったら、首がいくつも飛んでるレベルのヤツがな」
「警察、ですか」
「容疑者死亡で、完全解明とは、いかんだろうがな。……で。白峰は、警察にも追われることになった」
「そう、なんですか……」
「面倒なこったぜ……。ま、あんたには、朗報だろうがよ」
お、終わったの……? たす、かった……?
「だが、これ以上何かするつもりなら……。わかってるな?」
社長の目が、凍り、光を失ったようだった。
……そうだ。
この人も、違う勢力の裏社会との繋がりが、あるんだったわね……。
「私は、平和に暮らしたいだけですよ……」
「……ふん。まぁいいさ……。たまに誰かを見舞いにやる。精々、養生してくれ」
社長が、すっと立ち上がった。
「……ありがとう、ございます。……あ、社長。あの寮って……」
「……あ? 平和に、生きたいんだろ?」
ギラっと一瞥し、空気を凍らせると、社長は部屋を出て行った。
ぶわりと、汗が溢れた。
そう、ね……。
今は身体を治すことに専念しないと……ね。
人生の長い冬休み……かしら。
春は、遠いのかも知れないわね。




