14. 急転
薄暗い外廊下を抜け、件の扉……四〇二号室の前に立つ。
脚が、宙に浮いたようだった。
震える手で、鍵を差す。
ガチャリとドアノブを捻ると。
扉が内側から押されているかのように、バッと勢いよく開いた。
……また? 一瞬、固まった。
森島さんは、つかつかと入っていった。
「……これは」
その声に続き、中に入ると……。
部屋が、様変わりしていた。床が半分剝がされ、壁紙もなくなっていたのだ。
「こんな……」
これは、清掃……なんかじゃない。
「……工事中、のようですね。ふむ……。なるほど。清掃費、ね……」
森島さんは、少し首を傾けながら、くいっと眼鏡を上げていた。
……やはりこの部屋は、耳の奥でドンドンと、何かが暴れる。
「あの、ここ……何か、変じゃないですか……?」
山田さんは、玄関から動かず、顔色を青くしていた。キョロキョロとしながら、耳を押さえている。
その後ろから、吉岡さんが覗き込むように入ってきた瞬間。石像のように動きを止め、目を見開くと、蒼白になり、震え出した。
「……!? 気配が……こんな……に? すみません、無理です……。私、無理です……。うぅ……」
そして、口元を押さえながら、出ていってしまった。
「え、あ、じゃあ僕も……すいません」
続いて、山田さんも……。
「はぁ……。仕方ないですね。すみません、佐藤さん。彼らはまだ、プロフェッショナルとしての自覚が、少々足りないようだ……」
二人の背中を見送った森島さんは、崩れない表情のまま、軽く目を伏せた。語尾は、息混じりだった。
――森島さんは、こんな部屋の中で、平気なのかしらね……。
「いえ、大丈夫です。それより、窓、開けますね」
「はい」
窓へ近づき、カチャリと鍵を開けた。
事故物件は、先ずは換気……らしいけど。他にも目的があるのよね。
……カラカラとベランダに出ると、相変わらず凪いでいた。
固定されているような空気感。息が、詰まる。
下を向いてみた。
リッセーが見たという土は、どうやら掃除されてしまったのか、何も残っていなかった。
「佐藤さん、これは……」
その声に振り向くと。
森島さんが、クローゼットを開けていた。
「えっ……」
急いで部屋に戻り、クローゼットを覗き込んだ。
「聞いていた状態と違いますね……」
森島さんは、眉間に皺を寄せ、顎に手を当てた。
「そうですね……。何も、ない……。なくなってる……」
以前見た時……クローゼットの中には、ブランド物が散乱していた。今は、それすらない。
それどころか、床板も全て剥がされている。
目に飛び込んだものに、心臓が、呼吸を焦りだした。
「あ、あれ? ここ、床下に……穴……?」
ツートンカラーになっていた場所の下辺りだけ、畳二畳分くらいありそうな、深さ五十㎝くらいの空間があった。
「何か、隠してあったのかも知れませんね。とはいえ、住人がいたはず……。床下収納でしょうか?」
「いえ、以前見た時は、簡単に開くような造りには、なっていませんでした。色は違いましたが、ただの床といった感じで……」
「そうですか……。住人の入れ替わりペースは、そこまで早くないようですが……。そういえば、御社は過去何度か、国税監査が入っていますね……。まさか……」
例の音なのか、自分の鼓動なのか……。ドクンドクンと、頭に響く。
「住人が入れ替わるたびに、所得隠しと財産入れ替えを……?」
「そう考えると、色々と辻褄が合いますね」
森島さんの言葉を背に、その暗い穴に近付いてみると……。
鼻腔に刺さる、棘のような鋭い臭いに、顔を顰めた。
鼻をつまもうと、手を顔に近付けた瞬間。強い刺激臭の中に、少し錆びた、生臭い……嫌悪感を感じる臭いが混ざっているのに気が付いた。
――これって、まさか……? ……だとしたら。犯罪の証拠……?
もしそうなら、工事途中の今が、最後のチャンス……?
――ブーン
嗅覚を塞がれながらも、考えを纏めようと試みていた時。ベランダから、奇妙な音がした。
反射的に振り返る。
「え、あ……。なにあれ……」
小さな黒い物が、虫の羽音のような音を立て、窓の外に浮いていた。
「……ん? ドローンですね。おそらく、何者かが見ているのでしょう」
ドローン……?
「な、監視……?」
「さて……どうでしょうね。趣味で飛ばす輩も、いると聞きます。……一旦、戻りましょうか。私も、上に報告しますので」
「わ……わかりました……」
カラカラと、窓を閉めた。
すると、それを見届けるようにして、ドローンは飛び去って行った。
あれって、まさか……。
――リッセー……。これで、よかったのよね……?
外廊下に出ると。
「先程は……申し訳ありませんでした!」
「すみませんでした……」
山田さんと吉岡さんが、並んで待っていた。そして、鹿威しのように、深々と頭を下げた。
森島さんが、悠然と二人の前に立つ。風の音が、やたら大きい。
「ふむ……。謝罪、ですか。……もし、私が居なかったらどうするつもりだったのです?」
徐に口を開いた森島さんは、硬く冷たい声色だった。
「え、あ、その……」
その言葉に、山田さんは口篭り、吉岡さんは俯いたままだった。
「我々監査員は、所得隠しを暴き、国に貢献することを、是としなくてはならないのです。たとえどんな現場に赴こうとも、です」
「はい」「……はい」
「……霊が居たというなら、そうなんでしょう。だが、我々の仕事には関係ありません。企業の実態を暴いて、正しく税を徴収するのが仕事です」
「「はい」」
「プロとしての覚悟、そして矜恃を持ちなさい。……世間には、嫌われる仕事です。精神的に強くあらねば、とても耐えられるものではない」
「「はい」」
「我々は、霊媒師などではない。除霊師でもない。そんなものは、そう名乗る者たちがやればいいことです」
「「はい」」
「金への執着は、恐ろしいものです。こんな現実は、腐るほどある。もし、精神的に耐えられないなら、早々に辞職することを勧めますよ」
「……はい」「……肝に銘じます」
二人は、絞り出すような返事だった。
それを見届け、森島さんが振り返った。
「佐藤さん、ご迷惑をお掛けしました」
そして、綺麗な所作で頭を下げた。
「いえ、私は全然……」
そんな姿に、少し面食らってしまった。
こういうきっちりしたタイプの人、あまりいなかったわね。さすが国家権力、ということかしら。
「では、戻りましょうか」
「あ、はい」
そうして、四人で車に乗り込んで、社屋へと向かった。
社屋までは、徒歩だと直線で向かえるため、十五分程度だ。
車だと五分というイメージだけど……。
実際は、道路の都合上、十分くらいかかる。迂回しなくてはいけないのよね。
大通りと、県道、市道、生活道路が交差していて、信号も、もちろんある。
それは、市道から県道へ出た瞬間だった。
――視界の端に、歪んだ白い影。
「佐藤さん!」
森島さんが、叫んだ。
「……えっ?!」
あまりの声色に、びくりと身体が跳ねた。その刹那。
――ゴシャアッ!!
雷鳴――?
――壊れた?
――道
――信号
――壁
――白
――車
――ロゴ
――ブ……
――社名?
――フェンス
――ブレーキ……
――壁
――なにが……
……視界が激しくぶれた。
景色をまともに映さなくなった。
ふわりふわりと、思考力が落ちていく。
「きゃああっ!」「うわぁ」
吉岡さんが悲鳴を上げた。山田さんの声も聞こえた気がした。
回り続ける視界が、永遠に続くのかと思わされた。
……現実感が、ない。
――ああ、これが……走馬燈……。
上山さん……。ご迷惑を……。
お母さん……。親不孝……だったね。
リッセー……。心配、して……くれた、のに……ご……めん……。
――ガシャン!!




