13. 再訪
経理室を出て、まずは専務室へ向かった。
専務の所在と、現地調査へ行くことの確認をする為だった。
……でも。
「……やはり、今日もいませんね。鍵が掛かっているようです。佐藤さん、合鍵はありますか?」
重い扉は、静寂だけを返し、開くことはなかった。
「いえ、役員室の合鍵は、預けられていません。私が持っているのは、各部署室、寮、倉庫、資料室、会議室です」
私は、権力者ではなく。ただの、総務……便利屋でしかない。
でも今は、森島さんたちがいる。出来ることを、やる。そうすればきっと、状況が好転するはず……よね。
「なるほど。一旦、役員室を全部回ってみましょう。誰かいるかもしれません。……ああ、佐藤さん。連絡手段があるようなら、役員たちに、お伝えください。強制執行ともなれば、扉くらいこじ開けますよ……とね」
森島さんは、仄暗い笑顔だった。
「はい。社内メールに一斉送信しておきます」
つい、私も笑みが漏れそうになった。気を引き締め直して、表情筋に力を入れた。危なかったわね。
「では、次へ行きましょうか」
森島さんの、眼鏡の奥が、きらりと光る。それは……少年のようで、猫のようでもあった。
▽
「役員は、やはり今日も不在ですか……」
森島さんは、調査開始から毎日巡回していたそうだ。
今日も社長室を始め、全役員室を回ってみたけれど……。
まさに、もぬけの殻。空虚なノックの音が、響くのみだった。
通常の会社であれば、有り得ない状況だわね。
国税査察が来た時点で、もう逃れられるものじゃない。逃げたところで、不利になるだけなのに。
「そのようですね」
私はそう答えながら、脱力感と共に、ひりひりとした感覚が、腹の奥に広がっていた。
でも、森島さんをはじめ、監査員たちに落胆の色は微塵もなかった。
即座にこちらを向き。
「佐藤さん。各部署への案内をお願いします」
口の端を、くいっと上げていた。
「はい。ではこちらへ」
心強い、と。そう……思った。
▽
営業部へと向かう中。
バタバタと走り回るような足音と、きゃあきゃあと騒ぐ……悲鳴らしきものが、耳に届いた。
階段前で、走る上野さんとすれ違う。
「あっ……! 佐藤さん!」
「上野さん? どうしたの?」
上野さんが一瞬、足を止めた。
「炭田さんが、倒れたんです!」
そう言うと、そのまま上野さんは階下へ駆けて行った。
「えっ?」
倒れた――?
炭田は、社長派だと聞いた。
これがもし、病気じゃないなら、噂を流し過ぎた報復でもされた……?
それとも、あの部屋の――。
「森島さん、すみません。様子を見てきます!」
「ええ。不測の事態のようですね。我々は問題ありません。どうぞ遠慮なく」
森島さんの言葉に背中を押され、小走りで営業部へ急いだ。
営業部署室内には、人集りが出来ていた。
「ちょっと、ごめんね」
「あ、はい」
人集りを掻き分けて、中心を見ると……。
話の通り、横たわる炭田が……。口から泡を吹き、白目を剥いて、痙攣しているようだった。
「ちょっと、炭田さん……! どうしたの?」
一週間前は、元気に噂話をしていたのに。
しゃがみ込んで、話しかけた。
「あ……あ……へ……や…………お……の……」
「……えっ? なんて? どうしたの?」
言葉に、なっていなかった。下手に触らない方がいいかも知れない……。
炭田の手が、ふらふらと虚空を彷徨う。
「……よ……ん……」
炭田は激しく震える指で、何かを……何処かを指していた。
……どこを?
振り返ると。野次馬の奥……視界の端に、ピンク色の髪が……揺れた。
――まさか、あの子が……?
ん……? あ、この方角……南嘉手納荘……?
「救急車! 到着……しました!」
「あ、上野さん」
軽やかな足音を響かせて戻ってきた上野さんの言葉で、外に耳を向けた。サイレンが響いていた。そして社屋に木霊して、消えた。
「救急車が来たぞ! すぐ運べるように、みんな退いてくれ!」
中井次長が大声を出した。
さっきまで青い顔をするだけの、野次馬のひとりだったのにね。
でも、池上よりはマシか。下を向いて、人垣に紛れ、我関せず、ね。いい性格してるわ。
「あ、中井次長。では、ここはお任せしますね」
そう言って、立ち上がると。
「ん? 佐藤さんは男だろ? 運ぶ手伝いあるかもだし、いてよ。今日はリセくん、外回りでいないしさ」
「え? あ、はい」
運ぶのは、救急隊員がやるでしょうに。私より、状況説明が出来る人を残しておく方が、いいと思うんだけど……。
それにしてもこの人、リッセーに頼り切りよね。
でも、リッセー、今日はいないのね。
まぁ、上司命令だし、従うしかないんだけど、ね。
と、通路を開けてもらうように、社員たちを促した。
やがて廊下から、バタバタと足音が聞こえて来た。
「急患の方は、どちらですか?」
「こっちです!」
救急隊員が二人、担架を持って駆け込んできた。
中井次長が手を上げて、張り詰めた声で応える。
「お身体、触りますよ。……お名前、答えられますか?」
「……に……あ…………い……し……」
問い掛ける救急隊員に、炭田は、うめき声を上げるだけだった。
「担架に乗せましょう」
「いち、に、さん、はい!」
救急隊員の二人は、手早く炭田を担架に乗せた。そして、首だけ振り返る。
「付き添いされる方は、いらっしゃいますか」
「あ、行きます」
中井次長が、ついて行った。
野次馬たちは、その背中を呆然と見送っていた。
さて。
「森島さん、お待たせしました」
「ああ、佐藤さん。大丈夫ですよ。営業部内の資産照合は終わりました。次に行きましょう」
営業部に、大きな備品がないのは知っていたけど、さすがの仕事の早さに、少し驚いた。
「承知しました。では、技術部にいきましょう」
▽
「ここは、特に問題なさそうですね」
技術部に着いて、三十分程度で、機器と台帳の照合が終わった。
四人でやったから早いというのもあったけど、そもそもかなり纏まっていた。
森島さんも、認めていたみたいだし、リッセーはあんなだけど、やっぱり仕事は真面目にしてたのねぇ。
「佐藤さん。社内の件、残る部署は、かなり確認点数が多いので、次は社員寮の確認に行きたいのですが」
「承知しました。では、車を出しますので、下までお願いします」
社員寮……か。
息を、大きく吸い込んだ。
キーボックスから社用車の鍵を取る。
もちろん、ブレイブの車ではないものだ。ブレイブの車は乗るなとリッセーにも言われたし、今はもう、恐ろしくて使えないわよね。
会社を出てすぐ。
白いワゴン車が、妙に車間を詰めてきた。
煽り運転……?
心臓が、焦りだした。
国道から県道へ曲がったら、その姿は、消えた。
……マナーの悪い輩もいるわね。
ふっと、ひとつ息を吐いた。
▽
小さな住宅街を抜けると、空き地に囲まれた黒い五棟が姿を現す。
――また、ここに来るだなんてね。
背筋に冷たいものを感じながら、来客用スペースに車を止めた。
寮前の駐車場は、夜間より閑散としている。
もちろん、歩ける距離でもあるから、徒歩通勤者もいるわけだけど……。
車から降り、入寮者用駐車場へと、四人で歩く。
「四〇二……ここですね。……ん? この車は?」
記録照合をしながら、森島さんが振り返った。
「ああ、それは、小野の……四〇二号室の行方不明となっている社員のものです」
「……行方不明、ですか?」
「はい」
「最新の台帳記録では、四〇二号室は、先週で退去、退職となっていましたが……」
「そ、そうなんですか?!」
「はい。こちらを……」
森島さんに渡された資料を見る。
台帳のコピーだった。
以前私が確認してから、更新されているようだった。日付は、あの告知文書を貼った日だわね。
退職……って、解雇なんだったら、偽装も楽なんだろうけど……。いや、印鑑さえあれば……。
でも、車がそのまま残ってるということは、狙い通り証拠処理が進んでいない……?
まさか、この車両自体が小野のものではない……?
……駄目ね。今は確認出来ないわ。
「ありがとうございました。……行きましょうか」
資料を返し、四号棟へ向かった。
「ずいぶん薄暗いですね……」
階段を上りながら、森島さんは背後で、そんなことを呟いた。
ここは、確かに薄暗い……。でも、あの部屋は……。
――耳奥が、痛む。
拒みだそうとする脚を、無理やり……前に、出した。




