12. 監査員
翌日。
リッセーに言われた通り、診断書を持って出社した。
社員通用口に入ってからというもの、すれ違う社員たちの視線が、絶えない。
嫌な顔、顔、顔……。
身体の具合も悪いのに、朝から気分まで下げられるとはね……。
でも、どうしてもやるべき事がある。
この会社内には、派閥争いがあるらしいけど……。
昨日は、アードの話以外に、その派閥についても聞いた。
リッセーによると、戸田は、意外にも社長派らしいのよね。
そして、意外と言えば、石田ちゃん。
実は、白峰派の相当深いところにいるらしく。そりゃ、聞き込みをしたところで、答えてくれるわけがないわね……。
無所属派は、平社員には多いらしいけど、役職付きは大体派閥に組み入れられてるという話。
ちなみにリッセーは、どの派閥にもいい顔をしているそうで。聞いていて、背筋が冷えたわね。綱渡りが過ぎる……。
まぁ、私はそこには関わらない。私に出来ることを。それだけ。
環視の森を抜け、部署室に着くと。
「あら、佐藤さん。いいご身分ねぇ……って、何その顔色。変な病気じゃないでしょうね? 移さないでよ?」
いつも通り、戸田部長の嫌味から始まった。
久しぶりだというのに、本当にいい性格してるわね。
「おはようございます。こちら、診断書です。ご迷惑をお掛けしました。移る病気ではないので、ご心配なく」
「あっそう。ならいいけど。じゃ、それ受け取っとくわ」
サッと診断書は、ひったくられた。
――さて。戸田部長。
「はい。ありがとうございます。あ、そうだ。戸田部長。国税監査が来ていると聞いたんですけど」
反撃、させてもらいますよ?
「……はぁ。そうなのよ……。面倒臭いことにね……。全く……。経理部も全員辞めちゃって、今や私一人だし……。本当に無能ばっかで困るわね。根性もないし。おかげで人手が足りないのよ……。あ、そうだ。佐藤さん、あなた、確か経理経験者だったわね?」
「そうですね」
経理部、戸田のいびりで全員辞めちゃったのにね。自業自得と反省するべきところを、他責にすり替えられるなんて。便利な思考回路よね。
「あんたも手伝いなさい。もうすぐ、監査員が来るだろうから」
戸田部長は、盛大な溜息を吐いた。
――本当に、リッセーの言う通りになったわね。
これでやっと、堂々と帳簿を触れる。
棚に、手を伸ばした。
この前コピーを取ったものは、そのままの状態だった。流石にいじってはないようね。
その他に怪しいものと言えば、資産管理台帳と、貸借対照表の勘定科目。それと、収支計算と経費計上……。
捜査に協力して、少しでも白峰にダメージを与えないと……!
……これは。
経費計上が酷すぎる。
特に、白峰と中村が遣いすぎている。接待交際費が、三百万円を超えている月すらある。
それに、白峰の交通費や通信費、それぞれ百万円以上……。
行先は……沖縄が多いわね……。沖縄……? 嘉手納……?
不意に、白峰の笑い声が……脳内で、弾けた。息が、詰まる。
資産……コピー機の台数が変ね。こんなにないはず……。
それに、この土地というのは……何かしら? 住所は、山の方ね。
山……? これって、まさか……。いえ、そんな。まさか、ね。
車両管理台帳の古いものをめくる。
つい、目を擦った。
会社の前にあるのは、計八台のはずなのに。何故か、十四台あることになっている。
指先で、記録をなぞる。
ブレイブからの購入が、計十台。
そのうち一台の車庫証明が、南嘉手納荘になっている……。
駐車場番号、四〇二号室……? そんな……噓でしょう……?
ドンドンと、耳奥が煩い。
震えながら、それぞれの車庫証明を確認していく。
さっきの山の住所が、一台。そして、他はそれぞれ別の住所だった。
ああ、もう吐きそうだわ……。
しばらく国税監査員が居るかもしれないって、リッセーが言ってたけど……。なるほど……ね。
これは、ただの不正じゃない。もっと、恐ろしい隠蔽……だ。
……寒気が、収まらなかった。
それから一時間ほどすると。
内線が、けたたましく鳴った。
戸田が眉間を寄せて、受話器を取る。
「はい。お疲れ様です。経理部、戸田です。……はい。……はい。お通しして」
どうやら、監査員が来社したようだった。
「佐藤さん。監査員が来社したそうだから、行ってきて」
この一週間以上の間……こういうこと、どうしていたのか疑問ね。
「はい。お出迎えします」
部署室を出る。
前方、廊下の曲がり角。一瞬ピンク色が視界に映って、消えた。あれって……?
――見られてた?
気味が……悪かった。
階段前に着くと、下からカツカツと足音がいくつか響いてきた。
「おはようございます」
冷たい声色で挨拶してきたのは、眼鏡をかけた、蛇のような男だった。
年齢は私と同年代くらい、かしら。他にも二人、もう少し若い男女が、後ろに続いていた。
「おはようございます。佐藤と申します。よろしくお願いいたします」
普段なら、あまり仲良くなれそうにない……という印象を受けていたと思う。
でも、上山さんが呼んでくれた唯一の希望だ。今出来る精一杯の笑顔を作って挨拶した。
「ああ、あなたが佐藤さんですか。お噂はかねがね。森島です。よろしくお願いします」
意外にも、丁寧に返された。
もしかしたら、この人、上山さんの関係かも知れないわね。
「山田と申します。よろしくお願いいたします」
「吉岡と申します。よろしくお願いいたします」
男性が山田さん、女性が吉岡さんね。深々としたお辞儀だった。二人とも、三十前後かしら。ちょっとお堅い雰囲気ね。
「では、行きましょうか」
三人を引き連れ、ひとまず経理室へ向かった。
廊下は、照明の具合でも悪いのか、チカチカと点滅している箇所があった。
この前替えたばかりなのに。おかしいわね……。
社屋が、薄暗い気がした。
いつもの無機質な冷たい印象だけでなく、今日は何か……嫌な雰囲気だった。
「あの、森島さん。今、どの辺りまで調査が進んでいるのでしょうか?」
部屋に着く前に、世間話がてら、進捗状況を確認しておこうと思った。戸田の前では、あまり見せたくない姿でもあるからね。
「そうですね。あまりこの会社の方々は、協力的でないので、経理室の資料を半分ほど……というところでしょうかね。ずいぶん杜撰な資料のようで、なかなかに実態を掴むまでに難儀しそうですがね」
国税監査に協力的な会社の話など、聞いたことがないけど……と、苦笑しそうになった。
でも、私はその国税監査員に、出来る限り協力する。そう決めていた。資料整理に、現場確認、やることは山積みね。頑張らないと。
「おはようございます」
経理室に着くと、戸田が苦々しい顔で挨拶をした。
「おはようございます。昨日頼んでおいた資料等は、用意出来ていますか?」
森島が、AIのように冷たく言い放った。その目は、獲物を見詰めているようだった。
「いえ、通常の業務もありますので……」
戸田は、いつもの勢いはどこへやら。弱々しい声で、顔色すら失っていた。きっと、蛙の気分を味わっているんでしょうね。
「そうですか。あなた、経理部長さんですよね? 我々国税監査が入っているという事実がどういうことなのか、きちんと認識出来ていないようだ……」
「あ、いえ……その……。あ、今日からはその佐藤が、監査のお手伝いをしますので。どうぞ、手足のように! 何なりと申し付けてください!」
「そうですか。わかりました。それで、社長やその他取締役員の方々は、本日は来られますか?」
「えっと……私は存じておりませんが……」
「そうですか。社員名簿などもありましたかね? 逃げられるようなら、ご自宅までお伺いすることになりますがねぇ……」
「そ、そうですか……」
戸田は、小人にでもなるんじゃないかというくらいに、縮こまっていた。普段も、役員たちの前では大人しいし、権力には逆らえないタイプなのかも知れないわね。まさに井戸の中……と、いうわけね。笑える。
「佐藤さん」
森島さんが、くるりとこちらに向き直った。
「はい」
「そういうことらしいので、全面的にご協力お願いいたします」
そして、軽く頭を下げた。監査員と言えば、血も涙もないイメージだったけど、違うみたいね。
「承知いたしました。では、まずこちらを……」
そして、まずは件の台帳を開いて、森島さんに渡した。
「ああ、寮の件ですね。昨日確認しました。後ほど、現地確認に行きたいのですが」
「鍵も私が管理していますので、同行いたします」
「それはありがたいですね。それと、倉庫や場合によっては、役員宅にも同行していただくかも知れません。ご承知おきください」
「承知しました」
「では、社内にある資産と台帳の照合をしたいと思います。案内をお願いします」
「はい。離れた場所へは、車を手配しますので」
「助かります」
こうして、私は社内を回ることとなった。
狙い通り……上手くいくかしら。
いえ。……やるしか、ないのよ。




