11. 完罪
せっかくの高級寿司が、砂のようだった……。
白峰の犠牲者が、多過ぎる。こんなの、許されていいわけがない。
でも、国税で駄目って……どうしたら……?
ちらりとリッセーを見れば、目を閉じながら寿司を堪能しているようだった。
よくもまぁ平然と……。
まだ短いはずの人生だろうに、会社以外でも色々あったんでしょうね……。私が想像すら出来ないようなことが、たくさん。
「ねぇ、リッセー。本当に、復讐するの……?」
「ハハッ。当然だろ? 方法は、考えてる。そのために、色んな人と仲良くしてるわけだしなぁー。……敵含め、さ。例えば、石田なんかは、扱い面倒臭いけど、いい情報源だよー」
リッセーの笑顔が、仄暗い。
……石田ちゃん……が?
社屋が、あの部屋が、脳裏で揺らめいた。
身体が、凍り付いていく……。
……でも。
「……私に、手伝えること、ある?」
今にも消えてしまいそうなリッセーを、放っておきたくなかった。
それに……白峰から逃げるにも、リッセーに味方する方が、確実……かも知れない。
「え? いやぁ……? うーん……。この状況でソレ、かなり危険だと思うぞ? 今までは"戸田の指示で行っただけの人"だったわけだが……。もうサクッと逃亡するのがいいと思うけどなぁ……」
「でも、国税呼んだの、私だし……」
「いや、それがヤツにバレてるかは、わからんよ? 昔はさ、時々あったんよな、税務調査。だからまぁ、普通っちゃ普通かも」
「えぇ?! そうなの?!」
「まー、杜撰だったんだろー? 経理。それに、売り上げだけはいいからなー。オレは、全商簿記くらいの知識しかないけどさ。あの規模で、個人商店的に会社運営してたら、かなりマズいだろ? まぁ、ここ数年で経理の人を入れて、多少マシになったのか、監査も来てなかったけどなー」
「うーん。私が見た限りだと、どうやって通してたのか、謎よ? アレ」
「ふーむ。お抱えの税理士が、なんか便宜を図ってるのかもな。帳簿が実は二冊ある、とかさ……」
「はぁ……。だとすれば、不正しかないわねぇ」
「いや、さすがにソレは、オレの予想だぞ?」
「冗談に聞こえないところが、恐ろしいわね……」
「アハハ。まぁなー」
「そんなことはいいとして、よ。……リッセーは、何をするつもりなの?」
「……うーん。世の中には知らない方がいいことって、あるんだぜー?」
「いや、それは分かるけどさ。……捕まって欲しくはないじゃない」
「ハハッ。その辺りのことを気にしてるから、こうして今も社畜のフリしてんだぞ?」
と、軽い口調だったリッセーが。
「……気にしてないなら、もう殺ってるよ」
硬く冷たい声色に、一瞬で変わった。
「……えっ……あ、そ、そう……」
つい、喉が詰まった。
「多分さ、アードは、オレがアイツらと共倒れになったら、怒ると思うんだよなぁー。だからまぁ、耐えてきた。オレは……無事でいないとダメらしいからさ」
くすくすと、薄く笑ったリッセーは、そこにいないみたいに、色がなかった。
「じゃ、じゃあ、私に出来るようなことがあれば手伝うから、それを教えて」
私の言葉に、リッセーは腕を組んでしばしの間、うんうんと唸っていた。
「……なぁ、佐藤さん。犯罪って、何か分かる?」
「えっと、刑法に引っかかること、かしら?」
「そうだな。それが公的に明るみとなった時に、犯罪と呼ばれるわけだよな」
「……そう、ね」
「まぁ、ミステリーとかの創作のイメージとは、ちょっと違うだろうけど。つまり、バレなきゃ……完全犯罪なわけだよ」
完全犯罪……。
その、たったの漢字四文字が、両肩に乗り、肺を押し潰すほどに……重く響いた。
「向こうも毎回そうなわけさ。だから、オレもそうする。ずっと、そう動いてたんだよな。……佐藤さんは、公権力を入れたいんだろ?」
「えっと、それしかないっていうのが正しいかな……。だから、手伝えることがあるならって……」
「んー……。じゃあ、はっきり聞くよ。……オレは、白峰たちを殺す。完全犯罪として、な」
鋭い、目……。
「佐藤さんは、犯罪行為を平気でやって、さらに隠し通せるかい?」
「……え、あ……そ、そっ……それは……」
心臓を、抉られたようだった。
犯罪に……手を染める……。そんなこと……。
口からは、困惑だけが漏れていった。
「ハハハ。……な? 普通、無理なんだって。まぁ、気持ちはありがたいよ。と、いうわけで。直接的な協力は、辞めといて欲しい。でも、連絡したら、その通りにだけ動いて欲しい、かな。もちろん、顛末は伝えるしさ」
「……え? あ、うん。わかった。そう……する」
「で。辞めるつもりみたいだし、ケリが着いたら、サクッと逃亡してくれ」
「わ、わかった……」
ごくりと、勝手に喉が鳴った。
リッセーの気持ちを、私は今日、はじめて聞いた。
こんなことを、ずっと思っていただなんてね。
四十二年間も生きてきたけど、私には、こんな思いを抱えるような出来事なんて、なかった。
妻帯するようなこともなく、両親とも疎遠気味。
愛だとか情だとかに、深く触れあったこと……なかったかも。
「まぁ、もったいないし、食おうぜー」
にこやかに箸を動かすリッセーが、なんだか……別人のように思えた。
▽
深夜。
駐車場に車を止め、自宅アパート前まで歩いていくと。
一階付近に人影が見えた。
思わず立ち止まった。
自分の意志とは無関係に、勝手に心臓が踊り出す。
人影は、一〇四号室……つまり、私の部屋の隣辺りをウロウロしているようだった。
二人……いや、三人も、いる?
思考が迷子になる。
あの部屋に、もう住人なんていないのに……。
「ん? あれ、ここのヤツか?」
「おお、かもなぁ」
そんな声が聞こえた。
これ、まずいんじゃ……? 逃げないと……!
――でも。身体がいうことを聞かなかった。
脚に根が生えたかのように、震えて立ち尽くすことしか出来なかった。
「おぅ、アンタ」
街灯も疎らな場所。闇の中から声がした。
「は、はい。なんでしょうか……」
「一〇四号室のやつ、知らねぇか?」
掠れて、品の欠片もない、汚い声だった。
「えっと、お亡くなりになった、かと……」
咄嗟に、答えた。
こんな輩に絡まれるなんて、正しい対応が分からない……!
「あぁん?! あの野郎、死んだってか?!」
「ひいっ……」
急に大声を出されて、肩が跳ねた。脚の力が抜けていくのが分かった。
「おい! 聞いてんだろが!」
暗闇から、バッと黒い手が伸びてきた。そのことを認識した時には、腕をガシッと掴まれていた。
「な、何を……!」
「死んだってなぁ、どーゆーこった? 殺られたんかぁ?」
グイッと引き寄せられた。顔が近付く。
濁った目、傷だらけの顔、曲がった鼻……。人相が、悪過ぎる。
「いや、あの、知りませんよ……! 首吊りの状態で、見つかったそうですけど……!」
聞かれても、たいした情報は持っていないのに。そうは思っても、ちゃんと答えないと、何をされるか分からない。慌てて口を回した。
すると。
「おい。離してやれ」
「うっす」
暗闇の中から、ゆっくり歩いてきていた別の男が、鋭く命令口調だった。醜悪な男は、手を離して、二歩下がった。
――助かった……?
「あんた、あのアパートの人かい?」
「は、はい」
冷たい声……。
リーダー格なのかしら。街灯の下、すっと目の前に立った。黒いスーツ姿が、死神のように見えた。
「そうか。あの一〇四のヤツは、ウチから金をつまんでてなぁ。どーせ、ウチだけじゃあねぇんだろうが、死にやがったか……。チッ……。取りっぱぐれたな……」
この人たち、闇金かしら……。あ、篠原の……?
「あの、もしかして、ユウキン……の関係者ですか?」
「……あ? あんた、ユウキン知ってんのかい。客か?」
「い、いえいえ! そんな……! 隣の方が、ユウキンで借金していたのかも、と……」
「なんだと……?」
空気が、凍るような声だった。全身が一気にぶわっと粟立った。
「おい、アンタ。誰に聞いたのかは知らねぇがな……。あそこはやめとけ。薬漬けにされっからなぁー。マッチポンプもいいとこだぜ……」
「……えっ?」
「ウチはクリーンだからよ。ウチにしとけ。……名刺、いるか?」
「いえ、いりません……」
「かっかっ……。そうかい。……おい、行くぞ」
「うっす」
「こりゃ、オヤジに報告だな……」
そんな声を闇の中に溶かしながら、男たちは消えていった。
ぶるりと起こった身震いで、我に返った。
――ああ、部屋に、帰らないと……。
自室前で、ふと、視線を横に向けた。
一〇四号室。
よく見れば、ドアが凹んでいる。取り立ての跡……かしら。
自室に入り、バタンとドアを閉めた。
ドンッドンッと、扉を叩く音が……聞こえた気がした……。




