第2話「代替案」
非推奨。
その言葉だけが、妙に耳に残った。
佐伯直哉は、壁際のディスプレイに表示された検査結果を見たまま、しばらく何も言えなかった。
赤い基準線を越えている一本の棒。
数字そのものは読める。
説明も理解できる。
それでも、自分たちについて表示されている結果だという実感だけが追いつかなかった。
「……これって」
ようやく声を出す。
「どのくらい珍しいんですか」
久世文香は、すぐには答えなかった。
「組み合わせ評価が非推奨になること自体は、極端に珍しいわけではありません」
「そうなんですか」
「はい。遺伝情報は非常に多くの要素から成り立っています。個人として健康であっても、特定の相手との組み合わせによってリスクが上昇することはあります」
淡々とした説明だった。
その言い方が、直哉には少しだけ救いだった。
自分たちだけがおかしいわけではない。
誰かに責められているわけでもない。
ただ、組み合わせが悪かった。
それだけだ。
「今回の場合、出生そのものを避けるべきと判断されるほどではありません」
久世が続ける。
「ですが、代替可能な組み合わせが存在する以上、当センターとしてはそちらを優先的にご案内します」
「代替可能って……」
直哉は、さっき表示された資料を見た。
三つの案。
そのうち一つはすでに見ている。
《代替生殖計画案A》
《出産者:篠宮美咲》
《遺伝子提供者:篠宮美咲/第三者提供者》
《養育者:佐伯直哉/篠宮美咲》
直哉の遺伝情報だけが抜けている。
「まず、こちらが第一案です」
久世が改めて説明する。
「篠宮さんを遺伝子提供者および出産者とし、もう一方の遺伝子提供者を登録提供者から選定します。出生後の養育者は、現在のご希望どおり佐伯さんと篠宮さんです」
直哉は黙って聞く。
「提供者については、篠宮さんとの遺伝的適合性、出生リスク、希望される身体的特徴の範囲などを考慮して候補を提示できます」
「身体的特徴?」
「身長傾向、体格、髪や瞳などです。ただし、外見上の希望より健康上の評価が優先されます」
「……そこまで選べるんですね」
「選ぶ、という表現が適切かは分かりませんが、希望を登録することはできます」
直哉には、その説明がどこか遠い話に聞こえた。
自分とは別の男の遺伝情報。
美咲との間に生まれる子ども。
自分と美咲が育てる。
言葉だけ並べれば理解できる。
頭の中で映像にしようとすると、急に輪郭がぼやけた。
「第二案はこちらです」
画面が切り替わる。
《代替生殖計画案B》
《出産者:篠宮美咲》
《遺伝子提供者:佐伯直哉/第三者提供者》
《養育者:佐伯直哉/篠宮美咲》
「佐伯さんを遺伝子提供者とし、もう一方を第三者提供者とする案です」
直哉は画面を見た。
「美咲は遺伝的には関係ない?」
「はい」
「でも、美咲が産む」
「はい。この案では、篠宮さんは出産者ですが、遺伝子提供者ではありません」
「……なるほど」
自分の遺伝的な子ではある。
美咲の遺伝的な子ではない。
でも、美咲が産む。
そして二人で育てる。
第一案より受け入れやすいのかと一瞬考えて、すぐに違うと思った。
何が違うのかまでは言葉にならない。
「三つ目はこちらです」
久世が最後の項目を開いた。
《養育配置希望》
《生殖計画:なし》
《養育者:佐伯直哉/篠宮美咲》
「既に出生しており、養育配置を必要としている児童を受け入れる案です」
「……養育家庭になるってことですか」
「近いですが、現在は養育資格制度上の配置という扱いになります。従来の里親制度とは少し異なります」
久世は簡潔に説明した。
遺伝親や出産者が養育を希望しない場合。
養育資格を取得できなかった場合。
家庭環境が変化し、別の養育先が必要になった場合。
そうした子どもたちについて、養育者候補との適合性を評価し、配置する制度がある。
直哉も存在自体は知っている。
自分の周囲にも、遺伝親とは別の家庭で育った人間はいくらでもいた。
珍しいことではない。
「お二人は基礎養育評価に問題がありませんので、希望される場合は候補登録が可能です」
直哉は画面に並ぶ三つの案を見比べた。
一つ目。
美咲の遺伝的な子を二人で育てる。
二つ目。
自分の遺伝的な子を二人で育てる。
三つ目。
二人のどちらとも遺伝的な関係を持たない子どもを育てる。
どれも、二人で育てる。
そこだけは変わらない。
「……これが、推奨なんですよね」
「はい」
「俺と美咲の組み合わせより」
「出生時の健康リスクという一点で評価すれば、そうなります」
「一点で?」
直哉はそこに引っかかった。
久世は頷く。
「生殖組み合わせ評価は、養育適性やパートナー関係の評価ではありません。お二人の関係性が悪いという意味でもありません」
「それは分かってます」
少し強い口調になった。
久世は気にした様子もない。
「失礼しました」
「いや……」
直哉は息を吐いた。
「すみません」
「いえ」
美咲は隣でずっと資料を見ていた。
直哉はそれが少し気になった。
何か言うと思っていた。
自分と同じように戸惑うか、困るか。
少なくとも、もう少し反応があると思っていた。
「美咲」
「ん?」
「どう思う?」
美咲は顔を上げた。
「今?」
「今」
「うーん」
少し考える。
その間が妙に長く感じた。
「ちゃんと資料読んでからかな」
「まあ、そうだけど」
「今ここで決めなくていいって言ってるし」
それはそうだ。
正しい。
直哉にも分かる。
でも、聞きたかった答えとは少し違った。
「篠宮さんのおっしゃるとおりです」
久世が言う。
「今日は結果説明が中心です。こちらの三案を選ばなければならないわけでもありません」
「え?」
直哉は久世を見る。
「他にもあるんですか」
「あります。例えば、一定期間生殖計画そのものを保留することもできます。将来的に医療技術や介入方法が変わる可能性もあります」
「なるほど」
「また、非推奨であることを理解した上で、当初の計画を継続する申請も可能です」
直哉は少し身を乗り出した。
「それなら」
「ただし、追加手続きが必要です」
久世が続ける。
「通常申請とは異なり、お二人それぞれへの個別説明、意思確認、リスク理解確認を行います。その上で、双方の意思が一致していれば正式申請に進めます」
「それで通るんですか」
「禁止基準に該当しない限り、最終的な生殖選択は本人にあります」
「じゃあ」
「ただし、当センターとして推奨するわけではありません」
「……分かってます」
直哉は答えた。
少し安心していた。
道がなくなったわけではない。
制度に止められているわけでもない。
面倒な手続きが増えるだけで、二人が望めば選べる。
だったら、その方向で考えればいい。
直哉はそう思った。
「美咲」
「なに?」
「それでいいよな」
「何が?」
「非推奨のまま申請するやつ」
美咲は直哉を見る。
すぐには答えなかった。
「……今日は持ち帰って考えようよ」
「いや、決めるのは後でいいけどさ」
「うん」
「選べるなら、それでいいだろ?」
美咲は少しだけ眉を寄せた。
嫌そうというより、困ったような顔だった。
「直哉」
「ん?」
「今すぐ決めなくてもいいって」
「分かってるよ」
直哉はそう言って、椅子に座り直した。
久世は二人のやり取りに割って入らなかった。
「では、本日は資料をお持ち帰りください」
端末上に三つの計画案と検査結果が送信される。
「次回予約については、検討後で構いません。非推奨申請を希望される場合は、個別面談の日程調整が必要になります」
「分かりました」
美咲が答えた。
直哉も頷いた。
*
センターを出たあと、二人は駅まで歩いた。
まだ昼を少し過ぎた程度だった。
休日の駅前は人が多い。
買い物袋を持った夫婦らしい二人組。
小さな子どもを連れた三人。
ベビーカーを押す若い男。
直哉は、普段なら気にも留めない光景を妙に意識した。
「あの子って」
ふと口にする。
「誰の子なんだろうな」
美咲が横を見る。
「急に何?」
「いや」
自分でも変なことを言っていると思った。
「遺伝的にって意味で」
「知らないよ」
「だよな」
「知る必要もないし」
「まあな」
美咲は普通だった。
少なくとも、直哉にはそう見えた。
「お昼どうする?」
「食って帰る?」
「そうしよ。なんかある?」
「ラーメン」
「昨日も麺だったじゃん」
「蕎麦とラーメンは別だろ」
「麺は麺」
そんな話をしながら歩く。
何も変わっていないようだった。
センターへ行く前と同じ二人。
同じ道。
同じ休日。
でも直哉の頭の中には、三つの案が残っていた。
*
その日の夜。
夕食を終え、片付けも済ませたあと、美咲がリビングで資料を開いていた。
直哉はソファの反対側から画面を覗く。
「まだ見てんの?」
「ちゃんと読んでなかったから」
「三つとも?」
「うん」
美咲は第一案の詳細を開いていた。
第三者提供者を利用する場合の流れ。
候補選定。
遺伝情報照合。
健康リスク評価。
出生後の情報開示。
提供者との接触可否。
細かい説明が続いている。
「これ、提供者とは会わなくてもいいんだ」
「そりゃそうじゃない?」
「希望すれば会える場合もあるって」
「へえ」
「子ども本人は、一定年齢になったら遺伝情報見られるみたい」
「それも普通じゃない?」
「まあね」
美咲はページを送る。
直哉は少し苛立った。
理由は自分でもよく分からない。
美咲があまりに普通に読んでいるからかもしれない。
「美咲さ」
「うん」
「一案目、考えてる?」
「考えてるっていうか、比較はしてる」
「比較」
「だって比較して決めるんでしょ?」
「そうだけど」
美咲は画面から顔を上げる。
「直哉はもう決めてるの?」
「俺は……」
言いかけて止まる。
決めている。
たぶん。
最初から。
「俺は、俺たちの子がいい」
「うん」
美咲はそれ以上何も言わなかった。
「美咲は?」
「私は」
一度、画面を見る。
「病気のリスクがかなり下がるなら、こっちでもいいのかなって思ってる」
「……こっちって?」
「一案目」
直哉は黙った。
聞き間違いではなかった。
「俺じゃない人の?」
「うん」
「美咲と、その人の子?」
「遺伝的にはそうなるね」
美咲は淡々と答えた。
あまりにも普通だった。
「それでいいの?」
「何が?」
「いや、何がって……」
直哉は言葉を探した。
「俺の子じゃないだろ」
「でも、私たちで育てるんでしょ?」
美咲は、本当に分からないような顔をしていた。
「だったら、私は別にそれでもいいかなって」
直哉は返事ができなかった。
美咲はまた資料へ目を落とした。
画面には、第一案の説明が表示されている。
《養育者:佐伯直哉/篠宮美咲》
そこだけは、確かに何も変わっていなかった。




