97話 災厄の魔女
階段の先には、今までよりも小さな部屋があった。
けれど、その中央に置かれていた物を見て僕達は足を止めた。
「……本?」
そこにあったのは、一冊の巨大な本だった。
本棚に収められているわけではない。
石造りの台座の上に、まるで祭壇のように置かれている。
高さは僕の腰ほどもある。
分厚い表紙は真っ黒で、何重もの金属製の留め具が取り付けられていた。
表紙には、見たことのない古代文字が刻まれている。
「何て書いてあるんだ?」
シオンが本を覗き込む。
「分からない」
僕は懐中電灯を向けた。
すると、古代文字の一部が淡い光を放った。
「……え?」
光が文字から文字へと移っていく。
そして、なぜか僕には、その文字の意味が理解できた。
「……『災厄の魔女』」
「最悪の魔女?」
ユカリが首を傾げる。
「ううん。『災厄の魔女』って書いてある」
「さいやく……?」
ユカリの顔から笑顔が消える。
シオンも表情を険しくした。
「それを守っていたってことか?」
「たぶん……」
僕は巨大な本へ近づく。
その瞬間。
ドクン……。
「……え?」
本が動いた。
いや。
動いたんじゃない。
鼓動した。
ドクン……。
ドクン……。
まるで、本そのものが生きているようだった。
「お兄ちゃん」
ユカリが僕の腕を掴む。
「触らない方がいいよ」
「うん……」
僕も嫌な予感がしていた。
それでも、この本が何なのか知りたい。
僕はゆっくりと手を伸ばした。
そして、指先が表紙に触れる。
パァァァァッ!!
「うわっ!」
突然、本全体が眩い光を放った。
光が部屋中を駆け巡る。
壁に刻まれていた古代文字まで次々と輝き始めた。
そして。
カチッ。
金属製の留め具が一つ、勝手に外れた。
「……開いた?」
僕が本に手を掛ける。
その瞬間。
ガシャンッ!!
背後から大きな音が響いた。
「え?」
僕達が振り返る。
床に崩れ落ちていたはずの死霊の王の鎧が、ゆっくりと動いていた。
「追ってきた!?」
「嘘……」
鎧が立ち上がる。
兜の中には何もない。
空っぽだ。
それなのに、死霊の王は一歩、また一歩と僕達へ近づいてくる。
カチャ……。
カチャ……。
「まだ戦えるのか!」
シオンが剣を構える。
だが死霊の王は剣を抜かなかった。
僕の目の前まで歩いてくると、ゆっくりと片膝をついた。
「……聖者よ」
「え?」
響いた声には、先ほどまでの威圧感がなかった。
敵意もない。
むしろ必死に何かを訴えているようだった。
「その書を……開いてはならぬ」
僕は巨大な本を見る。
「これが……何なの?」
死霊の王は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと本へ顔を向ける。
「我ら十三騎士と、我が身は……この書を守るために存在した」
「この本を?」
「そうだ」
シオンが眉をひそめる。
「じゃあ、さっき俺達を襲ったのも……」
「書を守るためだ」
死霊の王は静かに答えた。
「では、この中に何が封じられているの?」
僕が尋ねる。
死霊の王は答えない。
ただ、巨大な本を見つめている。
そして。
「……封じられている」
「何が?」
「災厄の魔女が」
「!」
僕は息を呑んだ。
死霊の王が続ける。
「この書は……ただの本ではない」
ドクン……。
本が再び鼓動する。
「魔女そのものを封じるために作られた……封印書だ」
「封印書……」
僕は本を見つめる。
こんな巨大な本の中に、一人の魔女が封じられている。
そんなことが本当にあるのかな。
「だったら、どうして僕が触ったら開こうとしたの?」
僕が尋ねる。
死霊の王は、ゆっくりと僕を見上げた。
「……資格を持つ者が現れたからだ」
「資格?」
「聖者よ」
その声が、わずかに震えていた。
「その書に記された魔女の名を……決して口にするな」
背中を冷たいものが走る。
「名前を呼んだら、どうなるの?」
「目覚める」
「……!」
「そして一度目覚めれば」
死霊の王の身体から、黒い煙が溢れ始めた。
「この世界は……再び災厄に覆われる」
「そんな……」
僕は本を見る。
その時だった。
カチッ。
また一つ、留め具が外れた。
「え?」
カチッ。
もう一つ。
カチッ。
さらに一つ。
「ワタル!」
シオンが僕の腕を掴む。
「止めろ!」
「僕も止めたいよ!」
僕は慌てて表紙を押さえる。
けれど、留め具は僕の意思など関係なく、次々と外れていく。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
そして最後の留め具だけが残った。
カチ……。
そこで止まる。
「……」
静寂が戻った。
僕は恐る恐る本から手を離す。
死霊の王が、小さく息を吐いた。
「まだ……間に合う」
「どうすればいい?」
僕が尋ねる。
死霊の王は僕を見る。
「この書を……ここから持ち出してはならぬ」
「でも……」
「外の世界には、すでに……」
そこで声が途切れた。
「……この書を探している者がいる」
「誰が?」
僕が問いかける。
死霊の王は答えない。
その身体が、少しずつ黒い霧へと変わっていく。
「待って!」
僕が手を伸ばす。
「その人って誰!?」
死霊の王は最後の力を振り絞るように、僕を見つめた。
ザァァァ……。
死霊の王は何も言わずに黒い霧となって消えた。
残されたのは、巨大な封印書だけ。
「……」
僕達は黙って本を見つめる。
シオンがゆっくりと剣を鞘へ戻した。
「ワタル」
「うん」
「これ……どうする?」
僕は答えられなかった。




