90話 それだけで、今は十分だった。
「ミネアさん。ミネアさん」
僕は静かな《蘇生の間》で呼びかける。
「いましたら、返事をしてください」
ここは死者蘇生を行うための部屋。
床には大きな魔法陣が描かれている。
ただし、これは魔法陣としての意味はない。
あくまで飾りだ。
その中央に寝台を置き、そこに遺体を寝かせている。
僕が行うのは、魂を呼び出すこと。
呼び出した魂には、遺族と話をしてもらう。
そして。
もう一度この世界で生きるのか。
それとも、そのまま天へ帰るのか。
最後に決めるのは、本人だ。
今、魂を呼び出しているのは、貴族の十八歳の娘さん。
ミネアさん。
僕は静かに両手を組んだ。
「…………」
目を閉じて祈る。
すると。
キラ……。
天井から、無数の光の粒が降り始めた。
キラキラと輝く光の粒が、ゆっくりと集まっていく。
やがて人の形を作り、一人の少女の姿になった。
「ミネア!」
『お父さん……お母さん……』
ミネアさんが、懐かしそうに両親を見る。
父親が震える声で尋ねた。
「ミネア、よく聞きなさい」
「もし……健康な身体で、もう一度生きられるとしたら」
「お父さん達のところへ戻ってきてくれるかい?」
『健康な身体で……もう一度?』
「そうだ」
父親は涙を堪えながら頷いた。
「もう一度、生きられるんだ」
『…………』
ミネアさんは自分の手を見つめる。
そして。
『生きたい!』
大粒の涙が頬を伝った。
『私、死にたくない!』
『お父さんと、お母さんと……最後まで一緒に生きたい!』
「ミネア!」
「ミネア……!」
父親と母親が娘に駆け寄る。
三人は抱き合い、声を上げて泣いた。
しばらくして、ミネアさんが僕を見る。
両親も僕へ向き直った。
「ワタル様……お願いします!」
「ミネアを、生き返らせてください!」
「分かりました」
僕はゆっくり頷いた。
そして、もう一度両手を組む。
「ミネアさんが、もう一度この世界で生きられますように」
祈りを捧げる。
ミネアさんの身体が、淡い光に包まれた。
そして。
魂が無数の光の粒へと変わっていく。
キラキラと輝く光が、ゆっくりとミネアさんの身体へ吸い込まれていく。
「…………」
光が身体の中へ消えていく。
次の瞬間。
バアアアアッ!
ミネアさんの身体が、緑色の光に包まれた。
「…………!」
眩しいほどの光。
僕は思わず目を細める。
そして。
ふっ。
光が消えた。
静寂が戻る。
「ミネア……?」
母親が恐る恐る娘の手を握る。
「…………」
「温かい……」
母親が涙を流す。
その時。
ミネアさんの指が、ほんの少し動いた。
「ミネア……?」
ゆっくりと、まぶたが開く。
「……お父、さん?」
「ミネア!!」
「お母さん……?」
「ミネア!」
三人は再び抱き合った。
「ミネア……!」
「良かった……本当に良かった……!」
「お父さん……お母さん……!」
三人の涙が止まらない。
僕はその光景を、少し離れたところから見つめていた。
「良かったね……」
やがて三人は何度も僕に頭を下げながら、蘇生の間を出ていった。
扉が閉まる。
「…………」
静かになった部屋で、僕は大きく息を吐いた。
「はぁ……」
「どうですか?この一週間は」
声を掛けてきたのは、ラウザさんだった。
ラウザさんは、以前まで黒の街の治療所で所長をしてくれていた治療師さん。
今は、この聖堂の管理者をしてくれている。
「…………」
僕は俯いた。
しばらく黙った後、正直に答える。
「……正直に言うと、凄く疲れました」
「そうですか」
「生き返りたいって言う人もいれば、生まれ変わりたいって言う人もいて……」
「その人の家族は、泣いたり笑ったりして……」
僕は胸に手を当てる。
「僕には、何が正しいのか分からなくなる時があります」
「…………」
ラウザさんは何も言わず、僕の言葉を聞いている。
「でも……」
僕は顔を上げた。
「やってよかったと思います」
「どうしてです?」
「本人が、自分で決められるからです」
「僕が勝手に生き返らせるんじゃない」
「その人自身が、『もう一度生きたい』って決められる」
僕は小さく笑った。
「それなら……僕も少しだけ、楽なんです」
「そうですか」
ラウザさんが優しく微笑んだ。
「では、来週も頑張れそうですね」
「……はい」
僕は頷いた。
そして少し考えてから。
「でも、今日はもう帰っていいですか?」
「もちろんです」
「ご飯食べて、お風呂に入って……早く寝たいです」
「ふふっ」
ラウザさんが笑う。
「それが一番大切ですよ」
「ですよね」
僕も笑った。
死者を蘇らせる。
それは、思っていた以上に大変だった。
でも。
今日、ミネアさんが自分の意思で選んだ「もう一度生きる」という未来を、僕は手助けすることができた。
それだけで、今は十分だった。




