75話 カノン・エリンピット
僕は少年を車に乗せ、空を走っていた。
助手席に座った少年は、目を大きく見開き、シートベルトを両手で握りしめたまま硬直している。
「僕、ワタル。よろしくね」
「…………」
どうやら、今は自己紹介どころではないらしい。
まあ、普通は車が空を飛んでいるなんて、信じられないよね。
しばらく進むと、森に囲まれるようにして、一つの村が見えてきた。
「目の前の城に行け」
「展望台に降りろ」
少年がようやく正気を取り戻したようで、前方にそびえ立つ城を指差した。
その城は、巨大な木の幹を思わせるような形をしていた。
「分かった」
僕は指示された展望台へ向かう。
村は、やけに静まり返っていた。
人の気配はある。
けれど、誰も笑っていない。
誰も話していない。
どこか重苦しい空気が漂っている。
指定された展望台に着くと、そこは庭園になっていた。
だけど。
「……全部、枯れてる」
花も、木々も、草も。
庭園にある植物は、すべて枯れ果てていた。
僕は車をゆっくりと下降させ、庭園へ着陸させる。
「ここって、花を育ててるの?」
僕が尋ねると、少年は枯れた庭園を見つめた。
「昔はな」
「昔は……?」
その時だった。
「カノン様!」
数人の兵士が階段を駆け上がってくる。
「騒ぐな!私はここにいる!」
少年、カノンくんが声を上げる。
しかし、兵士さん達は僕を見るなり、表情を険しくした。
「人間!?、か」
「カノン様から離れろ!」
「空を飛んでいたのも、こいつだな!」
「捕らえろ!」
隊長らしき兵士が叫ぶ。
「やめろ!」
カノンくんがすぐに制止した。
「下がれ!」
「しかし!」
「この者は『時渡り』だ!」
「!?」
兵士達が驚く。
「時渡り……?」
「道を開けろ!」
「はっ!」
兵士達が道を開ける。
「行くぞ、ワタル」
「う、うん」
僕達は階段を下りていく。
そして、階段を下りてすぐの場所にある大きな扉を抜ける。
そこは謁見の間だった。
正面には玉座が二つ。
そこには、一組の男女が座っていた。
カノンくんは二人の前まで進むと、深々と頭を下げた。
「父上」
「この者は、ワタルと申します」
「時渡りを連れてきました」
「……時渡りか」
玉座に座る男の人、総長さんが僕を見つめる。
「前に来たのは、いつ頃だったか?」
「時渡りの人間の子よ」
「残念ながら、お前が元の時代へ戻る術はない」
「…………」
やっぱり。
カノンくんが言っていた通りだ。
「この村に住め」
「そして、大森林から出ることも許さん」
総長も、隣にいる王妃様も。
後ろに立つ兵士達も。
僕を見る目は、どこか冷たい。
歓迎されている感じは、まったくしない。
『……目に光がない』
僕は二人の目を見る。
『歓迎してるようにも見えない』
『あれ?』
何かがおかしい。
「総長様?」
僕が尋ねる。
「何だ」
「総長様は……目が見えないんですか?」
「!?」
その言葉に、謁見の間がざわついた。
「お前、何を言っている!」
カノンが声を荒らげる。
「よせ、カノン」
総長が片手を上げて制止する。
「しかし、父上!」
「だとしたら、どうするのだ?」
「え?」
僕は総長の目をもう一度見る。
「治しますか?」
「……」
「そのままのほうがいいですか?」
総長はしばらく黙っていた。
そして。
「治してみよ」
「分かりました」
僕は総長の前へ歩み寄る。
「失礼します」
僕は総長の目に手をかざした。
指先から緑色の光が溢れ、総長の両目を包み込む。
やがて光が消えていく。
総長は一度、ゆっくりと目を閉じた。
そして。
「……」
ゆっくりと目を開く。
「見える」
「……」
総長はしばらく周囲を見渡していた。
そして隣に座っていた女性を見つめる。
「ユーリ」
「はい」
「お前は……美しいな」
「キノ……」
ユーリと呼ばれた女性の目から、涙がこぼれた。
僕は二人を見ながら、ふと思った。
「もしかして……」
「この村の人達は、みんな目が見えないんですか?」
「!?」
その瞬間、カノンが叫んだ。
「お前ら外の者のせいだ!」
「カノン!」
「お前ら外の者が、私達エルフを奴隷にするために呪いをかけたんだ!」
カノンの声が震える。
「そして……そして……!」
やがて、その目から涙が溢れ出した。
「……」
僕は何も言えなかった。
何があったのか。
僕にはまだ分からない。
ただ。
カノンが抱えている苦しみだけは、伝わってきた。
僕はカノンの目に手をかざす。
緑色の光が、ゆっくりとカノンの目を包み込んだ。
「……温かい」
カノンが小さく呟く。
「何があったのか、僕には分からないけど……」
僕はカノンを見る。
「みんなに掛けられている呪いを解くことはできるよ」
「……本当か?」
「うん」
僕は頷いた。
「忘れられないのは、当たり前だと思う」
「でも、これからはさ……」
「どうせ考えるなら、楽しいことを考えようよ」
「…………」
カノンは黙って僕を見つめる。
そして、しばらくして小さな声で呟いた。
「子供の頃は……いいんだ」
「でも、大人になれば……皆、同じだ」
その言葉の意味は、僕にはまだ分からなかった。
総長が静かに口を開く。
「ワタルと言ったな」
「はい」
「お前に頼みがある」
「村の者達に掛けられた呪いを、解いてやってくれ」
「褒美は望む物を渡そう」
「分かりました」
僕は頷いた。
そして、両手を組む。
目を閉じ、強く祈る。
『この村の皆の目が見えなくなっている呪いが』
『その呪いを掛けた人に、全部返りますように』
僕の両手が、緑色の光球に包まれる。
光球は徐々に大きくなっていく。
そして。
パアアアアアアッ!!
まるで爆発したかのように、巨大な光が謁見の間から村全体へと広がっていった。
そして。
「…………」
一人の兵士が、ゆっくりと目を開いた。
「……見える」
「見える!」
「見えるぞ!」
「うおおおおおおおお!!」
「あああああああ!!」
壁際に立っていた兵士達だけではない。
村のあちこちから、歓喜の声が響き渡る。
「見える!」
「本当に見える!」
「空が……こんなに青かったのか!」
「花が……!」
枯れていた庭園を見て、泣き崩れる者までいる。
「…………」
総長は、そんな村人達の声を静かに聞いていた。
そして隣にいる奥さんを見る。
「ユーリ」
「キノ、貴方の顔が……見えます。カノンの顔も」
「……ああ」
ユーリとカノンが涙を流しながら抱き合う。
「母上!」
「カノン……!」
その姿を見ながら、僕は少しだけ安心した。
どうやら、ちゃんと治ったみたいだ。
「ワタルと言ったな」
総長が僕を見る。
「感謝する」
「はい」
「褒美は何が欲しい?」
「何でも言うがいい」
「えっと……」
僕が答えようとした、その時だった。
「総長様!」
謁見の間に、一人の使用人さんが慌てて駆け込んできた。
「どうした?」
「助けてください!」
「アロマが……!」
使用人さんの腕には、一人の女性が抱えられている。
女性は両手で目を押さえ、泣き叫んでいた。
「目が……!」
「目が全く見えません!」
「総長様、助けてください!」
総長が女性を見る。
「ワタルよ」
「はい」
「アロマは病気か?」
「それとも……呪いか?」
僕は女性を見つめる。
「……」
「僕の力が混ざっているので、多分……」
僕は少し考えてから答えた。
「この人が、みんなに呪いを掛けた人だと思います」
「……そうか」
総長の表情が変わる。
「では、その女を牢へ入れておけ」
「!?」
アロマが顔を上げる。
「お、お待ちください!総長様!」
「私は何もしていません!」
「どうして私が!」
「連れて行け」
「嫌です!私は!」
兵士達がアロマを連れていく。
彼女は最後まで激しく抵抗し、僕達に向かって酷い言葉を叫び続けていた。
やがて、謁見の間に静寂が戻る。
僕はその後ろ姿を見ながら、少しだけ複雑な気持ちになった。




