68話 もう疲れたんだよ。僕は。
「古代精神魔法……!」
「そんな魔法が、僕たちに掛かっていたというのですか!?」
「それでワタルさんだけが目を覚まさないと……!」
「そうです」
ハルは静かに頷いた。
「なんてことだ……」
「ユカリ様は、ワタル様のお側を離れようとしません」
「食事もほとんど口にされておりません」
「俺が無理やり食わせてやったがな」
ノルが腕を組んで言う。
「ノル兄さん! 何をしているんですか!」
ハルは慌ててベッドから立ち上がった。
しかし足に力が入らず、そのまま床へ崩れ落ちる。
「まだ無理をするな」
ヨルが肩を支えた。
「お前たちが倒れてから、もう四日経っている」
「えっ……」
四日。
そんなに眠っていたのか。
「最初に目を覚ましたのはユカリだ」
「次にシオン」
「だが、ワタルだけはまだ目を覚まさない」
ヨルは静かに続ける。
「ユカリはワタルのベッドから離そうとすると暴れる」
「僕なんて手を噛まれたぞ。見ろ」
ノルが右手を差し出す。
そこには、小さな歯形がくっきりと残っていた。
◇◇◇
「ワタル、ユカリ。この人が新しいお父さんだよ」
『お父さんなんていらない!』
「はじめまして。ワタルです。よろしくお願いします!」
「こっちは妹のユカリです」
「ほら、ユカリ。お父さんにご挨拶して」
僕の後ろに隠れていたユカリが、おずおずと顔を出す。
「……おとしゃ」
「うん、お父さんだよ」
「これからよろしくね」
「はい!」
ザザザッ――。
景色が揺らぐ。
「ワタル。ランドセルは黒がいいよな」
『今の緑のがあるから、いらない!』
「うん! 本当は黒が良かった!」
「よし、今から買いに行こう」
「ありがとう、お父さん!」
ザザザッ。
「ワタルくんのお父さんって、弁護士さんなんでしょ?」
『違う! 僕のお父さんは』
ザザザッ。
ザザザッ。
ザザザッ。
◇◇◇
「ワタル、ユカリ。この人が新しいお父さんだよ」
また、この言葉だ。
一体、何回これを繰り返せば終わるんだろう。
目の前にいる男の人を見る。
知らない人。
また知らない人。
何人目なのか、もう数える気にもなれなかった。
最初の頃は、母さんが幸せになるなら、それでいいと思っていた。
新しい父親ができることにも、きっとそのうち慣れる。
そう思っていた。
でも。
もう疲れた。
母さんが男の人を連れてくるたびに、僕たちは気を遣う。
新しい生活が始まると思ったら、また終わる。
そして、また新しい人がやってくる。
その繰り返しだった。
「……お母さん」
僕は静かに口を開いた。
「おじさんも」
「僕とユカリは、二人で暮らすよ」
「……え?」
母さんが目を見開く。
「だから、お母さんたちも二人で暮らしなよ」
「何言ってるの!」
母さんが声を荒らげた。
「子供二人だけで暮らせるわけないでしょ!」
「暮らせるよ」
僕は答えた。
「もう、疲れたんだよ。僕は」
母さんは何か言おうとした。
でも、僕はそれ以上聞きたくなかった。
「ユカリ」
僕は妹の手を握った。
「行こうか」
「うん……」
ユカリも小さく頷く。
僕は玄関へ向かった。
「ワタル!」
母さんの声が背中から聞こえる。
それでも振り返らなかった。
ドアを開ける。
外へ出る。
冷たい風が頬を撫でた。
僕はユカリの手を強く握る。
「大丈夫だから」
「僕がユカリを守るから」
「うん……お兄ちゃん」
二人で家を出た。
これからどうなるのかなんて、分からない。
でも。
もう、あの場所へ戻るつもりはなかった。




