27話 みんななかよく
「ぅう…」
「もうすぐだ。もうすぐ着くから」
「うん……」
家を出てから、もう何週間歩いただろう。
食べ物も底をつき、体力も限界だった。
それでも兄は妹の手を引いて歩き続ける。
あと少し。
あそこに行けば助かるかもしれない。
あの人なら。
『黒の人形使い』なら。
最近、治療所の様子がおかしかった。
患者さんが決まって夜中にやって来るのだ。
何度もドアを叩き、フードを深く被ったまま、決して顔を見せようとしない。
「夜間の診療は行っていません」
そんな看板を立てても効果はなかった。
毎晩のように起こされ、とうとうユカリまで泣き出してしまう。
その日からハルさんが魔道具を使い、夜だけ玄関の音が家の中へ聞こえないようにしてくれた。
「次の方、どうぞ」
治療所では、怪我や病気を人に見られたくない人のために、診察スペースをカーテンで仕切っている。
ハルさんも魔道具の開発の合間に、せいちゃんの治療所を手伝ってくれていた。
ある日、一人の患者さんを見た瞬間、ハルさんの表情が曇った。
その人の腕には、黒い斑点が広がっていた。
誰にでも優しいハルさんが、あんな顔をするなんて珍しい。
「何か知っているんですか?」
そう聞いても、
「……分かりません」
としか答えてくれない。
その日を境に、同じ症状の患者さんが何人も続いた。
みんな治療が終わると、深くフードを被り直し、顔を見せることなく足早に帰っていく。
涙を流して喜んでいるのに、どこか怯えたような様子だった。
待合にいる人たちも、いつもより表情が固い。
何かを知っているようで、誰も口を開こうとはしなかった。
その時だった。
「俺の前から消えろ、この野郎!」
「きゃっ!」
ドンッ!
小さな子どもが突き飛ばされ、地面に倒れ込む。
激しく咳き込み、苦しそうに胸を押さえている。
「エミリア!」
「しっかりしろ!もうすぐだから、もうすぐ治るから!」
兄らしき少年が必死に抱き起こす。
ハルさんは何も言わず駆け寄ると、少女を抱き上げて治療所へ運んできた。
辺りは静まり返る。
誰も止めようとしない。
雑貨屋のお客さんまで、気まずそうにこちらを見つめていた。
「はぁ……はぁ……」
少女の顔色は真っ青だった。
右腕は黒く変色し、まるで炭のようになっている。
「せいちゃん、お願い!」
せいちゃんは右手を少女の腕へ、左手を兄の肩へ置き、静かに祈り始めた。
淡い緑色の光が二人を包み込む。
黒く変色した腕は少しずつ元の肌色へ戻り、少女の荒かった呼吸も落ち着いていく。
やがて、安心したように眠りについた。
「ありがとうございます!」
「本当に……ありがとうございます!」
兄は何度も頭を下げ、妹を抱き上げて走り去ろうとした。
しかし。
「あっ!」
石につまずき、転んでしまう。
フードが外れた。
その瞬間だった。
「きゃああっ!魔族!」
「本当だ!」
「魔族だ!」
少年の頭には、小さな黒い角が生えていた。
「この野郎!」
ドゴッ!
男が少年を蹴り飛ばす。
「やめてください!」
僕は叫び、人混みをかき分けようとした。
けれど押し返される。
「どいてください!」
「やめろ!おっさん!」
ハルさんもシオンも必死に止めようとする。
それでも暴力は止まらない。
このままじゃ二人が殺される。
そう思った、その瞬間。
バリィィィィン!!
青白い雷が空から落ち、人々の目の前へ突き刺さった。
轟音に全員が尻もちをつく。
「ケンカしちゃダメ!」
振り返ると、ユカリが立っていた。
「ユカリちゃん……」
「ここでは、みんな仲良くするの!」
「いじめちゃダメ!」
静まり返る広場。
中心では兄が妹を抱きしめ、小さく震えていた。
すると一人の男が叫ぶ。
「俺は悪くねぇ!」
「こいつらが魔族だから悪いんだ!」
「そうだろ!」
ユカリは真っ直ぐ男を見つめた。
「その子、おじさんに何したの?」
「……」
「どんな悪いことしたの?」
男は言葉を失う。
「悪いことしたらごめんなさいって言うんだよ!」
「この子たちは何もしてないよね」
誰も答えられなかった。
重苦しい沈黙だけが流れる。
「せいちゃん」
「みんなの悪い心、治してあげて」
せいちゃんは静かに頷き、両手を合わせる。
優しい祈りが広場を包んだ。
すると、人々の頭上から黒い靄のようなものがふわりと抜け出していく。
同時に、兄妹の傷も癒えていった。
しばらくすると、人々の表情が変わる。
まるで長い悪夢から目覚めたようだった。
「……俺は、何てことを」
男は震える声で呟く。
一人、また一人と兄妹の前へ歩み寄り、頭を下げた。
「すまなかった!」
「君たちは病気を治しに来ただけだったのに……」
「怖い思いをさせて、ごめん!」
「本当にごめんなさい……」
兄妹は驚いたように顔を見合わせる。
やがて兄は、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
それを見届けると、ユカリは満足そうに笑った。
「よし!」
そう言って、何事もなかったように冒険者のお姉さんとの訓練へ戻っていく。
その後ろ姿を見送りながら、僕はぽつりと呟いた。
「普段は、みんないい人たちなのに……」
「どうして、あんなことになったんだろう」
誰も、その答えを教えてはくれなかった。




