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第3話

「はぁ……」


 憂鬱な気分を吐き出すように大きくため息を吐いた。

 駅前の繁華街は今日も酔ったサラリーマンや若者で賑わっている。


 あんまりここ来たくないんだよね。

 うるさいし、汚いし、絡まれそうだし。

 そもそも補導されそうだし。


 いや、だから制服から着替えてから来たんだけど。


 そもそも浮狼さんはこんなところに呼び出して何のつもりなんだろう。

 バー『ウルフ』だっけ?


 検索したところ、ホームページもないし、レビューもない。

 地図アプリで調べたら、繁華街の大通りからはひとつ外れた小道にあることだけはわかった。


 大通りの喧騒から離れていて、静かでやや暗い道。

 そんな通りにそのバーはあった。


「……ここかな?」


 入り口は細くて、急勾配な階段を上がらなくてはならない。

 看板も電飾で淡く光るほどで、地図がなかったらわからなかった。


「えっと……じゃず……バー……?」


 ジャズっていうとあれだよね。なんかオシャレで大人な感じの。


 まさか私を大人に売り付けるつもりじゃないよね。

 ゲヘゲヘと太った男が舌舐めずりしながら私をいやらしい目で見てくる想像をして、私は真っ青になる。


 でも断ることができない。

 私の生殺与奪の権は浮狼さんに握られている。


 私は震える足を動かし、まるで死刑台にでも行く気持ちで階段を上り始めた。


★★★


 重い扉を恐る恐る開けると、中からピアノやウッドベース、ドラムスの音が耳に入ってきた。

 それと同時に充満するタバコの煙が私の鼻に侵入してきて、少し咽せる。


「……おや。いらっしゃい……?」


 私の咳に反応して、カウンターに立っている着物姿の女の人がこっちを見てきた。

 濃い化粧にタバコを咥えて、カウンターの前で座っていたスーツ姿の男と話していたようだった。


「子ども……? 客ってわけじゃなさそうだね」


「ん? なんだ?」


 女の人の不審そうな顔を見て、スーツ姿の男もこちらを見てきた。

 左手にタバコを持ち、右手ででかい氷が入ったグラスを掴んでいた。

 酔っ払っているのか、顔が真っ赤だった。


「ひぃ……あ、あの……」


 緊張で口をパクパク開け閉めするが、なんて言ったらいいのか。言葉が出てこない。


「迷子かな? ここは子供が来るようなところじゃないよ」


「それならママ。俺が駅まで案内するよ」


「あら本当? 悪いね」


 私が言い淀んでいる間に話がどんどん進んでいく。


「あ、あの……わわわわわ、たし……うろさん……」


「浮狼? 浮狼は私だけど?」


 着物を着た女の人が不審げに首を傾げる。


「いや、ちが……そう……じゃなくて……あの……」


「ユカPさん?」


 すると、隣から私のことを呼ぶ声が聞こえた。

 その名前で私を呼ぶ人はひとりしかいない。


「よかった。来てくれたんだ」


 何故か安心したように息を吐く浮狼さん。

 浮狼さんもまた制服姿から私服に変わっていた。


「ママ。この子、私の連れ」


 着物姿の女の人に紹介すると、浮狼さんは私の手を掴み、バーカウンターまで案内する。


「ここ座っといて」


 慣れた手つきでおしぼりを置くと、カウンターに回り込み水を出してくれた。


 さっきまでパニックになっていたからわからなかったけれど、店の奥では静かに生演奏が続いていた。

 ピアノとドラムス、そしてベースのトリオでの演奏。

 よくわからないけれど、おしゃれな曲だ。

 

「ここ、私んち」


 浮狼さんが前触れもなくそう言った。


「ジャズバーなんだよね」


 聞いたことがある。

 ジャズの演奏を聞きながらお酒を嗜むような場所だ。

 まだ未成年だから当然、来たことがない。


 浮狼さんをチラリと見ると、カウンターに頬杖をつきながら黙って聞いていた。

 その横顔はなんだか大人っぽく見えた。


 浮狼さんはタバコを吸っている不良少女だと思っていたけれど、このジャズバーのタバコの匂いが制服に染み付いたんだと気がついた。


「ウルカちゃん!」


 演奏が終わると、突然、ピアノを弾いていた女の人が浮狼さんに向かって手招きをした。


「一回歌ってよ」


「えぇ? またぁ? 今、友達が来てるんだけど?」


 ――友達……?

 私っていつから友達になったのだろう。


「じゃあなおさらだ。いいからいいから!」


 柔らかい笑顔のまま強引に誘う。

 人当たりは良さそうなのに、妙に引かないタイプだ。


「まったく……」


 浮狼さんは露骨に面倒臭そうな顔をして立ち上がると、そのままステージへと上がっていた。


「……キーはGで――」


 軽い打ち合わせの後。

 浮狼さんはマイクを握り、ピアノの人に合図を送る。

 そして――――。


「Look at me…」


 その歌声を聴いた瞬間、私の世界は静かに揺らいだ。


 それは幻想的で美しいバラードだった。

 宙に浮くような旋律に、静かで荘厳な不可思議なハーモニー。

 浮狼さんの囁くようなハスキーな歌声は、夜の霧のようにじわりと沁み込み、私の心を離さなかった。


 ――この歌声は世界に知らしめなきゃいけない。


「ユカPさん。お待たせ」


 曲が終わった後、静かな拍手を浴びながら浮狼さんは私に近づいた。


「? おーい? ユカPさん?」


 けれど私の頭はさっきの歌声の余韻で埋め尽くされていた。

 目の前にいる浮狼さんを羨望の眼差しで見ていることしかできなかった。


「おい。宇崎ユカ!!」


「はっ!」


「やっと反応した。おまたせっ!」


 私の意識が戻ったことに安堵したようにため息を吐くと、浮狼さんは隣の椅子に座った。


「それで本題だけど――」


「ちょ……ちょっと待って! 浮狼さん、あんなに歌えるの!?」


 話が進もうとするのを私は必死に止める。

 浮狼さんはさも当然かのように、水を飲む。

 かっこいい飲み方だ。ただのお水なのにお酒に見える。


「……まぁ。小さい頃から歌わされてるからね。なんか楽器の人たちが勝手に教えてくるんだよ」


「うまかった……すごい。素敵だったよ……!」


「そうか……へへ。ユカPさんにそう言ってもらえると嬉しいな」


 私が興奮したようにそう言うと、浮狼さんは嬉しそうに頬をポリポリと掻く。


「浮狼さんは――」


「――ルカ……」


「へ?」


「ウルカでいいよ」


 彼女はそう言うと、私の顔を真っ直ぐ見て優しく微笑んだ。

 その表情とさっきの歌声、それに普段までの印象にギャップを感じて、私は思わず顔を赤らめて下を向く。


「ウ……ウルカちゃんは……こんなに上手いんだし……歌ってみたとか、しないの?」


「……ん」


 そう言うと、ウルカちゃんは黙って自分のイヤホンを渡してきた。

 私が疑問に思って目を丸くしてウルカちゃんを見ると、妙に口を尖らせてイヤホンの近くでトントンとテーブルを指で叩いた。。


 ――? 聴けってことなのかな……?


 私は素直にイヤホンを耳にさすと、そこからは聞き覚えのあるイントロが流れてきた。

 ――というか私の曲だった。


「ちょ……ちょっと……! ウルカちゃん!!」


 私は慌ててウルカちゃんを見るが――。


 ――キッ!


 黙って聞けと言わんばかりに睨まれてしまった。


(や、やっぱりこわい……)


 私は椅子になおり姿勢を正して、(涙目で)拝聴することにした。

 曲は『トウキョウ・エロティカ』。

 再生数が初めて100万越えしたユカPの代表曲だ。


 何が楽しくて自分の黒歴史を聞く辱めを受けなくてはならないのだろうか。


(…………あれ?)


 けれどよく聞くと、少し違和感がある。

 なんというか曲が遠いのだ。遠くから録音したような。

 反響も思った以上にある。

 こんな感じにミックスした覚えはないけれど――と思った瞬間。


(! ……ウルカちゃん!?)


 歌っていたのはボカロではなく、ウルカちゃんだった。

 色気たっぷりなハスキーな声で、相変わらず歌が上手だ。

 私の曲に生命が宿ったような感じがする。


 けれどその歌声も反響がすごくて、モワンモワンする。

 まるでお風呂場で歌っているような感じだ。

 というかお風呂場そのものだ。


 これではせっかくの歌声が台無しだ。


「――どうだった……?」


 曲が終わった頃、ウルカちゃんが緊張した面持ちで私に聞いてきた。


「うん……なんていうか……あぁ。上手かったよ」


「はっきり言ってくれ」


「…………反響がすごくて聞き辛かった……です」


「だよなぁ」


 ウルカちゃんもわかっているらしく、机に突っ伏して頭を掻きながらため息を吐いた。

 ウルカちゃんの頼みがなんとなくわかった気がした。


「なぁ。ユカPさん……『歌ってみた』のやり方、教えてくれない?」


 それがウルカちゃんが私を呼び出した理由だった。

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