測れない軍才
翌朝、カイは水車の夢を見た。
村の水車が回っている。
ごとん、ごとん。
水が落ち、車輪が回り、軸が鳴り、石臼が麦を砕く。
いつもの音だ。
懐かしくて、落ち着く音。
そのはずだった。
なのに夢の中のカイは、ひどく不安だった。
水車が一つではなかった。
いくつもの車輪が、視界いっぱいに重なっている。
小さな車輪。大きな車輪。速く回る車輪。重く鈍く回る車輪。水で回るもの。風で回るもの。火花を散らすもの。歯が欠けたもの。歯車の形すら違うもの。
それらが、無理やり一つの巨大な仕掛けに組み込まれていた。
人間の盾兵。
槍兵。
弓兵。
魔法兵。
獣人斥候。
ドワーフ工兵。
エルフ弓兵。
竜騎兵。
負傷者。
敗残兵。
軍旗。
太鼓。
魔石杭。
水車のはずなのに、そこに兵士たちがいた。
彼らは車輪の中で回っている。
違う。
これは水車じゃない。
軍だ。
軍という、あまりにも大きな仕掛けだ。
誰かが叫んだ。
――拍を合わせろ。
それは自分の声だった。
次の瞬間、すべての車輪が一斉にずれた。
巨大な軸が悲鳴を上げる。
カイは飛び起きた。
「うわっ!」
隣の寝台の男も跳ね起きた。
「敵襲か!?」
「違います! 水車です!」
「水車!?」
「すみません、今のは俺も意味が分かりません!」
寝床の周囲にいた兵たちが、何とも言えない顔でこちらを見た。
朝から水車で騒ぐ補助兵。
かなり厳しい。
いや、もう遅いかもしれない。
昨日の時点で「命令じゃない、拍だ」とか言っていたのだ。そこに水車が加わったところで、怪しさの方向が少し変わるだけだ。いや、変わらないか。普通に悪化しているか。
カイは寝台に座ったまま、顔を両手で覆った。
汗をかいている。
心臓が早い。
喉はまだ痛む。
「……おはよう、俺。今日も元気に限界だな」
小さく呟く。
返事はない。
返事があったら困る。
自分で自分に返事をし始めたら、いよいよ治癒幕舎では済まない。
朝食は硬いパンと薄いスープだった。
豆は少しだけ入っていた。
少しなら許す。
豆とはそういうものだ。多すぎると敵、少なければ友。たぶん人間関係も同じだ。何を考えているんだ俺は。朝から豆で人生を語るな。
カイがスープを飲んでいると、トマがやってきた。
槍兵用の簡易防具をつけている。肩には包帯。昨日の魔獣騎兵との衝突で痛めたらしい。
「顔色、悪いぞ」
「それ、最近みんなに言われる」
「実際悪い」
「じゃあ俺の顔色が悪いんじゃなくて、世界の光量設定が間違ってる可能性は?」
「ない」
「即答か」
トマはカイの隣に座った。
「今日、再検査なんだろ」
「うん」
「緊張してるか?」
「全然」
「嘘つけ」
「めちゃくちゃしてる」
カイは即座に訂正した。
トマが笑う。
「お前、嘘つくの早いけど、訂正も早いよな」
「嘘をつく才能がない。木札にもそのうち刻まれるかもしれない」
「固有スキル《正直者》」
「弱そう」
「いや、案外強いかもな」
「戦場で?」
「少なくとも、お前の『怖い』は信じられる」
カイはスープを飲む手を止めた。
何か軽口を返そうとした。
でも、うまい言葉が出てこない。
こういう時に黙るな、俺。
黙ると空気が重くなる。
何か言え。
豆でも水車でもいい。
「……怖いのが取り柄って、だいぶ情けなくない?」
「情けないけど、生きてる」
「最近そればっかりだな」
「大事だろ」
「大事すぎて反論できない」
トマは少し真面目な顔になった。
「カイ」
「ん?」
「再検査で何が出ても、お前はお前だろ」
カイは苦笑した。
「そういう格好いいことを、朝飯の豆スープ飲みながら言うなよ。反応に困る」
「反応しなくていい。聞いとけ」
「はいはい」
聞いていた。
ありがたかった。
でも、怖さは消えなかった。
自分が何者なのか分からない。
昨日までは、「才能なし」と書かれた木札が嫌だった。
今は少しだけ、その木札に戻りたくなっている。
無才なら、ただの兵でいられる。
ただの兵なら、命令を聞けばいい。
命令が間違っていても、自分のせいではない。
でも、聞こえてしまったら?
壊れる音が、また聞こえてしまったら?
その時、自分は黙っていられるのか。
たぶん無理だ。
だから怖い。
午前、カイは再検査用の天幕へ連れていかれた。
そこは徴兵時の検査場とはまるで違っていた。
警備が多い。
天幕の入口に二人、中に二人。全員が無言でこちらを見る。
やめてほしい。
俺、逃げ足にも才能ないから安心してくれ。いや、そこは安心材料なのか? 違うな。
中には大きな魔法陣が描かれていた。
床には銀と青の線が幾重にも走り、中心に椅子が一つ。周囲には水晶柱が五本。さらに小さな軍旗、太鼓、魔石杭の模型、兵科を示す駒が並んでいる。
盾兵、槍兵、弓兵、騎兵、魔法兵。
それだけではない。
獣人斥候、エルフ弓兵、ドワーフ工兵、竜騎兵を模した駒まである。
カイは思わず喉を鳴らした。
これは、ただの個人検査ではない。
軍才検査。
部隊や軍の魔力循環に、指揮官候補がどう作用するかを見る検査だ。
「帰っていいですか?」
カイは案内役の兵に小声で聞いた。
「駄目だ」
「ですよね」
天幕の中には、アルド参謀、ディグレイ卿、セリア士官、そして白髭の小柄な老人がいた。
老人は水晶柱の横で帳面を広げている。片目に丸い検査眼鏡をかけ、鼻の先にインク汚れがついていた。
「こいつかね」
老人が言った。
声は高いが、妙に耳に残る。
「はい。カイ・リンドです」
アルド参謀が答える。
老人はカイを上から下まで見た。
「ふむ。弱いな」
初対面の第一声がそれか。
礼儀、どこに置いてきた。
「すみません。弱いです」
カイは反射的に答えた。
老人は片眉を上げる。
「怒らんのか」
「昨日からいろんな人に似たようなことを言われているので、慣れてきました」
「ふむ。素直な弱さだ」
「それ、褒めてます?」
「半分」
半分。
最近、「少し」とか「半分」とか、褒め方が渋い人ばかりだ。もっと景気よく褒めてほしい。生き残ったんだから。いや、贅沢か。
「この方は軍才鑑定官のオルバス殿だ。長く方面軍の軍才判定を務めている」
アルド参謀が言った。
「オルバス・ケインじゃ。よろしく、粉挽きの小僧」
「よろしくお願いします。できれば粉挽き情報、そんなに広めないでいただけると」
「特徴があるのは良いことじゃ。無才の補助兵だけでは覚えにくい」
「心に刺さる整理の仕方ですね」
オルバスは愉快そうに笑った。
ディグレイ卿は腕を組んで、不機嫌そうに見ている。
セリア士官はいつも通り静かだ。
アルド参謀が短く言った。
「始めよう」
カイは中央の椅子に座らされた。
両手首に薄い術式帯が巻かれる。足元の魔法陣が淡く光る。
背中に汗が流れた。
「痛いですか」
カイはオルバスに聞いた。
「痛い場合もある」
「嘘で安心させる気はないんですね」
「嘘をついて痛い方が腹が立つじゃろ」
「それは確かに」
セリア士官が近づいてきた。
「異常があれば止めます」
「異常があるかどうかを見る検査ですよね?」
「危険な異常です」
「安全な異常ってあるんですか」
「少ないです」
「怖い」
「怖がっていてください」
怖がっていてください。
普通は「怖がらなくていい」と言うところだと思う。
でも、カイにはその方が少し楽だった。
怖いものは怖い。
そのままでいいと言われた気がした。
オルバスが最初の水晶柱に手を置いた。
「まずは通常軍才反応。伝令系からじゃ」
魔法陣が光る。
小さな軍旗が揺れた。
カイの耳元で、遠くの号令のような音が鳴る。
命令伝達系の検査だろう。
水晶はほとんど光らなかった。
「伝令系、微弱」
オルバスが帳面に書く。
「次、士気干渉」
軍旗の色が赤く光る。
胸の奥が少し熱くなる。
しかし、すぐに消えた。
「士気系、低」
次。
「陣形強化」
床の駒が盾列を作る。
カイはそれを見る。
何となく右端が気になった。
だが水晶の反応は弱い。
「陣形系、低」
次。
「兵科統御」
槍兵、弓兵、騎兵、魔法兵の駒が順に光る。
どれも反応は薄い。
「槍兵統御、低。弓兵統御、低。騎兵統御、低。魔法兵統御、ほぼなし」
ディグレイ卿が小さく鼻を鳴らした。
「やはり通常の検査通りではありませんか」
そうだそうだ。
カイは心の中で頷いた。
通常の検査通り。
無才。
解散。
俺は粉挽きに戻ります。
いや、戻れないか。せめて荷運びで。荷運びも危険だけど、軍才扱いよりはまだ分かりやすい。
だが、オルバスは首を振った。
「まだじゃ。単独系では反応せんか。ではチェーン系」
床の駒が並び替わった。
盾、槍、弓、魔法。
訓練で見た簡易チェーンと同じ形。
太鼓が小さく鳴る。
一拍目。
盾が光る。
二拍目。
槍。
三拍目。
弓。
四拍目。
魔法。
カイの胸の奥で、細い糸が震えた。
だが、水晶の反応はやはり弱かった。
「始鎖、低。連鎖維持、低。解鎖補助、低」
ディグレイ卿が言った。
「結論は出たのでは? この者の判断は偶然と知識によるものでしょう」
カイは少し傷ついた。
自分でもそうであってほしいと思っていたはずなのに、他人に言われると傷つく。
心は面倒くさい。
面倒くさい上に、扱いにくい。
できれば取り外して洗いたい。
オルバスは水晶柱を見たまま黙っていた。
アルド参謀が問う。
「反応はないのか」
「反応はある」
「弱いのでは?」
「弱い。だが、音が違う」
音。
その言葉に、カイは顔を上げた。
オルバスはカイを見た。
「カイ・リンド。お前、昨日はどうやって兵を動かした」
「どうって……声を出して、拍を数えて」
「違う。その前じゃ。どの兵を、どこへ置くか。どう決めた」
カイは思い出す。
白煙。
荷車。
水樽。
魔石杭。
槍兵の足音。
補助兵の震え。
負傷者の遅れ。
「……気持ち悪いところを直しました」
「気持ち悪いところ」
「はい。早すぎるところ、遅すぎるところ、詰まってるところ。水車みたいに」
ディグレイ卿が眉をひそめた。
「なぜ何でも水車にする」
「実家なので」
真面目に答えた。
ディグレイ卿は余計に眉をひそめた。
オルバスはしばらく考え込んだ。
「単独兵科ではない。定型のチェーンでもない。ならば……」
彼は床の駒を一度すべて戻した。
そして今度は、整った形に並べ始めた。
中央に盾兵。
その後ろに槍兵。
左右に弓兵。
後方に魔法兵。
さらに外側に騎兵。
その後ろに軍旗と太鼓。
今までより大きな配置。
整っている。
美しい。
正規軍の小規模戦列だ。
「正規大隊配置」
オルバスが言った。
「通常の軍才持ちは、このような整った部隊に対して自分の得意系統を流し込む。盾列を強くする者、槍列を鋭くする者、魔法兵の詠唱を合わせる者。さて、お前はどう反応する」
太鼓が鳴った。
盾が進む。
槍が続く。
弓が射る。
魔法兵が詠唱する。
床の駒が、整った軍陣循環を作る。
カイの胸の奥で、糸が震えた。
さっきより強い。
ただし、水晶柱は爆発的には光らない。
弱い光が、五本の水晶に均等に灯る。
オルバスが目を細めた。
「ふむ」
カイには分かった。
この配置は、綺麗だ。
綺麗すぎるほどだ。
だが、ほんの少しだけ息苦しい。
盾兵の拍に槍兵が合わせすぎている。
弓兵が魔法兵の詠唱を待ちすぎている。
全体が一つにまとまりすぎている。
美しい。
けれど、敵が一箇所を乱せば全体が揺れる。
カイは小さく呟いた。
「……全部、同じ拍にしなくていいのに」
オルバスが反応した。
「何?」
カイは慌てた。
「あ、いえ」
「言え」
「盾と槍は同じ拍でいいです。でも弓は半拍ずらした方が、敵の動きを縛りやすいと思います。魔法兵は三拍目で乗せるより、四拍目の頭で入れた方が反動が逃げる。騎兵は最後じゃなくて、敵が盾に集中した時に外側から鳴らすだけでいい。全部を一本にしすぎると、逆に切られやすい……気がします」
沈黙。
カイは額に汗をかいた。
言った。
言ってしまった。
正規大隊の美しい配置に、平民補助兵が口を出した。
終わった。
今回こそ怒られる。
しかし床の駒が、カイの言葉に反応して動いた。
弓兵が半拍ずれる。
魔法兵が少し後ろへ下がる。
騎兵が外側へ広がる。
水晶の光が強くなった。
一本ではない。
五本すべてが、同時に淡く光る。
オルバスの目が見開かれた。
「……強化ではない」
彼は呟いた。
「同期でもない。流し直している」
「流し直す?」
アルド参謀が問う。
オルバスは答えず、さらに駒を増やした。
「では、混成配置」
獣人斥候。
ドワーフ工兵。
エルフ弓兵。
竜騎兵。
人間の正規兵の周囲に、異種族兵科が置かれていく。
カイの胸が重くなった。
音が一気に増える。
人間の盾兵は安定している。
槍兵はそれに続く。
獣人斥候は速い。
速すぎる。
エルフ弓兵の音は細く、遠くまで届く。
ドワーフ工兵の音は重く、地面に沈む。
竜騎兵の音は大きすぎる。
すべてを一つの拍にしようとすると、無理が出る。
人間の盾兵が獣人を待てば遅すぎる。
獣人が人間を待てば速さが死ぬ。
竜騎兵を最後に置くと圧が強すぎて、解鎖が曲がる。
ドワーフを後方に置きすぎると、反動が届く前に逃げ道が詰まる。
エルフ弓兵を弓としてだけ使うのはもったいない。彼らは節を見ている。敵の結界や地形の細い流れを読む役だ。
言葉が、勝手に出た。
「獣人は本線に入れない方がいいです」
全員の視線がカイに向く。
カイはもう止まれなかった。
「速すぎるから、人間の盾列と同じ拍にすると死にます。外側で敵を鳴らす役。始鎖のふりをさせる。でも本線は人間の盾と槍。エルフ弓兵は撃つより、敵結界の節を読む位置。ドワーフ工兵は後ろじゃなくて、少し前。反動を受けるというより、逃がす道を先に作る。竜騎兵は最後にしない。最後にすると全部持っていく。一つ前で敵の流れを押し曲げて、解鎖は魔法兵団か槍兵に戻した方が……」
カイはそこで言葉を切った。
自分が何を言っているのか、半分くらい分からない。
でも、音は分かる。
どうすれば噛み合うか。
どうすれば、それぞれの違う拍を殺さずに繋げられるか。
水晶柱が強く光った。
今度は、明らかに。
オルバスが帳面に何かを書きつける。
セリア士官がカイの手首に触れた。
「脈が上がっています」
「痛みは?」
オルバスが聞く。
「少し頭が痛いです」
「続けられるか」
「できれば続けたくないです」
「正直じゃな」
「怖いので」
アルド参謀が言った。
「止めるか」
カイは床の駒を見た。
整った正規軍。
そこに加わった異種族部隊。
まだ大きな軍ではない。
だが、これが数千、数万になったらどうなるのだろう。
その想像をした瞬間、胸の奥で何かが震えた。
怖い。
だが、それだけではなかった。
もし本当に、違う拍を持つ部隊を壊さずに繋げられるなら。
もし王国軍の大連鎖が、昨日のように全部を一本にしすぎたから壊れたのなら。
カイは唇を噛んだ。
「もう少しだけ」
自分で言って驚いた。
何を言っているんだ、俺。
逃げたいんじゃなかったのか。
でも、知りたかった。
自分が何を聞いているのか。
何を怖がっているのか。
何を直せるのか。
オルバスが頷いた。
「では、規模を上げる」
床の魔法陣が広がった。
駒の数が増える。
人間の歩兵大隊。
弓兵大隊。
魔法兵中隊。
騎兵予備。
工兵隊。
獣人斥候群。
エルフ弓兵隊。
ドワーフ反動制御隊。
小規模ではない。
大隊規模。
軍ではないが、部隊でもない。
複数部隊を束ねる規模。
太鼓が鳴った。
低く、重く。
カイの視界が少し揺れた。
音が多い。
だが、昨日の敗走ほど乱れていない。
これは整った軍だ。
訓練された兵。
それぞれの部隊レベルがある。
ただ、それぞれの拍が違う。
違うまま、どう繋ぐか。
カイは息を吸った。
「盾兵を中心にしない」
オルバスが目を細める。
「なぜ」
「盾兵は安定してます。でも全部を盾に合わせると、獣人と騎兵が死にます。中心は軍旗じゃなくて、太鼓を二つに分ける。正面の拍と外側の拍。盾と槍は低い拍。獣人と騎兵は高い拍。エルフ弓兵がその間を縫って、魔法兵は低い拍に乗せる。でも解鎖は一つにしない。二つの拍を最後にだけ合わせる」
「二重拍か」
オルバスが呟いた。
「はい。たぶん」
「たぶんで大隊を動かすな」
ディグレイ卿が言った。
「俺もそう思います」
カイは素直に答えた。
だが、魔法陣は反応していた。
二つの太鼓模型が光る。
床の駒が二つの流れを作る。
低い拍。
高い拍。
別々に動きながら、最後に接点を作る。
水晶柱の光が、さらに強くなる。
アルド参謀が立ち上がった。
「これは……」
オルバスが言った。
「正規軍を扱えないわけではない。むしろ逆じゃ」
カイは顔を上げた。
「逆?」
「単独の部隊を強める軍才ではない。ひとつの兵科に特化した将器でもない。こいつは、複数の部隊の拍を聞き分けて、それぞれを殺さずに接続点を作る」
オルバスは帳面を閉じた。
「整った正規軍なら、複数の流れを維持したまま大きく動かせる可能性がある。混成部隊でも、拍を分けて繋げられる。敗残兵でも、一時的に流れを作れる」
ディグレイ卿が険しい顔をする。
「つまり、何なのです」
「分からん」
オルバスは即答した。
おい。
いや、正直なのはいいけど。
ここまで引っ張って分からんはないだろう。俺も分からないけど。
オルバスは続けた。
「既存の軍才分類には当てはまらん。強化でも伝令でも士気でもない。だが、将器でないとも言えん」
アルド参謀が低く言った。
「将器の芽、ということか」
「芽にしては妙じゃ。普通、将器は自分の得意な拍を軍に押し広げる。だがこいつは、自分の拍を押しつけておらん。周囲の拍を聞いて、繋がる場所を探しておる」
オルバスはカイを見た。
「お前、命令するより先に聞くのじゃな」
カイは少し考えた。
「たぶん……はい。聞かないと怖いので」
「怖い?」
「はい。聞かずに動かすと、壊れる気がします」
天幕の中が静かになった。
セリア士官だけが、少しだけ頷いた。
「怖がりの指揮適性、ですか」
「響きが弱いですね」
カイは思わず言った。
セリア士官は微かに笑った。
「しかし悪くありません」
アルド参謀が言った。
「検査はここまでだ」
カイは息を吐いた。
終わった。
と思った瞬間、膝から力が抜けた。
椅子に座っていてよかった。
立っていたら確実に転んでいた。
格好悪い。
いや、検査中に転ぶよりはいい。鼻血も出てない。前回より成長している。人は進歩する。
セリア士官が手首の術式帯を外した。
「頭痛は?」
「少し」
「吐き気は」
「少し」
「恐怖は」
「かなり」
「正常です」
「それ正常なんですね」
「今のあなたにとっては」
安心していいのか分からない。
アルド参謀がカイに向き直った。
「カイ・リンド。お前の能力の正体は、まだ分からない」
「はい」
「現時点では正式な軍才として認定しない」
カイは少しだけほっとした。
だが、アルド参謀の言葉は続いた。
「しかし、通常の補助兵として扱うこともできない」
ですよね。
知ってた。
もう俺の木札は完全に信用を失った。
「お前には当面、敗残部隊再編補佐として動いてもらう」
「敗残部隊……」
「昨日の敗戦で損耗した部隊を、一時的にまとめ直す仕事だ。本来は士官の役割だが、お前には正式指揮権を与えない。観測と提案のみだ」
提案のみ。
つまり、責任は重いけど権限は軽い配置。
嫌な響きだ。
とても社会の現実を感じる。
「拒否権は」
「ない」
「ですよね」
アルド参謀は続けた。
「トマ・ハルド、ユナ・セイル、ラッド・オルセン、ミロ・ケインら、お前と昨日行動した者の一部も再編対象に含める」
カイは顔を上げた。
「彼らも?」
「昨日一度、お前の拍で動いた者たちだ。観測には適している」
使う。
またその言葉が頭に浮かんだ。
今度は自分だけではない。
トマたちも巻き込む。
「それは……危険ですか」
カイは聞いた。
アルド参謀は答えない。
代わりにセリア士官が言った。
「危険です」
正直。
非常に正直。
ありがたくないくらい正直。
「ただし、通常の再編で別部隊へ戻されても危険です」
それもそう。
戦場、どこも危険。
逃げ場がない。
職場環境が悪すぎる。王国軍、労務改善を検討してほしい。
アルド参謀が言った。
「お前がこの役を受けるなら、彼らをただの補充兵として即座に別部隊へ戻すより、生存率は上がる可能性がある」
「受けなければ?」
「通常の再編に回す」
カイは黙った。
自分が関わることで、トマたちを危険に近づけるかもしれない。
でも関わらなければ、彼らは別々の部隊に戻される。
また大きな軍の一部として動かされる。
昨日のような壊れる音がした時、誰も数えないかもしれない。
カイは目を閉じた。
怖い。
嫌だ。
無理だ。
でも、放り出すのはもっと嫌だ。
ああ、くそ。
こういう時だけ、自分の性格が嫌になる。
もっと冷たい人間だったら楽なのに。
もっと鈍ければよかった。
聞こえなければ、知らなければ、見なければ。
でも聞こえる。
そして知ってしまった。
「……やります」
声は小さかった。
でも、言った。
アルド参謀が頷く。
「よろしい」
ディグレイ卿は不満げだった。
「閣下、平民兵に再編補佐など前例がありません」
「臨時措置だ」
「それでも」
「前例は、昨日の左翼を救わなかった」
天幕が静かになった。
ディグレイ卿は唇を引き結んだ。
カイも動けなかった。
前例は、昨日の左翼を救わなかった。
その言葉は重かった。
アルド参謀はカイを見た。
「ただし、覚えておけ。お前に正式な指揮権はない。判断を誤れば、お前だけでなく周囲の兵も死ぬ」
「はい」
「そして、お前の能力はまだ測れない。測れないものは、武器より危険なことがある」
「はい」
「怖いか」
カイは少しだけ笑った。
「怖いです。かなり。できれば逃げたいです」
「逃げるか」
カイは首を横に振った。
「逃げても、たぶん音がついてくるので」
自分で言って、ぞっとした。
それは冗談のつもりだった。
でも、本当にそうかもしれない。
壊れる音は、どこにいても聞こえてしまうのかもしれない。
アルド参謀は静かに言った。
「なら、聞き方を覚えろ」
検査はそこで終わった。
天幕を出ると、外の空気がやけに冷たかった。
カイは大きく息を吸った。
トマたちが待っていた。
まただ。
最近、天幕を出るたびに誰かが待っている。
嬉しい。
でも怖い。
期待されることに、まだ慣れない。
「どうだった?」
トマが聞く。
ユナ、ラッド、ミロもこちらを見る。
カイは少し考えた。
どう説明する?
正規軍も扱えるかもしれない。
混成部隊も繋げられるかもしれない。
でも正体は不明。
軍才ではあるかもしれないが、認定は保留。
敗残部隊再編補佐。
長い。
重い。
怖い。
そのまま言うと、空気が沈む。
だからカイは笑った。
「検査の結果、俺は普通の無才ではなく、だいぶ面倒くさい無才だと判明しました」
ユナが目を細めた。
「嘘」
「早いな」
「顔が嘘」
「俺の顔、そんなに正直?」
「かなり」
トマが肩を叩く。
「本当は?」
カイは空を見上げた。
雲が流れている。
戦場の煙ではない、ただの雲。
それが少し嬉しかった。
「敗残部隊の再編補佐になるらしい」
「補佐?」
「うん。権限はないけど仕事はある。すごいだろ。王国軍の人使いの上手さが光ってる」
ミロが言った。
「俺たちも?」
「らしい」
ラッドが少し笑った。
「またお前の拍に合わせるのか」
「嫌なら断っても」
「断れるのか?」
「……たぶん無理」
「じゃあ聞くなよ」
「礼儀として」
トマが槍を肩に担いだ。
「俺はいい。昨日、お前の拍で生きたからな」
ユナも頷く。
「私も。変な人だけど、見てる場所は悪くない」
「褒めてる?」
「少し」
「最近、少しだけ褒められすぎてる」
ミロが言った。
「俺も行く。荷車とか樽とか、また使うんだろ」
「たぶん。お前、戦場で一番頼れる荷車の男だからな」
「それ、格好いいの?」
「かなり」
ミロは少し照れた。
ラッドも頷く。
「俺も行く。三歩下がる時は、また言ってくれ」
「できれば今度は五歩くらい余裕を持って言いたい」
「頼む」
カイはみんなを見た。
胸が重くなった。
ありがたい。
そして怖い。
この人たちが、自分について来る。
自分の拍に合わせる。
間違えたら、死ぬ。
カイは笑おうとした。
笑えた。
たぶん、少し引きつっていたけれど。
「じゃあ、改めてよろしく。俺はカイ・リンド。水車と粉と本に詳しい、臨時の……ええと、何だっけ」
「敗残部隊再編補佐」
ユナが言う。
「そう、それ。長いな。略して敗補佐?」
「弱そう」
「じゃあ却下」
トマが笑った。
「拍取りでいいんじゃねえか」
カイは少し固まった。
「拍取り?」
「お前、ずっと数えてるだろ」
ラッドが続ける。
「命令じゃない、拍だって言ってたしな」
ミロも頷く。
「拍取りのカイ」
ユナが淡々と言った。
「変だけど、合ってる」
カイは顔をしかめた。
「いや、もっと格好いいのない? 軍師とか、断鎖とか、そういう」
「自分で言うと格好悪いぞ」
トマが笑う。
カイは肩を落とした。
拍取りのカイ。
地味だ。
かなり地味だ。
でも、悪くない気もした。
命令ではなく、拍を合わせる。
それぞれ違う拍を持つ人たちが、壊れずに同じ方向へ歩けるように。
それが今の自分にできることなら。
「まあ、仮で」
カイは言った。
「仮称として受け入れよう」
「正式名称みたいに言うな」
笑い声が上がる。
その笑いの中で、カイは胸の奥の糸が静かに震えるのを感じた。
それは不協和音ではなかった。
まだ弱く、頼りなく、いつ切れてもおかしくない。
けれど確かに、繋がり始めた音だった。




