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8/13

測れない軍才

 翌朝、カイは水車の夢を見た。

 村の水車が回っている。

 ごとん、ごとん。

 水が落ち、車輪が回り、軸が鳴り、石臼が麦を砕く。

 いつもの音だ。

 懐かしくて、落ち着く音。

 そのはずだった。

 なのに夢の中のカイは、ひどく不安だった。

 水車が一つではなかった。

 いくつもの車輪が、視界いっぱいに重なっている。

 小さな車輪。大きな車輪。速く回る車輪。重く鈍く回る車輪。水で回るもの。風で回るもの。火花を散らすもの。歯が欠けたもの。歯車の形すら違うもの。

 それらが、無理やり一つの巨大な仕掛けに組み込まれていた。

 人間の盾兵。

 槍兵。

 弓兵。

 魔法兵。

 獣人斥候。

 ドワーフ工兵。

 エルフ弓兵。

 竜騎兵。

 負傷者。

 敗残兵。

 軍旗。

 太鼓。

 魔石杭。

 水車のはずなのに、そこに兵士たちがいた。

 彼らは車輪の中で回っている。

 違う。

 これは水車じゃない。

 軍だ。

 軍という、あまりにも大きな仕掛けだ。

 誰かが叫んだ。

 ――拍を合わせろ。

 それは自分の声だった。

 次の瞬間、すべての車輪が一斉にずれた。

 巨大な軸が悲鳴を上げる。

 カイは飛び起きた。

「うわっ!」

 隣の寝台の男も跳ね起きた。

「敵襲か!?」

「違います! 水車です!」

「水車!?」

「すみません、今のは俺も意味が分かりません!」

 寝床の周囲にいた兵たちが、何とも言えない顔でこちらを見た。

 朝から水車で騒ぐ補助兵。

 かなり厳しい。

 いや、もう遅いかもしれない。

 昨日の時点で「命令じゃない、拍だ」とか言っていたのだ。そこに水車が加わったところで、怪しさの方向が少し変わるだけだ。いや、変わらないか。普通に悪化しているか。

 カイは寝台に座ったまま、顔を両手で覆った。

 汗をかいている。

 心臓が早い。

 喉はまだ痛む。

「……おはよう、俺。今日も元気に限界だな」

 小さく呟く。

 返事はない。

 返事があったら困る。

 自分で自分に返事をし始めたら、いよいよ治癒幕舎では済まない。


 朝食は硬いパンと薄いスープだった。

 豆は少しだけ入っていた。

 少しなら許す。

 豆とはそういうものだ。多すぎると敵、少なければ友。たぶん人間関係も同じだ。何を考えているんだ俺は。朝から豆で人生を語るな。

 カイがスープを飲んでいると、トマがやってきた。

 槍兵用の簡易防具をつけている。肩には包帯。昨日の魔獣騎兵との衝突で痛めたらしい。

「顔色、悪いぞ」

「それ、最近みんなに言われる」

「実際悪い」

「じゃあ俺の顔色が悪いんじゃなくて、世界の光量設定が間違ってる可能性は?」

「ない」

「即答か」

 トマはカイの隣に座った。

「今日、再検査なんだろ」

「うん」

「緊張してるか?」

「全然」

「嘘つけ」

「めちゃくちゃしてる」

 カイは即座に訂正した。

 トマが笑う。

「お前、嘘つくの早いけど、訂正も早いよな」

「嘘をつく才能がない。木札にもそのうち刻まれるかもしれない」

「固有スキル《正直者》」

「弱そう」

「いや、案外強いかもな」

「戦場で?」

「少なくとも、お前の『怖い』は信じられる」

 カイはスープを飲む手を止めた。

 何か軽口を返そうとした。

 でも、うまい言葉が出てこない。

 こういう時に黙るな、俺。

 黙ると空気が重くなる。

 何か言え。

 豆でも水車でもいい。

「……怖いのが取り柄って、だいぶ情けなくない?」

「情けないけど、生きてる」

「最近そればっかりだな」

「大事だろ」

「大事すぎて反論できない」

 トマは少し真面目な顔になった。

「カイ」

「ん?」

「再検査で何が出ても、お前はお前だろ」

 カイは苦笑した。

「そういう格好いいことを、朝飯の豆スープ飲みながら言うなよ。反応に困る」

「反応しなくていい。聞いとけ」

「はいはい」

 聞いていた。

 ありがたかった。

 でも、怖さは消えなかった。

 自分が何者なのか分からない。

 昨日までは、「才能なし」と書かれた木札が嫌だった。

 今は少しだけ、その木札に戻りたくなっている。

 無才なら、ただの兵でいられる。

 ただの兵なら、命令を聞けばいい。

 命令が間違っていても、自分のせいではない。

 でも、聞こえてしまったら?

 壊れる音が、また聞こえてしまったら?

 その時、自分は黙っていられるのか。

 たぶん無理だ。

 だから怖い。


 午前、カイは再検査用の天幕へ連れていかれた。

 そこは徴兵時の検査場とはまるで違っていた。

 警備が多い。

 天幕の入口に二人、中に二人。全員が無言でこちらを見る。

 やめてほしい。

 俺、逃げ足にも才能ないから安心してくれ。いや、そこは安心材料なのか? 違うな。

 中には大きな魔法陣が描かれていた。

 床には銀と青の線が幾重にも走り、中心に椅子が一つ。周囲には水晶柱が五本。さらに小さな軍旗、太鼓、魔石杭の模型、兵科を示す駒が並んでいる。

 盾兵、槍兵、弓兵、騎兵、魔法兵。

 それだけではない。

 獣人斥候、エルフ弓兵、ドワーフ工兵、竜騎兵を模した駒まである。

 カイは思わず喉を鳴らした。

 これは、ただの個人検査ではない。

 軍才検査。

 部隊や軍の魔力循環に、指揮官候補がどう作用するかを見る検査だ。

「帰っていいですか?」

 カイは案内役の兵に小声で聞いた。

「駄目だ」

「ですよね」

 天幕の中には、アルド参謀、ディグレイ卿、セリア士官、そして白髭の小柄な老人がいた。

 老人は水晶柱の横で帳面を広げている。片目に丸い検査眼鏡をかけ、鼻の先にインク汚れがついていた。

「こいつかね」

 老人が言った。

 声は高いが、妙に耳に残る。

「はい。カイ・リンドです」

 アルド参謀が答える。

 老人はカイを上から下まで見た。

「ふむ。弱いな」

 初対面の第一声がそれか。

 礼儀、どこに置いてきた。

「すみません。弱いです」

 カイは反射的に答えた。

 老人は片眉を上げる。

「怒らんのか」

「昨日からいろんな人に似たようなことを言われているので、慣れてきました」

「ふむ。素直な弱さだ」

「それ、褒めてます?」

「半分」

 半分。

 最近、「少し」とか「半分」とか、褒め方が渋い人ばかりだ。もっと景気よく褒めてほしい。生き残ったんだから。いや、贅沢か。

「この方は軍才鑑定官のオルバス殿だ。長く方面軍の軍才判定を務めている」

 アルド参謀が言った。

「オルバス・ケインじゃ。よろしく、粉挽きの小僧」

「よろしくお願いします。できれば粉挽き情報、そんなに広めないでいただけると」

「特徴があるのは良いことじゃ。無才の補助兵だけでは覚えにくい」

「心に刺さる整理の仕方ですね」

 オルバスは愉快そうに笑った。

 ディグレイ卿は腕を組んで、不機嫌そうに見ている。

 セリア士官はいつも通り静かだ。

 アルド参謀が短く言った。

「始めよう」

 カイは中央の椅子に座らされた。

 両手首に薄い術式帯が巻かれる。足元の魔法陣が淡く光る。

 背中に汗が流れた。

「痛いですか」

 カイはオルバスに聞いた。

「痛い場合もある」

「嘘で安心させる気はないんですね」

「嘘をついて痛い方が腹が立つじゃろ」

「それは確かに」

 セリア士官が近づいてきた。

「異常があれば止めます」

「異常があるかどうかを見る検査ですよね?」

「危険な異常です」

「安全な異常ってあるんですか」

「少ないです」

「怖い」

「怖がっていてください」

 怖がっていてください。

 普通は「怖がらなくていい」と言うところだと思う。

 でも、カイにはその方が少し楽だった。

 怖いものは怖い。

 そのままでいいと言われた気がした。

 オルバスが最初の水晶柱に手を置いた。

「まずは通常軍才反応。伝令系からじゃ」

 魔法陣が光る。

 小さな軍旗が揺れた。

 カイの耳元で、遠くの号令のような音が鳴る。

 命令伝達系の検査だろう。

 水晶はほとんど光らなかった。

「伝令系、微弱」

 オルバスが帳面に書く。

「次、士気干渉」

 軍旗の色が赤く光る。

 胸の奥が少し熱くなる。

 しかし、すぐに消えた。

「士気系、低」

 次。

「陣形強化」

 床の駒が盾列を作る。

 カイはそれを見る。

 何となく右端が気になった。

 だが水晶の反応は弱い。

「陣形系、低」

 次。

「兵科統御」

 槍兵、弓兵、騎兵、魔法兵の駒が順に光る。

 どれも反応は薄い。

「槍兵統御、低。弓兵統御、低。騎兵統御、低。魔法兵統御、ほぼなし」

 ディグレイ卿が小さく鼻を鳴らした。

「やはり通常の検査通りではありませんか」

 そうだそうだ。

 カイは心の中で頷いた。

 通常の検査通り。

 無才。

 解散。

 俺は粉挽きに戻ります。

 いや、戻れないか。せめて荷運びで。荷運びも危険だけど、軍才扱いよりはまだ分かりやすい。

 だが、オルバスは首を振った。

「まだじゃ。単独系では反応せんか。ではチェーン系」

 床の駒が並び替わった。

 盾、槍、弓、魔法。

 訓練で見た簡易チェーンと同じ形。

 太鼓が小さく鳴る。

 一拍目。

 盾が光る。

 二拍目。

 槍。

 三拍目。

 弓。

 四拍目。

 魔法。

 カイの胸の奥で、細い糸が震えた。

 だが、水晶の反応はやはり弱かった。

「始鎖、低。連鎖維持、低。解鎖補助、低」

 ディグレイ卿が言った。

「結論は出たのでは? この者の判断は偶然と知識によるものでしょう」

 カイは少し傷ついた。

 自分でもそうであってほしいと思っていたはずなのに、他人に言われると傷つく。

 心は面倒くさい。

 面倒くさい上に、扱いにくい。

 できれば取り外して洗いたい。

 オルバスは水晶柱を見たまま黙っていた。

 アルド参謀が問う。

「反応はないのか」

「反応はある」

「弱いのでは?」

「弱い。だが、音が違う」

 音。

 その言葉に、カイは顔を上げた。

 オルバスはカイを見た。

「カイ・リンド。お前、昨日はどうやって兵を動かした」

「どうって……声を出して、拍を数えて」

「違う。その前じゃ。どの兵を、どこへ置くか。どう決めた」

 カイは思い出す。

 白煙。

 荷車。

 水樽。

 魔石杭。

 槍兵の足音。

 補助兵の震え。

 負傷者の遅れ。

「……気持ち悪いところを直しました」

「気持ち悪いところ」

「はい。早すぎるところ、遅すぎるところ、詰まってるところ。水車みたいに」

 ディグレイ卿が眉をひそめた。

「なぜ何でも水車にする」

「実家なので」

 真面目に答えた。

 ディグレイ卿は余計に眉をひそめた。

 オルバスはしばらく考え込んだ。

「単独兵科ではない。定型のチェーンでもない。ならば……」

 彼は床の駒を一度すべて戻した。

 そして今度は、整った形に並べ始めた。

 中央に盾兵。

 その後ろに槍兵。

 左右に弓兵。

 後方に魔法兵。

 さらに外側に騎兵。

 その後ろに軍旗と太鼓。

 今までより大きな配置。

 整っている。

 美しい。

 正規軍の小規模戦列だ。

「正規大隊配置」

 オルバスが言った。

「通常の軍才持ちは、このような整った部隊に対して自分の得意系統を流し込む。盾列を強くする者、槍列を鋭くする者、魔法兵の詠唱を合わせる者。さて、お前はどう反応する」

 太鼓が鳴った。

 盾が進む。

 槍が続く。

 弓が射る。

 魔法兵が詠唱する。

 床の駒が、整った軍陣循環を作る。

 カイの胸の奥で、糸が震えた。

 さっきより強い。

 ただし、水晶柱は爆発的には光らない。

 弱い光が、五本の水晶に均等に灯る。

 オルバスが目を細めた。

「ふむ」

 カイには分かった。

 この配置は、綺麗だ。

 綺麗すぎるほどだ。

 だが、ほんの少しだけ息苦しい。

 盾兵の拍に槍兵が合わせすぎている。

 弓兵が魔法兵の詠唱を待ちすぎている。

 全体が一つにまとまりすぎている。

 美しい。

 けれど、敵が一箇所を乱せば全体が揺れる。

 カイは小さく呟いた。

「……全部、同じ拍にしなくていいのに」

 オルバスが反応した。

「何?」

 カイは慌てた。

「あ、いえ」

「言え」

「盾と槍は同じ拍でいいです。でも弓は半拍ずらした方が、敵の動きを縛りやすいと思います。魔法兵は三拍目で乗せるより、四拍目の頭で入れた方が反動が逃げる。騎兵は最後じゃなくて、敵が盾に集中した時に外側から鳴らすだけでいい。全部を一本にしすぎると、逆に切られやすい……気がします」

 沈黙。

 カイは額に汗をかいた。

 言った。

 言ってしまった。

 正規大隊の美しい配置に、平民補助兵が口を出した。

 終わった。

 今回こそ怒られる。

 しかし床の駒が、カイの言葉に反応して動いた。

 弓兵が半拍ずれる。

 魔法兵が少し後ろへ下がる。

 騎兵が外側へ広がる。

 水晶の光が強くなった。

 一本ではない。

 五本すべてが、同時に淡く光る。

 オルバスの目が見開かれた。

「……強化ではない」

 彼は呟いた。

「同期でもない。流し直している」

「流し直す?」

 アルド参謀が問う。

 オルバスは答えず、さらに駒を増やした。

「では、混成配置」

 獣人斥候。

 ドワーフ工兵。

 エルフ弓兵。

 竜騎兵。

 人間の正規兵の周囲に、異種族兵科が置かれていく。

 カイの胸が重くなった。

 音が一気に増える。

 人間の盾兵は安定している。

 槍兵はそれに続く。

 獣人斥候は速い。

 速すぎる。

 エルフ弓兵の音は細く、遠くまで届く。

 ドワーフ工兵の音は重く、地面に沈む。

 竜騎兵の音は大きすぎる。

 すべてを一つの拍にしようとすると、無理が出る。

 人間の盾兵が獣人を待てば遅すぎる。

 獣人が人間を待てば速さが死ぬ。

 竜騎兵を最後に置くと圧が強すぎて、解鎖が曲がる。

 ドワーフを後方に置きすぎると、反動が届く前に逃げ道が詰まる。

 エルフ弓兵を弓としてだけ使うのはもったいない。彼らは節を見ている。敵の結界や地形の細い流れを読む役だ。

 言葉が、勝手に出た。

「獣人は本線に入れない方がいいです」

 全員の視線がカイに向く。

 カイはもう止まれなかった。

「速すぎるから、人間の盾列と同じ拍にすると死にます。外側で敵を鳴らす役。始鎖のふりをさせる。でも本線は人間の盾と槍。エルフ弓兵は撃つより、敵結界の節を読む位置。ドワーフ工兵は後ろじゃなくて、少し前。反動を受けるというより、逃がす道を先に作る。竜騎兵は最後にしない。最後にすると全部持っていく。一つ前で敵の流れを押し曲げて、解鎖は魔法兵団か槍兵に戻した方が……」

 カイはそこで言葉を切った。

 自分が何を言っているのか、半分くらい分からない。

 でも、音は分かる。

 どうすれば噛み合うか。

 どうすれば、それぞれの違う拍を殺さずに繋げられるか。

 水晶柱が強く光った。

 今度は、明らかに。

 オルバスが帳面に何かを書きつける。

 セリア士官がカイの手首に触れた。

「脈が上がっています」

「痛みは?」

 オルバスが聞く。

「少し頭が痛いです」

「続けられるか」

「できれば続けたくないです」

「正直じゃな」

「怖いので」

 アルド参謀が言った。

「止めるか」

 カイは床の駒を見た。

 整った正規軍。

 そこに加わった異種族部隊。

 まだ大きな軍ではない。

 だが、これが数千、数万になったらどうなるのだろう。

 その想像をした瞬間、胸の奥で何かが震えた。

 怖い。

 だが、それだけではなかった。

 もし本当に、違う拍を持つ部隊を壊さずに繋げられるなら。

 もし王国軍の大連鎖が、昨日のように全部を一本にしすぎたから壊れたのなら。

 カイは唇を噛んだ。

「もう少しだけ」

 自分で言って驚いた。

 何を言っているんだ、俺。

 逃げたいんじゃなかったのか。

 でも、知りたかった。

 自分が何を聞いているのか。

 何を怖がっているのか。

 何を直せるのか。

 オルバスが頷いた。

「では、規模を上げる」

 床の魔法陣が広がった。

 駒の数が増える。

 人間の歩兵大隊。

 弓兵大隊。

 魔法兵中隊。

 騎兵予備。

 工兵隊。

 獣人斥候群。

 エルフ弓兵隊。

 ドワーフ反動制御隊。

 小規模ではない。

 大隊規模。

 軍ではないが、部隊でもない。

 複数部隊を束ねる規模。

 太鼓が鳴った。

 低く、重く。

 カイの視界が少し揺れた。

 音が多い。

 だが、昨日の敗走ほど乱れていない。

 これは整った軍だ。

 訓練された兵。

 それぞれの部隊レベルがある。

 ただ、それぞれの拍が違う。

 違うまま、どう繋ぐか。

 カイは息を吸った。

「盾兵を中心にしない」

 オルバスが目を細める。

「なぜ」

「盾兵は安定してます。でも全部を盾に合わせると、獣人と騎兵が死にます。中心は軍旗じゃなくて、太鼓を二つに分ける。正面の拍と外側の拍。盾と槍は低い拍。獣人と騎兵は高い拍。エルフ弓兵がその間を縫って、魔法兵は低い拍に乗せる。でも解鎖は一つにしない。二つの拍を最後にだけ合わせる」

「二重拍か」

 オルバスが呟いた。

「はい。たぶん」

「たぶんで大隊を動かすな」

 ディグレイ卿が言った。

「俺もそう思います」

 カイは素直に答えた。

 だが、魔法陣は反応していた。

 二つの太鼓模型が光る。

 床の駒が二つの流れを作る。

 低い拍。

 高い拍。

 別々に動きながら、最後に接点を作る。

 水晶柱の光が、さらに強くなる。

 アルド参謀が立ち上がった。

「これは……」

 オルバスが言った。

「正規軍を扱えないわけではない。むしろ逆じゃ」

 カイは顔を上げた。

「逆?」

「単独の部隊を強める軍才ではない。ひとつの兵科に特化した将器でもない。こいつは、複数の部隊の拍を聞き分けて、それぞれを殺さずに接続点を作る」

 オルバスは帳面を閉じた。

「整った正規軍なら、複数の流れを維持したまま大きく動かせる可能性がある。混成部隊でも、拍を分けて繋げられる。敗残兵でも、一時的に流れを作れる」

 ディグレイ卿が険しい顔をする。

「つまり、何なのです」

「分からん」

 オルバスは即答した。

 おい。

 いや、正直なのはいいけど。

 ここまで引っ張って分からんはないだろう。俺も分からないけど。

 オルバスは続けた。

「既存の軍才分類には当てはまらん。強化でも伝令でも士気でもない。だが、将器でないとも言えん」

 アルド参謀が低く言った。

「将器の芽、ということか」

「芽にしては妙じゃ。普通、将器は自分の得意な拍を軍に押し広げる。だがこいつは、自分の拍を押しつけておらん。周囲の拍を聞いて、繋がる場所を探しておる」

 オルバスはカイを見た。

「お前、命令するより先に聞くのじゃな」

 カイは少し考えた。

「たぶん……はい。聞かないと怖いので」

「怖い?」

「はい。聞かずに動かすと、壊れる気がします」

 天幕の中が静かになった。

 セリア士官だけが、少しだけ頷いた。

「怖がりの指揮適性、ですか」

「響きが弱いですね」

 カイは思わず言った。

 セリア士官は微かに笑った。

「しかし悪くありません」

 アルド参謀が言った。

「検査はここまでだ」

 カイは息を吐いた。

 終わった。

 と思った瞬間、膝から力が抜けた。

 椅子に座っていてよかった。

 立っていたら確実に転んでいた。

 格好悪い。

 いや、検査中に転ぶよりはいい。鼻血も出てない。前回より成長している。人は進歩する。

 セリア士官が手首の術式帯を外した。

「頭痛は?」

「少し」

「吐き気は」

「少し」

「恐怖は」

「かなり」

「正常です」

「それ正常なんですね」

「今のあなたにとっては」

 安心していいのか分からない。

 アルド参謀がカイに向き直った。

「カイ・リンド。お前の能力の正体は、まだ分からない」

「はい」

「現時点では正式な軍才として認定しない」

 カイは少しだけほっとした。

 だが、アルド参謀の言葉は続いた。

「しかし、通常の補助兵として扱うこともできない」

 ですよね。

 知ってた。

 もう俺の木札は完全に信用を失った。

「お前には当面、敗残部隊再編補佐として動いてもらう」

「敗残部隊……」

「昨日の敗戦で損耗した部隊を、一時的にまとめ直す仕事だ。本来は士官の役割だが、お前には正式指揮権を与えない。観測と提案のみだ」

 提案のみ。

 つまり、責任は重いけど権限は軽い配置。

 嫌な響きだ。

 とても社会の現実を感じる。

「拒否権は」

「ない」

「ですよね」

 アルド参謀は続けた。

「トマ・ハルド、ユナ・セイル、ラッド・オルセン、ミロ・ケインら、お前と昨日行動した者の一部も再編対象に含める」

 カイは顔を上げた。

「彼らも?」

「昨日一度、お前の拍で動いた者たちだ。観測には適している」

 使う。

 またその言葉が頭に浮かんだ。

 今度は自分だけではない。

 トマたちも巻き込む。

「それは……危険ですか」

 カイは聞いた。

 アルド参謀は答えない。

 代わりにセリア士官が言った。

「危険です」

 正直。

 非常に正直。

 ありがたくないくらい正直。

「ただし、通常の再編で別部隊へ戻されても危険です」

 それもそう。

 戦場、どこも危険。

 逃げ場がない。

 職場環境が悪すぎる。王国軍、労務改善を検討してほしい。

 アルド参謀が言った。

「お前がこの役を受けるなら、彼らをただの補充兵として即座に別部隊へ戻すより、生存率は上がる可能性がある」

「受けなければ?」

「通常の再編に回す」

 カイは黙った。

 自分が関わることで、トマたちを危険に近づけるかもしれない。

 でも関わらなければ、彼らは別々の部隊に戻される。

 また大きな軍の一部として動かされる。

 昨日のような壊れる音がした時、誰も数えないかもしれない。

 カイは目を閉じた。

 怖い。

 嫌だ。

 無理だ。

 でも、放り出すのはもっと嫌だ。

 ああ、くそ。

 こういう時だけ、自分の性格が嫌になる。

 もっと冷たい人間だったら楽なのに。

 もっと鈍ければよかった。

 聞こえなければ、知らなければ、見なければ。

 でも聞こえる。

 そして知ってしまった。

「……やります」

 声は小さかった。

 でも、言った。

 アルド参謀が頷く。

「よろしい」

 ディグレイ卿は不満げだった。

「閣下、平民兵に再編補佐など前例がありません」

「臨時措置だ」

「それでも」

「前例は、昨日の左翼を救わなかった」

 天幕が静かになった。

 ディグレイ卿は唇を引き結んだ。

 カイも動けなかった。

 前例は、昨日の左翼を救わなかった。

 その言葉は重かった。

 アルド参謀はカイを見た。

「ただし、覚えておけ。お前に正式な指揮権はない。判断を誤れば、お前だけでなく周囲の兵も死ぬ」

「はい」

「そして、お前の能力はまだ測れない。測れないものは、武器より危険なことがある」

「はい」

「怖いか」

 カイは少しだけ笑った。

「怖いです。かなり。できれば逃げたいです」

「逃げるか」

 カイは首を横に振った。

「逃げても、たぶん音がついてくるので」

 自分で言って、ぞっとした。

 それは冗談のつもりだった。

 でも、本当にそうかもしれない。

 壊れる音は、どこにいても聞こえてしまうのかもしれない。

 アルド参謀は静かに言った。

「なら、聞き方を覚えろ」

 検査はそこで終わった。


 天幕を出ると、外の空気がやけに冷たかった。

 カイは大きく息を吸った。

 トマたちが待っていた。

 まただ。

 最近、天幕を出るたびに誰かが待っている。

 嬉しい。

 でも怖い。

 期待されることに、まだ慣れない。

「どうだった?」

 トマが聞く。

 ユナ、ラッド、ミロもこちらを見る。

 カイは少し考えた。

 どう説明する?

 正規軍も扱えるかもしれない。

 混成部隊も繋げられるかもしれない。

 でも正体は不明。

 軍才ではあるかもしれないが、認定は保留。

 敗残部隊再編補佐。

 長い。

 重い。

 怖い。

 そのまま言うと、空気が沈む。

 だからカイは笑った。

「検査の結果、俺は普通の無才ではなく、だいぶ面倒くさい無才だと判明しました」

 ユナが目を細めた。

「嘘」

「早いな」

「顔が嘘」

「俺の顔、そんなに正直?」

「かなり」

 トマが肩を叩く。

「本当は?」

 カイは空を見上げた。

 雲が流れている。

 戦場の煙ではない、ただの雲。

 それが少し嬉しかった。

「敗残部隊の再編補佐になるらしい」

「補佐?」

「うん。権限はないけど仕事はある。すごいだろ。王国軍の人使いの上手さが光ってる」

 ミロが言った。

「俺たちも?」

「らしい」

 ラッドが少し笑った。

「またお前の拍に合わせるのか」

「嫌なら断っても」

「断れるのか?」

「……たぶん無理」

「じゃあ聞くなよ」

「礼儀として」

 トマが槍を肩に担いだ。

「俺はいい。昨日、お前の拍で生きたからな」

 ユナも頷く。

「私も。変な人だけど、見てる場所は悪くない」

「褒めてる?」

「少し」

「最近、少しだけ褒められすぎてる」

 ミロが言った。

「俺も行く。荷車とか樽とか、また使うんだろ」

「たぶん。お前、戦場で一番頼れる荷車の男だからな」

「それ、格好いいの?」

「かなり」

 ミロは少し照れた。

 ラッドも頷く。

「俺も行く。三歩下がる時は、また言ってくれ」

「できれば今度は五歩くらい余裕を持って言いたい」

「頼む」

 カイはみんなを見た。

 胸が重くなった。

 ありがたい。

 そして怖い。

 この人たちが、自分について来る。

 自分の拍に合わせる。

 間違えたら、死ぬ。

 カイは笑おうとした。

 笑えた。

 たぶん、少し引きつっていたけれど。

「じゃあ、改めてよろしく。俺はカイ・リンド。水車と粉と本に詳しい、臨時の……ええと、何だっけ」

「敗残部隊再編補佐」

 ユナが言う。

「そう、それ。長いな。略して敗補佐?」

「弱そう」

「じゃあ却下」

 トマが笑った。

「拍取りでいいんじゃねえか」

 カイは少し固まった。

「拍取り?」

「お前、ずっと数えてるだろ」

 ラッドが続ける。

「命令じゃない、拍だって言ってたしな」

 ミロも頷く。

「拍取りのカイ」

 ユナが淡々と言った。

「変だけど、合ってる」

 カイは顔をしかめた。

「いや、もっと格好いいのない? 軍師とか、断鎖とか、そういう」

「自分で言うと格好悪いぞ」

 トマが笑う。

 カイは肩を落とした。

 拍取りのカイ。

 地味だ。

 かなり地味だ。

 でも、悪くない気もした。

 命令ではなく、拍を合わせる。

 それぞれ違う拍を持つ人たちが、壊れずに同じ方向へ歩けるように。

 それが今の自分にできることなら。

「まあ、仮で」

 カイは言った。

「仮称として受け入れよう」

「正式名称みたいに言うな」

 笑い声が上がる。

 その笑いの中で、カイは胸の奥の糸が静かに震えるのを感じた。

 それは不協和音ではなかった。

 まだ弱く、頼りなく、いつ切れてもおかしくない。

 けれど確かに、繋がり始めた音だった。


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