第66話 私の憩いの場所
今回登場する貨幣価値は現代日本と違いますので、ご了承下さい。
そして、「風呂カフェ・いこい」オープンから一週間が経過した。
公平を期すため、売り上げの資料をマークさんからお父様に直接渡してもらい、勝敗の発表はお父様がすることになっている。
ということで、私とお兄様はお父様の執務室に集まっていた。
お兄様の目は相変わらず厳しいし、少しでも目標に達しなければ風呂カフェを止めて公爵家に戻るように言うのだろう。でも、この日のために出来ることはやってきたつもりだ。お兄様との勝負に負けるつもりはない。
私が力強くお兄様の目を見つめると、お兄様も負けじと見返してきた。
静かな私達の攻防に、お父様が咳払いをする。
「お前たち、結果を発表するぞ」
「お願いします!」
「風呂カフェ・ほっとの一週間の平均売り上げが600ダールだ。風呂カフェ・いこいのオープンしてから一週間の売り上げは……」
600ダールの5倍の売り上げ……つまり、3000ダール以上売り上げを出していれば、勝ちということ。お願い、超えていて……。
「売り上げは、2900ダールだった」
お父様の言葉にショックを受ける。だって、あんなに頑張ったのに目標を達成できなかったなんて。
これは、もう……。
もう、他の方法でお兄様を説得するしかないわね!!
このくらい誤差よって、ゴリ押しする? それとも「風呂カフェ・ほっと」の一番売り上げが悪かった時と比べろって主張する?(つまりゼロである)
それでも認められなかったら、最終手段で決闘でも申し込もうかしら……。
私がそんなことを考えていると、お兄様がため息を吐いた。
「お前、俺の本を店の中で販売していただろう。その分の利益は入れたか?」
「え? 料理代と入場料だけしか入れないようお願いしましたけど」
「本を販売する場所には、売れた分の利益を一部渡さなければならない。そのくらいお前にも分かるだろう」
「それはそうですけど……」
もちろん売れた分のお金は風呂カフェとしてもらうつもりだった。
けど、勝負においてはお兄様の力を借りるのが嫌だったから、本の儲け分は引いた資料を渡すようにお願いしたのよね……。
「バカめ。真剣な勝負なんだから、そんな必要はない。……どのくらいの冊数が売れたかの資料はあるか?」
「ここにありますけど……」
念のため持ってきておいた資料を受け取ると、お兄様がすぐにそれに目を通した。そして。
「ちょうど風呂カフェの取り分は、100ダールくらいだな。なら、お前の勝ちだ」
「え、でも……」
何がなんでもお兄様を説得すると意気込んでいたものの、まさかの急展開に戸惑いを隠せない。私が戸惑っていると、お兄様はむすっとして言った。
「もともと結果がどうなったとしても、お前を認めようと決めていた。お前の執念があれば、これからも風呂カフェで食べていけると思ったからな。ただ、お前が失敗しそうになったら、問答無用で公爵家に連れ戻すつもりだ」
お兄様は冷たく言い放つけれど、そこには確かな温かさが見え隠れしていて……。
私は少し前から気になっていたことをお兄様に聞くことにしたのだった。
「……もしかして、私がこれからの人生で困ることがないように、お兄様は風呂カフェをやめさせようとしたのですか?」
私の疑問に、お兄様がふいと目を逸らす。
「……勘違いするなよ。お前が失敗して路頭に迷った時に、面倒を見るのは俺になるだろう。それが嫌なだけだ」
つまり、私が困ったら、お兄様は助けるつもりってことね。
そういえば、ずっとお兄様は「店が失敗したらどうするんだ」ということを気にしていた。今までは、その発言は「お兄様の貴族社会での立場」を気にしてのことだと思っていた。
けれど、私が失敗して路頭に迷うことがないように、ずっと気にかけていただけだったんだ。今まで私に貴族としての在り方を求めていたのも、貴族社会で私が困ることがないように考えてくれていただけだったのね。
冷たいことばかり言ってくるから、てっきりお兄様も冷たい人なのだと思っていた。お兄様は自分の立場を守るために、私に厳しく冷たく接しているのだとすら思っていた。
でも、違った。実際は私の立場のこと、これからの未来のことを気にしてくれていた。
なんて分かりづらくて、不器用で、温かいのかしらね。
私はクスッと笑って、お兄様の顔を覗き込む。
「お兄様、ありがとうございます」
「だから、勘違いするな。お前のためじゃない。あくまで、俺のためだ」
「はいはい」
「おい、聞いているのか」
適当に受け流す私に、お兄様は不機嫌そうに眉を寄せる。でも、それがただの見せかけだって段々分かってきたのだ。
そんな私達の姿を見て、お父様が柔らかく笑っていた。
⭐︎⭐︎⭐︎
様々なことがひと段落したので、やることは一つだ。
「やっぱりお風呂に入らなくちゃね!」
私は体を洗ってから、公爵邸にあるお風呂に入った。
お湯に浸かっている部分がじんわりと温まり、全身がポカポカしてくるのを感じた。
やっぱり実家のお風呂は落ち着くわ〜。
「ふぅー。それにしても、お兄様も丸くなったわよねぇ。今度は、公爵邸でユーリさんとお風呂に入りたいって言うなんてね」
あの後、父の執務室を出る前にお兄様は『またユーリを連れて来い。今度は、共に公爵邸の風呂で話をしたいからな』と言っていたのだ。
前にお兄様と風呂カフェに来てくれた後、すぐにユードレイスに帰っちゃったからね。
ユーリさんはどんな人でも柔らかく受け止められる人だから、ツンツンしているお兄様と結構相性がいいみたい。彼らは彼らで上手く関係を築けているみたいでよかった。
それにしても、あんなにお風呂に入ることを拒否していたお兄様がお風呂に入りたいと言うなんて……。
「少しはお兄様にもお風呂の良さが伝わったのかしらね」
私は嬉しさにふふっと笑いをこぼす。
ずっと私にとってお風呂は「逃避の場所」だった。
義理の親に育てられた前世の私にとっても、家族とほとんど交流してこなかった今世の私にとっても。
でも、今では家族が温かい人だと知っている。王都にある公爵邸が何よりの私の「憩いの場所」だと思っている。
「さて。それじゃあ、第二の実家であるユードレイスに帰って、また風呂カフェの経営を頑張るわよ!」
だって、私にとってユードレイスもまた「ほっと」できる場所だものね。




